「やらなきゃいけない」がのしかかって、崩れ落ちそうになったら《まみこ手帳》
「大変だ!」
事態は深刻でした。
「そろそろ買わなくては……!わたしの肩が、死ぬ!」
私は真剣な面持ちで母に訴えました。
何事かというと、
リビングのカウンターに置いてある『アンメルツヨコヨコ』という塗り薬が
残りわずかだったのです。
私は毎日、寝る前にこれを首から肩にかけて塗るという日課があります。
スースーして快適に眠りにつくことができるのですが、
これを怠ると、朝起きたときに首を曲げるとゴキゴキとえぐい音がするのです。
私は肩凝りがひどい。本当にひどい。しかも慢性的なやつ。
ちゃんとしたマッサージを受けたことはないのですが、
もしその道のプロの方にみてもらったら、
「凝ってますねぇ〜」とかいう社交辞令的なノリを通り越して
「これは……」と引かれるのではないか。
そんな張り具合かと……。
いやぁ、原因はわかっておるのです。
単純なことに、これは荷物の問題なのです。
もともとあまり自覚はなかったのですが、
私は毎日持ち歩く荷物がどうやら他の人より多すぎるらしい。
私はどこへ行くときも欠かさず、
ノートパソコン、本2〜3冊、ペットボトルのお茶を常備しています。
ひとつでも忘れるとどうも落ち着かない。
これらのアイテムだけでも、
世のお姉さん方が持っているような
小洒落たハンドバッグなんぞにはまず収まりきりません。
だからもちろん、私はあんなコンパクトな鞄なんか持っていないのですが。
むしろ、あんなのに何が入るって言うんだ!とも思う。
せいぜいスマホと定期くらいではないか!?
うーん。いや、ここではひねくれモードは抑えておきましょう。
そんなんなので、でっかいリュックを背負うか、
トートバッグを2個持ちするのが私の基本スタイルです。
リュックの紐なんてもう、今にも千切れそうな痛々しい姿です。
というか、実際何回も千切れては、
高校のときにもらった裁縫セットを引っ張り出して
応急処置をしてだましだまし使っているのです。
この間、荷物の入ったリュックを
試しに風呂場の体重計に載っけてみたら、
総重量で6kgありました。
たとえ授業がたったの1コマしかないような日だろうと、
私は当たり前のように米袋1つ分とちょっとを背負って通学していたみたいです。どうやら。
あんまりパンパンな荷物を抱えて無様な姿で歩くので、
心優しい友人が時折「どれか持とうか?」と声をかけてくれます。
しかし私はいつも思わず、
「いや、いい。こんくらい持てる」と意地を張って親切を一掃してしまいます。
それでいて、肩凝りはどんどん悪化していくのです。
本末転倒。言ってみれば、ただのアホです。
私は昔から、見栄っ張りでした。
いつだって一人で一気に抱え込みすぎるのです。
「私はこんなにできるんだよ」と周りに見せつけたかったのかもしれません。
ちっぽけなプライドにずっと支配されていたのです。
そして意地を張って自分から抱え込んだくせに、
しばしばパンクしてはイライラを周りにぶつけてしまうこともありました。
冷静に考えれば本当にアホでしかないのですが、
私は長い間、そんな負のスパイラルにはまってしまっていたのです。
それでも、私なりの解決法がありました。
「荷物を減らす」ということです。
そもそも持っていく荷物の量を減らすことで
自分の負担を抑えるようにしました。
一番大事なものだけを残して
他のものはやめてしまうか、手を抜いても仕方ないと思うようにしました。
中学、高校時代の私にとっては勉強が一番でした。
スケジュールが詰め詰めになって身も心も擦り減ってしまったとき、
私は荷物を減らすことにしました。
部活は途中からそれほど熱を入れなくなりました。習い事もやめてしまいました。
そうやって荷物を一気に抱えたり、捨てたりしながら生きてきました。
今まではなんとか、それでどうにかなっていたのです。
最近、私はまたパンクしそうになりました。
大学のゼミのこと、家のこと、天狼院のこと、他のバイトのこと……。
やたらと自分から抱えておいて、また爆発寸前になりました。
しかし、いつもの解決法は通用しそうにありませんでした。
