【新入社員日記】「本当にこの道を選んで正解だったのかな」と思うときは《川代ノート》
自分の選択は正しかったのかな、と考えることが、しばしばあある。
たとえば、いまみたいに社会人になりたてのときなどは、とくにそうだ。
人生は選択の連続である、なんてシェイクスピアも言ったように、私たち人間は常に選択をせまられる。生きている限り、何かを選び続けなければならない。
私たちは、朝、目がさめたその瞬間から選択をする。目を開けるかどうか。このまま起きて生活をはじめるのか、それとも二度寝するのか。
朝ごはんは何を食べるのか、今日はどんなメイクでいくのか、アイシャドウは何色にするか、髪型はストレートにするか、コテで巻いていくか、何時に家を出て、何時の電車に乗って会社に行くのか。
仕事はどれくらい終わらせて帰るのか。残業するのか、しないのか。誰に挨拶して帰るのか。夕食は外食するのか、買って帰るのか、残り物で料理するのか。
寝る前は何をするか。お風呂には何の入浴剤を入れるか。髪はかわかすか、自然乾燥か。寝る前にパソコンを開くか、メールを返してから寝るか、それとももう寝ていたことにして、明日の朝返すのか。
起きてから眠るまで、いつも何かを選び続ける。それが人生だ。
選択にもいろいろある。何を食べようか、何を着ようかという小さな選択もあるし、昨年の私が思い悩んでいたような、どの会社に入ろうかなどという、人生の岐路になるとても大きな選択もある。
就職活動のとき、私はいままでにないくらい思い悩んだ。私はもともと、何を食べるかなどの小さなことでは、何十分も悩んでしまうくらい優柔不断だが、重大な選択をするときは、秒速で決断できる性格だ。直感的に「コレ!」と思ったらほとんど悩まない。パソコンなど高い買い物をするときも、どこの国に旅行に行くのか選ぶときも直感に従って決めるし、大学受験のときも、ほとんど迷わずに早稲田を目指すことを決めた。大きな選択にかんしては、勘が働いてくれると信じているのかもしれない。
ただ、就職活動のときはさすがに、ものすごく悩んでしまった。世の中には無限大に会社があるし、いろいろなビジネスやサービスがある。だから自己分析も悩む。そもそも自己分析したところで、どんどん「自分っていったいなに? 私ってなに? なにがしたいの? なにが好きなの?」とコアな部分を求めてしまって、結局面接官が求めていないような宇宙のことや過去のトラウマにまで発展しだしたりもする。そもそも間に合わせの自己分析で仮初めの自分像を作り上げたところで、本当にやりたいことが見つかるわけがない。たとえ自己分析して自分のやりたいことや好きなことがわかったとしても、さらに今度は好きなことを仕事にするか否かという選択肢もあらわれる。
好きなことこそ仕事にせよと言う大人もいるし、向いていることと好きなことは違うから、履き違えるなと言う人もいる。
好きなことなんて趣味でやってればいいんだから、とりあえず安定していてきちんと休みも取れてお金もちゃんともらえるホワイト企業に入りなさいと言う人もいるし、若いうちの苦労は買ってでもしろ、自分を鍛えろ、だから激務の会社に入れと言う人もいる。
そもそも会社に入らないと生活できないと思っている今の若者はだめだと言う人もいるし、まず三年は会社での経験をつまないと社会人としてやっていけないぞと言う人もいる。
転職にきくように、コンサルとか入っておいたほうがいいんじゃないのと言う人もいるし、ひとつこれと決めたものを貫き通すのが仕事であって、はじめから転職するつもりで仕事なんか選ぶなと言う人もいる。
金融は固いから入っても辛いよと言う人もいるし、サービス業は力仕事だからよっぽど根性ないとやっていけないと言う人もいるし、商社は女を捨てる覚悟がないとつとまらないと言う人もいるし、IT企業はイケイケな人種が多いからお前には合ってないと言う人もいる。
もう、じゃあ何を選べば正解なんだよ! と、混乱して混乱して、頼みの自分の直感も全然働いてくれないし、何を選べばいいのかわからない。
ネットを開けば就活について、仕事について、ビジネスについて大人があれこれ語る。今の日本の就活の仕組みは悪だと主張する記事に、うんうんそうだそうだ、こんなに苦しむのは今の就活システムのせいだよな、と思って安心したかと思えば、自分がうまくいかないのを就活の慣習のせいにしているようなやつはどんな仕事をしてもやっていけない、と言う別の記事も見つかったりして、ますます混乱する。どの意見ももっともらしくきこえてしまう。
爆発しそうだ。いろんな人がいろんなことを言う。世界は広い。いろんな人が、いろんな意見を持っていて、そして、発信する。今は誰でも発信できる時代で、そして誰でもそれを知る権利がある。公開された情報は知ることができる。
