チーム天狼院

【年の近い弟・姉を持つ人必読  姉にとっての「弟」という存在について】この春、やっと大学生になれる弟へ ≪のろチャンネル≫


 

記事:野呂

 

私には2つ年下の弟がいる。

 

可愛いんだか可愛くないんだか分からない弟がいる。

 

 

私が思うに、

弟とはまず第一に、「敵」である。

 

 

私は、父と母の間の第一子であり、双方の祖父母にとっての初孫であり、

生まれて間もなく、それはそれはたいそうな寵愛を受けていたことだろう。

 

2年間そんな満ち足りた人生の歩み方しか知らずに育った幼女は、

知らぬ間に突如現れ、皆の視線を奪っている謎の物体を異常に警戒するようになる。

 

どうやら奴は、私の幸せで平穏な日々の侵略者であるらしい。

この前まで私のまわりにいた大人たちは奴に釘付けである。何よりお母さんを独り占めにする。

 

「おとうと」という名の敵だ!

 

なんにも考えていなさそうなアホ面で、それでいて腹の底では、野呂家乗っ取りを企てている悪党。

とはいえ幸い、奴の体は私よりもずっと小さいし、力もなさそうだ。

 

これはやっかいごとに発展する前に、悪い芽を摘んでおく必要がある。ぐずぐずしてもいられない。よし。

 

 

「とりゃ!」

 

 

……と、3歳になった私は、寝ていた赤子の弟をソファから床に落とし、馬乗りになって退治を試みたことがあるらしい。

 

 

「きゃーー!! りょう太を殺す気かーーー!!」(母)

 

 

とはいえ、私は弟に対して嫉妬や恨みの感情を抱いた記憶はないので、

あるいはこうかもしれない。

 

弟とは第二に私の「おもちゃ」である。

 

3歳の健気な幼女は、侵略者として奴を疑っていたのではなくて、

純粋に、新しいおもちゃがやってきたと思ったのかもしれない。

 

一緒に遊びたくて、ソファから蹴り起こしたということも否定はできない。

 

窒息寸前、殺人未遂という(相手にとっては)命がけの遊びであった。

 

 

そのソファから落として馬乗り事件の動機は、定かではないが、

私が5歳、弟が3歳くらいの時のことなら「自分の気持ち」も少しは覚えている。

 

私は犬がほしかった。

 

友だちの家にいるわんこが羨ましくて仕方なかった。

 

犬がほしい。

母に相談する、だめ。父に相談する、だめ。

 

どうするか。お分かりですよね?

 

 

「りょう太」を「りょう犬」にしてしまったのだ。

5歳にもなると、乱暴幼女も少しは事の分別がつくようになったようで、

首輪は危ないから、と手首に紐をつけて家の中を散歩したり、餌をあげたり、お手をしつけたりした。

 

……この珍事のやばさは、その10年後、高校で友達と兄弟の話になったときになんの躊躇もなく話し、ドン引きされた経験があるので今なら分かる。

 

弟は「おもちゃ」である。

 

 

 

もう少し成長してからは、弟は、第三に「話のネタ」である。

 

とくに反抗期真っただ中のときの弟は面白かった。私が高1、弟が中2のときである。

 

私が話しかけると、「バカ」「アホ」「デブ」「ブス」といったカタカナ二文字でしか返答しなくなった。

 

母親に怒られ、ムカついて、クローゼットの薄いドアを殴り、大きな穴をあけてしまったこともある。

(その後頭のおかしい母は、なぜ買い替えられる本棚や引き出しではなく、家に取り付けてあるクローゼットのドアを壊したのか、ということを2、3時間問い詰めていた)

 

また、学校の美術の授業で、自画像を描く宿題が出たときは、鏡を見るのが嫌だと言って全く進まない。

仕方なく、描きはじめだけでも、と思った母が、

 

「てきとーでいいのよ」

 

と、輪郭線を描くと、それまで画用紙の前でピクリとも動かなかった弟が

 

「俺は親の敷いたレールの上は歩くもんかーーーーー!!!!」

 

とすごい剣幕になって、消しゴムでゴシゴシ勢いよく線を消していた。

 

これが我が弟の反抗期である。懐かしい。

 

 

 

はたまた、弟は第四に、私にとって「絶対的に下な存在」である。

 

先ほども述べた通り、弟は私より2歳年下である。

しかし、私より3歳、4歳年下の知り合いよりは年上であるということが、にわかに信じがたい。

 

私は、私が高3・浪人とお世話になった塾でバイトをしている。

そこで中3、高1生を教えている。

 

弟も同じ塾で今年一年浪人をしていたので、私の生徒たちは、私の弟を知っている。

 

「野呂先生、野呂先輩が言ってたんですけど、野呂先生って」

 

「え? 何? 野呂先輩? 誰? 私?」

 

「いや、弟さんです。野呂先生は先生です」

 

彼らは弟を先輩と呼んでいる。いや事実、先輩なのだ。ボタンを掛け違えているみたいに妙な違和感がある。

 

 

そして弟は、第五に「告発者」である。

 

「野呂先輩が言ってたんですけど、野呂先生って、蹴るんですか?」

 

「え?」

 

「そんなわけないですよね。弟さんに、家で野呂先生ってどんな感じなんですかって聞いたら、殴ったり蹴ったりしてくるって言ってたんですけど、冗談ですよね。」

 

あやつ……余計なことを(笑)

 

「あ、んーとねー、蹴るよ(笑)」

 

「え……」

 

私は嘘はつけない人間である。そのかわり、帰ってから弟に首を絞めるという罰を科しておいた。

 

 

 

