子どもを泣きやませるよりも大切なこと《リーディング・ハイ》
記事:中村 美香(リーディング&ライティング講座)
「今、買い物してるから、ちょっと待ってね」
スーパーマーケットで、ウェーン、ウェーンと泣き止まない1歳半くらいの子どもを乗せたベビーカーを押しながら、見知らぬママが言っていた。
私は、もし、そのママが
周りの人が不愉快に思っていないかしら?
と、見回した時に
全く迷惑に思ってないですよ!
と、無言でアピールできるように、そっと口角を上げておいた。
そして、息子もよく泣いていたな……と思い出し、そんな時、周りにどんな対応をされたらありがたかったかを、思い返してみた。
笑顔で
「元気がよくていいわね」
と言われても、嫌味にしか取れなかった日もあれば、嬉しかった日もあった気がする。
結局、オールマイティな言葉が見つからなかったので、私は、何も話しかけることができなかった。
穏やかそうに見えるそのママは、本当に心が穏やかなのだろうか?
それとも、かつての私のように、一見、穏やかそうに見られるけれども、内心すごくつらいのだろうか?
それともなんとも思っていないのだろうか?
そんな風に、そのママの気持ちを想像しながら、私自身が、その泣き声に恐怖を覚えていることに気がついた。
ああ、頭ではわかっていても、心はまだ納得できていないのかもしれない……。
ここが、スーパーマーケットではなくて、長時間、一緒に過ごさなくてはならない新幹線の中だったら、不快感を表すか、あるいは、席を立っていたかもしれない。
よく新幹線の中などで、子どもが泣いた時、どう思うか? とか、どう対処するか? という話が話題になる。
「子どもは泣くものだから、仕方がない」
とか
「元気でいいじゃないか!」
と、言う人もいれば、騒音に感じる人もいるだろうと思う。
私の旦那は、子どもの泣き声を聞くと、優しい気持ちになれるらしい。
私には、それが全く信じられない。私は、子どもの泣き声を聞くと、なぜだか、それが例え、他人の子どもだったとしても、責められている気がするのだ。
私の息子は、現在、小学2年生だ。
今も、同じ年の他の子と比べると泣くことが多いけれど、成長するにつれて、泣くことはだんだん減っては来ている。
本人も、人前で泣くことが、少し恥ずかしく感じてきているみたいで、我慢することも覚えてきた。
そんな息子は、赤ちゃんの時から幼稚園時代にかけて、本当によく泣いていた。
朝、幼稚園に送りに行って、私と別れる時に泣いて、苦手な運動遊びがある日も泣いて、水遊びの水が怖いと言って泣いていた。
避難訓練があるという日には、お弁当も食べられないくらいに、一日中泣いていた。
ある先生は
「泣いてもいいんですけれど、『何で泣いているのか?』が大切です」
と言い
また、ある先生は
「男は泣くんじゃない!」
と言った。そして
「子どもなんだから、たくさん泣けばいいんですよ!」
と言った先生は、たったひとりだけだった。
泣いてもいいのか? 泣かない方がいいのか? よくわからなくなって、私の方が泣きたくなった。
悩んだ挙句、息子には
「泣くことは悪いことじゃないけれど、外で泣くと、みんなが『どうしたのかな?』って心配しちゃうから、なるべく我慢して、家で泣こう! 家だったらいくら泣いてもいいからさ」
と伝えた。
今思えば、感受性の強い4歳の息子にとっては、かなりの難題だっただろうと思う。
息子は
「うん」
と言ったものの、無理もない、相変わらず泣いていた。
その頃の私は、「子どもを泣かしてはいけない」という重圧に押しつぶされそうになり、いつも何かに責められているような気がしていた。
一度、近くに住む、私の母が我が家に遊びに来て、帰りにバス停まで息子とふたりで見送り行った時、バスが発車するなり
「おばあちゃんが帰っちゃって寂しい」
と、その場で号泣した息子に、私はイラつき、
「お母さんさ、外で泣かれると、すごくつらいんだよ! 頼むから今すぐ泣き止んで! 家まで我慢して!」
と怒鳴ってしまったことがあった。
息子は驚いて
「ごめんね。ごめんね」
と言って泣き止もうと必死だった。
そして
「泣きたくないんだけれど、涙が勝手に出てきちゃうんだ」
と言った。
玄関に入るなり、今度は、私が泣き出した。
「ごめんね。泣くことは悪いことじゃないんだけどさ」
そう言って泣く私に
「ごめんね」
と言って息子も泣いた。
ギュッと息子を抱きしめて、もう何が正しくて、何が間違っているのかもよくわからなくなっていた。
そして、「涙」を肯定してくれる意見に触れたくなった。
誰が何と言おうと、息子が泣くことを肯定できる自分になりたかった。
そんな時、『子どもの泣くわけ』という本があることを知った。
副題に
“「泣く力」を伸ばせば幸せに育つ”
とあり、帯に
“「泣きやませよう」とがんばる前に親に知ってほしい大切なこと”
と書いてあった。
本を手に取り、読み進めると、私の疑問、そのものが書いてあった。
《子どもが泣くと、なぜ親はつらくなり、一刻も早く泣きやませたくなるの? 居ても立ってもいられなくなり、いつまで泣いているのと怒りがこみ上げてさえくるのはなぜ?》
それには、親自身が、泣けない子ども時代を過ごしていたからかもしれない、ということが書いてあった。
私は、泣くな! と言われて育ったわけではないけれど、泣いてはいけないという空気を感じて、気持ちよく泣けていなかったのかもしれない、と思った。
そして、それは、私だけの問題ではなく、近代社会特有の子育てである「泣かせない子育て」が原因なのではないか? ということが書かれていた。
そうか! 私が特別、薄情な母親というわけではないんだ!
そう思うと、少し気持ちが楽になった。
読み進めると、子どもにとって「泣くこと」がいかに大切なことかが書いてあった。
泣いているからって弱虫じゃない!
子ども自身が、がんばって挑戦したい気持ちと、やっぱり怖いという気持ちの間で葛藤している時、それを、泣くことによって克服する場合もあると知った。
そして、息子の場合も、きっとそれだと思った!
「泣いてもいいからがんばろうね」
と前向きに寄り添って励ますことが、本来の欲求である「がんばりたい気持ち」を実現していくことになると知り、暗闇の中に光を見た気がした。
考えてみれば、大人の私も、泣いて、泣いて、泣き切った後に、力が湧いてくることがある。
しっかり悲しみを味わった後、どこからか不思議と湧いてくるエネルギーを感じると、何か温かいものに包まれたような安心する感覚があることを思い出した。
子どもを泣きやませることよりも、子どもが安心して泣ける親になろう。
この本を読んで、そう思ったんだった。
だけど、頭ではわかっても、心は、やはり、今でも、涙に反応してしまう。
だから、子どもが泣くことを肯定しながら、「泣かれるとつらい自分」も許してあげよう!
自分の涙も許してあげよう!
きっと、たくさん泣いたら、スッキリとして、笑顔に近づくはずだから!
『子どもの泣くわけ』
~「泣く力」を伸ばせば幸せに育つ~
「癒しの子育てネットワーク」代表 阿部秀雄 著 二見レインボー文庫
………
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