自分は川代紗生の「中の人」だと思えば、たいていの悩みはなんとかなる《川代ノート》
川代紗生をやめたいな、と思うことが、ときどきある。いや、ときどきじゃないかも。結構あるかも。
なんだか、自分が自分じゃなくなるような。自分が自分と分離して、ずっと遠くの方に離れていってしまうような、そんな感じ。
ああ、たしか、大学生の頃もそんな風に考えることが結構あったように思う。
不安定な大学生というのは、とにかくいかに自分のキャラクターを作るかで精一杯で、自分の地位を構築することと、周りのみんなよりも大学生活という時間を有効に使えているという実感が、自分のことを支えてくれていた。
「キャラクター」というものが自分の生活をこれほど左右するだなんて、思ってもみなかった。恐ろしいな、と思ったのは、一度そのキャラクターが固定されてしまうと、自分もそれに近づけようと無意識のうちに考えてしまうことだった。
たとえばお笑いキャラになったのなら、常に笑いを取るキャラにならないといけない。たとえばクズキャラなら、授業に真面目に出たりしたらつまらない。たとえばババアキャラなら、落ち着いた大人の女になるのなんて、絶対に無理。たとえばレズキャラなら、かわいい一年生の女の子に抱きついて「あ〜もうかわいいね〜本当に〜」とか言わないといけない、とか。
そしてみんな、自分に求められているキャラクターと、本当の自分の乖離に悩み苦しむ。本当の俺はこんなんじゃないのに。本当の私はもっとこういうことがしたいのに。一度強く印象付けられたキャラクターを揺るがすためには、コミュニティ全体に広がるような大きな事件が必要で、その噂のひろがる範囲が広くなければ、キャラクターを変更しても意味がない。下手なことをすると痛手を負う。
一度自分が獲得したキャラクターというのは、あくまでもそのコミュニティ全体のバランスで成り立っているのだ。キャラ被りは許されないし、「ここにこういう感じのキャラがいたら全体が盛り上がる」という無言の圧力によって、徐々に自分のキャラクターというものが確立されていく。
私は結局大学の中で、自分のキャラというものが見つけられなくて、苦しかった覚えがある。自分のことを何も知らない人に勝手に「さきってこういう子だよね」とキャラ付けされるのも嫌、でもキャラがなかったらなかったで、ふわふわとして落ち着かない。
自分の本音とか、一番自分らしくいられる自分とか、そういうのって、どうやって出していったらいいんだろう。
それが大学生の頃は、ずっと悩みだった。
でも、今になって思う。
思えばあれは、社会の縮図だったのだな、と。
私がいた大学のコミュニティは、これから出て行く社会の小さくまとまった版にすぎなかったのだ。
社会に出ると、「キャラクター」というものを与えられることはないけれど、今度は「ブランディング」が必要になる。「この人は、こういう人」というイメージをつけていき、それをじわじわと口コミによって浸透させて行く。これはまさに私が悩んでいたキャラクター付けと同じ現象だった。
あるいは、私たちは大学という小さな輪の中で、ビジネスの予行練習をしていたのかもしれなかった。けれども、社会に出たら、失敗は許されない。一度ついてしまった印象は、サークルを抜けたらリセット、なんてことはできない。自分が自分として生きていく限り、一生自分にまとわり続けるのだ。
そんなことをぼんやり考えていると、ふと怖くなることがあるのだ。
ああ、私は川代紗生から一生逃げることはできないんだ、と。
たとえ自分をやめてしまいたいと思っても、投げ出して放棄して、どっかに消えてしまいたいと思っても、川代紗生はずっと私のあとを追いかけてくる。どこまでもどこまでも。私はずっと私の面倒を見続けるしかないし、どこかに置いてけぼりにしておくなんてことは絶対にできない。
でもだからこそ、怖いな、と思うことがある。急に背筋がすっと冷えることが。こいつがしてきたことの責任のすべてを、私は背負わなければならない。途中でリセットできない。ということは、失敗したら、尻拭いをするのは、私なんだ。
大人になるということは、そういうことだとわかっているはずなのに、どうしてか怖いのだ。怖くてたまらない。いざとなったら逃げるということができない事実が、本当に怖いのだ。たとえば、別の誰かになりたいと思っても、入れ替わることもできないし、真似することもできない。自分は自分として、自分のキャラクターを背負い、自分のブランディングをしながら、生きていくしかない。
一生。あと60年。下手したらあと80年。
別にずっと自分として生きていくことは普通のことなのに、どうしてだか、「川代紗生をやめられない」という事実が、怖くて怖くてたまらなくなることがある。
恐怖で震えて、泣きたくなるのだ。赤ん坊みたいに。そして、大好きな誰かに、思いっきり抱きしめられて、甘やかされて、自分は愛されていると安心したくなる。
そんなとき、辛くて心臓が痛くなるとき、私はこう考えることにしている。
私は、川代紗生の「中の人」なんだ、と。
あくまでもこの世に生きている「川代紗生」はキャラクターであって、自分はそれを演じている、操縦している「中の人」に過ぎない。
いざとなったら自分は皮を剥いで深呼吸して、ただの「自分」として生きていくことができる。
そうだ。
他の誰でもなく、みんなから求められている自分像でもなく、「ただの人間」でいられる時間が、人間には必要なのだ。
何も背負っていない、普通の人として生きる。自分はただの動物。
そんな風に思える時間が、少しでもいい、あるだけで、気持ちはとても楽になる。
きっと、そんな風に何者でもないただの「自分」でいられる相手が、本当に相性の良い相手なんだろうな、とふと思う。
「この人の前ではこういうキャラだから、この選択肢を取ろう」
「良妻賢母っぽいと思われてるから、家事を手伝おう」
「女の子っぽい子が好きって言ってたから、かわいいリボンがついてるやつを選ぼう」
そうやって自分のキャラを無意識のうちに設定して、ブランディングをして、自分と相手のバランスを取ろうとしてしまうような相手だと、結局無理してしまうんだろうな、と思う。
何者でもない、ただの人。
ただの動物同士として向き合える相手。
そういう人がそばにいてくれるのが、人間にとって、一番の幸せなんじゃないかなあ。
私には、何者でもない、ただの人でいられる場所がある。
それがここだ。この場所だ。
文章を書いているとき、私は一番正直だ。私の心が、気持ちが、そっくりそのまま言葉としてあらわれるのを見るのは、何よりも楽しい。
いろいろな文体を試したり、レトリックに挑戦してみたり、フィクションにしたり、コロコロと色は変えるものの、言葉として現れる私は、確実に、私なのだ。
キャラクターとしての川代紗生ではなく、ただの、人間としての、動物としての私なのだ。
少し肩の力を抜いて、ただの人間として言葉を紡ぐ。
仮面をかぶることに疲れたら。
みんなが求める「自分像」を再現することに飽きてきたら。
自分とキャラクターの乖離が大きすぎて、不安に押しつぶされそうになったら。
大丈夫。深呼吸して考えればいい。そうして一度声に出して言ってみるのだ。
「私は川代紗生の中の人にすぎない」
気休め程度でも、いい。
それで少しでも前を向けるようになるのなら、どうとでもなればいいんだよ。
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❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。
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