そんな弟が、一年の浪人生活を終え、4月からは晴れて大学生になれるのだという。

今日、親とスーツを買いに出かけていた。

 

弟はこの一年で、やっと少しは人間らしくなったようだ。

 

5連続で入試本番が続いた最後の日、本屋に寄って手帳選びをしたそうだ。

まだ決めかねて買いはしなかったようだが、

 

「大学生になったら、やりたいことがたくさんあるから、手帳を買いたいと思って」

 

と嬉しそうに言っていた。

それを聞いて私は、

 

「まだ何日後かにはまた試験があるのだから、そんなことしてないで早く帰ってきなよ」

 

と言ったが、母は

 

「自分でああしたい、こうしようって考えて、何か行動できるようになるなんて。今までじゃあり得なかったわ!」

 

と言って喜んだ。19歳の青年を前にして、何を喜んでいるのか理解不能な気もするが、確かに弟は、今までwill(意志)のない無気力な子どもだった。

 

 

また別の日には、試験会場からの帰り道、住宅街の中にある小さなチョコレート屋さんが気になったようで、買おうか迷ったが、1粒1000円もするのでやめたと話していた。

 

その試験会場には、去年下見で私も一度ついていったことがあったので、チョコレート屋さんのことは覚えている。私が店の前で立ち止まったとき、弟は全く興味を示さなかった。私でも入りづらい、見るからに高級そうなお店だった。

 

「1粒1000円って、中入ったの!?」

 

「いや、さすがにそれは無理で、iphoneで調べた」

 

これにも母は大感動である。確かに、弟は今まで何事にも興味や関心のない子どもだった。

 

 

去年、弟が塾に入ったとき、先生方が心配していたのは、

どこかしらの大学に受かる学力がないことよりも、

自分で何とかしようとする意志や、情熱がないことだった。

 

やる気がなく怠惰で反抗的というわけではない。素直に言われたことをやる。

しかし、這い上がっていこうというガッツがない。

 

 

それもそうだろう。

気の強い姉、口うるさい母、怒ると怖い父、

皆、それぞれ2人兄弟の姉・兄で、

私の弟だけが、我が家で唯一の「下の子」だった。

 

特に年の近い姉というのは、

母が息子にするのを真似しながら、さほど差がないはずの弟に接する。

 

ずっと、「叱られる」「監視される」「世話される」対象としての18年だった。

 

それは家の中だけではない。

 

ピアノや英会話、スイミングなどの習い事、小学校、中学校、塾、

どの場面でも、私の弟は

 

野呂さんの「弟」

 

であった。私の付随物としての18年だった。

 

高校は私と違う学校だったから、それまでよりは、少し元気になったと思う。友達も増えた。

しかし、受験が近づけば、意識か無意識か、

私と「比べられる」対象、私に「教えられる」対象の弟に戻ってしまった。

 

 

今回、浪人を過ごす塾だって、そんな場所になる可能性は存分にあったはずだ。

なんせ、私が1年前まで通っていた塾であり、そこで非常勤講師までしているのだから。

 

しかし、弟はここで、自分だけの立ち位置を獲得していた。

 

学力のないおバカな弟は、

先生方にいじられながら、心配をかけながら、面倒をかけながら、

たくさんの友達に囲まれながら、

 

今まで持つことを許されなかった

自分が自分であることへの自信を少しずつ高めていったのだと思う。

 

 

実際に私が勤務で塾を訪れた時、

 

「りょう太の姉ちゃん」

 

と呼ばれてハッとしたことがあった。

 

 

もちろん今まで勉強をサボってきたツケで、今までの何倍もの苦労もしたのだろう。

でもそれだけではない浪人1年間を過ごせたようだ。

 

大学という広い世界に出る前に、

他の誰のものでもない自分に自信を持つことができて、本当によかったと思う。

 

興味や関心、意志のない状態で、大学や社会を生きるのは辛い。

 

 

自分の好きな事、やりたいことを見つけて、前向きにどんどん挑戦してほしいと思う。

 

そして、大学生になった弟と、「私の弟として」だけではなく、たまに一緒にご飯に行ったり、映画を観たりできたらいいなぁなんて夢見ている姉である。

 

 

そういえば、この前、私がピアノの練習をしていると、最後の試験から帰ってきた弟が、

いつもならすぐ自分の部屋に籠るくせに、めずらしくピアノの部屋に入ってきて、

 

「なにそれ、へたくそ」

 

と笑った後、

 

「あー、長かったな~終わったあ。ねぇみさ、今度寿司おごってよ」

 

と甘えてきた。何かを要求することなんて珍しい。

 

「やだ、お金ない。寿司だなんて贅沢な」

 

こいつツンデレかよ、と思いつつ、ここ数日、手ごろでおいしい寿司屋はないかとiphoneで検索している姉も、同じくらいツンデレである。

 

 

 

【一緒に読みたい本】

『サマータイム』佐藤多佳子(新潮文庫)

小学五年生の進と、一つ年上の気の強い姉・佳奈。団地の夏の湿ったにおい。ピアノと自転車と、海のゼリーと。

きっと誰もが子どもの頃、肌で感じ取っていた世界が、言葉によって、鮮やかな感覚として甦ります。

(ここで紹介する本は、東京天狼院・天狼院BOXの≪のろチャンネルの棚≫に置いております)

 

【一緒に観たい映画】

『おおかみこどもの雨と雪』細谷守

お姉ちゃんの雪は活発で大食らいで、ちょっとわがまま。弟の雨はひ弱で内気。その雨が初めて自分で命がけで狩りをしたシーンが個人的にとても好きです。

(文庫版を、同じく東京天狼院・天狼院BOXの≪のろチャンネルの棚≫に置いております)


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