今回は違った。
何度考えてみても、どれも大切だったのです。
今やめるわけにはいかないものばかりでした。
手を抜くわけにはいかないものばかりでした。
そしてやっと気づいたことがありました。
他にも、荷物を運びきる方法があったじゃないか。
私の周りにはいつも「無理しすぎないでね」「手伝うよ」と言ってくれる人たちがたくさんいたのです。
彼らはいつもそう言ってくれたのに、私はまるで耳を傾けなかったのです。
聞き流して、無下にしていたのです。
人に荷物を持ってもらうなんて、よくないことだと思っていました。
自分一人でやりきることが偉いのだと思っていました。
私は本当に人に頼るのが下手くそでした。
頼ることは疲れることだ。
人に借りをつくるなんて耐えられない。
どうせ私がいなきゃ成り立たない。
心のどこかでそんな風に思っていたのかもしれません。
自分の能力を過信して、その上周りの人たちの力を信用していなかったのです。
でも、そんなのは独りよがりな思い違いでした。
今抱えているもの、全部運びきりたい。
本気でそう思って、私はやっと認めることができました。
一人じゃ無理だ。
そしてハッとしました。
ああ、なんだ。
本当に叶えたいのなら。
叶えなくちゃいけないことなら。
人の力を借りてもいいんだ。
見栄なんて、要らないじゃないか。
「全部一人でやった」なんてことが、一体何の自慢になるんだ。
仕事ができるっていうのは
一人で何でもできるっていうことじゃない。
適切なタイミングで適切な相手と手を組んで補完し合える。頼り合える。
そんな人こそが、本当に「できる人」なのであって、
信頼される人なのではないか。
頼る、というときに、確かに大変なこともあります。
「手伝うよ」と言われても役割を振るために
また頭を使わなくてはいけないし、説明するのも一苦労です。
だからといって、人に頼ることを避け続けていると、孤独なままです。
信頼されていないとわかった人たちは
いずれ自分から離れていってしまうかもしれない。
だって、自分に一切期待をしていない人と一緒にいるのは辛いものですよね。
それでも、信じるというのは無防備で、危なっかしい行為です。
相手の実績が目に見えないとなかなか信用できないかもしれません。
何か根拠がなきゃ、そう簡単に人を信じられないかもしれません。
私は、高校時代にある悩みで苦しんでいたときに母に言われた言葉を思い出しました。
「先輩に相談してみればいいじゃない」
「でも、言いづらいよ。迷惑に思うかもしれない」
「そんなことないよ。あんたが先輩だったら迷惑だなんて思う?思わないでしょ。
きっと嬉しいって思うはずだよ。頼られるのって、嬉しいものなんだよ」
ああ、そういうことだったのか、と今になってわかったような気がします。
私が皆の役に立ちたいと思うのと同じように
私の力になりたいと思ってくれる人たちがいたのです。
それこそが、私が今、周りの人たちを信じようと思った根拠でした。
だって、私は誰より知っていたのです。
頼られたとき、誰かの役に立てると思ったとき、
自分の内側から、パワーが湧いてくること。
自分でも知らなかった自分の新たな能力が見つかること。
その瞬間が、どれほど喜ばしいものか。
頼られるのは、嬉しいこと。
だから、もっと人を頼っていいんだ。
本当に必要なときには、一緒に荷物を運んでもらってもいいんだ。
そう思えるようになりました。
”頼り上手”になればいいんだ。
もしかしたら、そろそろ、
このひどい肩凝りも治るかもしれません。
母には大騒ぎしちゃったけど、そうだなぁ。
塗り薬はもう、要らないかもね。
その代わり、友人に一度肩たたきでも頼んでみようかな。
いや、決してこき使っているわけではないですよ。
まさかまさか。
えーと、ほら、頼られるのって、嬉しいことでしょう?
そう、だから頼ってみようと思いましてね。
そうそう。うん、そうなんですよ。
彼女が内に秘めたる、かもしれない、
肩たたきスキルを信じて……!!
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