それがむしろ、もっともっと、自分の選べない苦しさを助長する。自由というのは、幸せだけれど、難しいなと思う。苦しい。選ぶというのは、苦しい。たいへんなのだ。私のまわりにはいろいろな人がいて、いろいろな大人がいて、みんなそれぞれに働いている。大変そうに働いている人もいれば、楽しそうに働いている人もいる。仕事に全力でいる人もいれば、仕事は最低限で、プライベートに時間をかける人もいる。その誰もが、自分の意見を言う。この選択が正しい、と言う。
でも就活生の私は、わからなかった。全然わからなかった。何を選べばいいのか、どの決断が正しいのか。何を選んだとすれば、自分は正しいと言ってもらえるのか、自分で正しかったと思えるのか。
いろいろな情報が頭の中で飽和して、わけがわからない。直感なんて全然当てにできない。どうしよう、どうしよう、と悩み続けたけれど、全然決められないから、結局は手当たり次第、気になった会社に面接に行った。そして最終的に頼れるのはやっぱり勘で、ピンときた会社に入社を決めたけれど、社会人として働き始めた今だって、この会社に入った選択が本当に正しかったのかなんて、わからないのだ。
情報が多い。もういらないと思うくらいだけれど、それでもやっぱり、インターネットで情報をたくさん取り入れるという、子供の頃から染み付いた経験はなくならない。見たくない見たくないと思っても、結局は見てしまう。Twitterで、Facebookで、高校や大学の同級生の動向をチェックしてしまう。みんながどんな会社で働いているのか、どんな風に働いているのか、うまくいっているのか、研修は辛いのか、もうすでに上司から評価されているのか、仕事を楽しんでいるのか、とか。
旧友が楽しそうに働いている近況報告なんかを見ると、不安になる。
それに、同期の仲間が楽しそうに働いていると、もっと不安になる。隣の芝生を羨んでいるだけだと、頭ではわかっていても。ああ自分よりもうまくやっているんだ。すごいなあ、私ももっと頑張らなきゃ。焦る一方で、どうしても、過去のことを振り返ってしまう。
私も今の仕事、楽しいけど、今の会社で働けて幸せ、って思うけど、でも、みんなの仕事の方が、なんか楽しそうに見える。
私、ここで、必要とされてるのかな。
私は本当に、この会社に入ってよかったのかな。
もしかしたら、もう少し就活してたら、もっともっとちゃんと考えてたら、違う未来があったんじゃないかな。
あのとき、あっちを選んでおいた方が、よかったんじゃないかな。
私、本当に、このままで、いいのかな。
考えれば考えるほど、不安な気持ちが、現れては消えて。
そのたびに、大丈夫、自分の選択は間違ってなかった、と言い聞かせる。その繰り返し。
もしあのときああしていたら、こうしていれば、考えても仕方のない「たられば」の繰り返し。
もやもやして、不安になる。
そんな風に悩んでいたとき、ふと、私の知る人間のなかで、一番、幸せそうに見える人と、ディズニーランドに行ったときのことを思い出した。
せっかくのディズニーランドだというのに、あいにくのザーザーぶりの雨で、私たちは、傘をさしながらパーク内を、かじかんで感覚のない足でむりやり歩いて、ぶるぶると震えながらピザを食べた。
お目当ては話題になったプロジェクションマッピングのショーで、運良くチケットが取れた私たちは、なんとか傘をさし、濡れないように席に座って、ショーがはじまるのを待っていた。
すると、キャストの人が、「もうまもなく開演です、傘をお持ちの方は傘を閉じてください」とアナウンスをした。
おそらくうしろの人が見えないからということなのだろうが、まさか真冬に雨に打たれてショーを見る羽目になるとは思ってもいなかった私は、少し不機嫌になって、思わず
「はあ、ディズニーで雨とか最悪だね。他の日にすればよかったね、寒いし」と愚痴を言ってしまった。
すると、彼は
「そうだね、でも、雨の日のプロジェクションマッピング、最高なんだって。雨に光が反射してきらきらして、すごく綺麗なんだって、ニュースで見たよ」
と笑顔で私に言った。
私は、震えながらも、彼が自信満々に言うので、そうか、と思って期待して待っていた。
すると、どうだ。
ショーは、彼が言った通り、本当に、綺麗だった。
雨のつぶひとつひとつに、光が反射してきらきらしていて、宝石みたいだった。シンデレラ城全部が、輝いて、光って、涙が出るほど、綺麗だった。
「すごいね、本当にきれい!」と私が言うと、彼は
「うん、やっぱり、今日来れて、雨の日に来れて、よかったね」と、自然に口角をあげて、嬉しそうに言った。
そのときの彼の幸せそうな顔を思い出して、私は、はっとした。
彼は終始、そういう人なのだ。
だから彼は幸せなのだと、思い出した瞬間、わかった。
彼はいつもニコニコしていて、前向きで、何をしていても楽しそうだ。仕事をしていても、遊んでいても、休んでいても、友達と会っていても。
彼の口から「ああすればよかった」「こうしておけばよかった」なんて言葉が出てきたのは、ほとんど聞いたことがない。
彼の口から出るのは、「ああしてよかった」「こうしてよかった」という、プラスの言葉だけだ。どんなに悪いことがあっても、彼はいつも、「でも、おかげでこれができたからよかった」とか、「悪いことがあったからこそ、こう気がついたからよかった」と、プラスの言葉を言う。
私はようやく気がついた。
幸せな人というのは、正しい選択ができた人ではなくて、自分がした選択が正しかった、と思える理由をつくるのが、うまい人なのだ。
「あのときああすればよかったのに」
「こうすればもっとうまくいったのに」
そんな風に、自分のした選択がいかに失敗だったかを後悔するんじゃなくて、自分のした決断が正解だったと、思い込むこと。正解だった理由を見つけること。それがとてもうまい。
私たちはいつも、選択をし続けている。他人が選択をするのを、横で見ている。
そして選択しつつも、不安に思っている。いつも自信満々に選択をしている人なんていない。
みんな「本当に自分が選んだ道は正しかったのかな」「あのときあっちを選んでおいた方がよかったんじゃないか」といつも考えながら、でも、もう巻き戻しなんかできないなら、頑張るしかない。
だからこそ他人のことが気になる。少し前まで自分と似たような環境にいて、自分とは別の選択をした人のことはもっと気になる。他人の方が幸せに見えると、自分が選んだ道が間違いだったんじゃないかと思えてくるからだ。
どんなときでも、仕事でも恋愛でも趣味でも、生きているうえでは常に何かを選び続けなければならない。
なら、重要なのは何を選ぶかではなくて、いかに、自分が選んだものが、自分にとって正解だったと思えるように努力できるか、なのだ。
結局、幸せな人というのはどんな選択も「正解だった」と言えるような努力を常にしている人や、正解だった理由を作れる人だ。
人が他人を妬んだり、蹴落とそうとしたり、悪口を言ったりするのは、その人の選択を「間違い」だったことにすることで、自分の選択肢を「正しい」ことにしたいからなのかもしれない。
ああすればよかったと後悔するのは、つまり、自分がした選択を正しいものにするための努力を怠るための、言い訳にすぎないのかもしれない。だって、努力するのは面倒だ。あの選択が間違いだった、と思ってあきらめる方が、楽だ。
スティーブ・ジョブズでも、ラリー・ペイジでも、バラク・オバマでも、孫正義でも、岡本太郎でも、宮崎駿でも、誰でも、常に選択をしている。選択をしているという条件は、みんな同じだ。
でもそのみんなが成功したのは、成功者と呼ばれる地位にまでのぼりつめたのは、みんなに正しい選択肢を見極める洞察力があったからだなんて、私には思えない。
きっとみんな、失敗している。何度も、何度も。
スティーブ・ジョブズだって少しは思ったはずだ。
「本当にこのパソコンは売れるのかな」
「iPhoneはみんなに受け入れてもらえるのかな」
「あのとき俺があいつを雇っていなければ、俺がこんな目に合うこともなかったのに」
今思えば、ジョブズがアップルから追い出されたおかげでピクサーができたのだから、あのとき追い出されてよかったけれど、きっと当時は、あのときああしていなければ、と何度も悔やんだはずだ。
少しも不安に思わないであそこまでいったとしたら、彼が本当に超人だったと思わざるを得ないけれど。
どんな成功者だって、結果が出るまでは怖い。いつも不安と戦いながら生きている。
でもやっぱり成功できる人や、幸せに生きている人は、自分の選んだ道に責任を持っているのだ。失敗したなら失敗したで、のちのち「あのとき失敗したおかげで、ヒントが得られました。あの選択をしていなければ、今の自分の幸せはなかったのかもしれない」と言えるようになるために、努力をできるのが、成功者なのだ。
他人を傷つけたとか、殺してしまったとか、そういう他人に関わる選択肢なら別だし、反省するべきだと思うけれど、自分の人生の岐路に関することなら「選ばなければよかった道」なんて、存在しないのだ、きっと。
あっちにしておけばよかったと思う人は一生、「間違い」の道を選び続けるし、こっちにしてよかったと思える人は、一生、「正しい」道を選び続ける。
そういうものだと思う。
新入社員、いまだ三ヶ月もたっていない。
「この仕事に決めてよかったのかな」
「私、ここにいて、迷惑になってないかな」
そう不安に思って夜も眠れなくなることも、多々ある。
でも、いろいろ考えて、ぐるぐると考えて考えて、私はやっぱり、この道を選んでよかったと思えるようになりはじめているのは、私が少しは、この道を正解にするための行動を、起こせているからだろうか。
私は、どのときも、どんな瞬間も「この道を選んでよかった」と言えるような、かっこいい人になりたい。
「大事なのはどの会社に入るかじゃない、入った会社で何をするかだ」
いつかどこかの偉い大人が言っていて、当時は馬鹿にしていた言葉の意味を、私はようやく、理解することができたのかもしれない。
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