僕が恋に落ちない理由〜ときめきリミッター〜
午前7時07分。
僕はもうすでに、天狼院に来て「仕事」を始めている。
週末は福岡天狼院と福岡をメインに据えた雑誌『READING LIFE』の準備のために現地に向かう。
今日の最初の「仕事」はその準備だった。
僕は、そもそも飛行機が好きだし、福岡という街にとろとろに恋しているから、「仕事」と言っても、おそらく9割方の人がその言葉を舌に載せた時の感覚とはまるで違うのだと思う。
そこには、倦怠感も悲壮感も、ましてや絶望感もない。
それとは正反対に、まるで少年時代に海や遊園地に行くときのような、ともすれば無意識に鼻歌が出てしまうくらいの高揚感がある。
そう、僕にとって「仕事」とは、実に希望に満ち溢れた言葉で、その言葉を口にする時、悦楽と享楽と希望が綯い交ぜになった感情が自然と湧き起こる。
福岡へのメールをひとつ書き終えた後に、ふと、窓の外に視線を移す。
天狼院がある東通りのいわば「イースト・エンド」は、雑司が谷霊園の方から、天狼院に向ってほんの少し下り坂になっていて、天狼院の東側のカウンター席からはその通りを行き交う人を一望できる。
今日も、通勤、通学のために道を急ぐ人たちがいる。
唐突に、彼女の言葉を思い出す。
「ときめきってなんだろうって思うんです。最近、人にときめくことがなくて」
この前の日曜日のことだった。
天狼院では、「ときめきラボ」という新しいラボが始まって、そこに来てくれた若い女性がそう言ったのだった。
彼女は清楚というよりは、清廉といったほうがいいような雰囲気をまとっていて、服装もそういった装いで、ともかく「清らか」という文字が相応しい佇まいをしていた。それでいて、ダンサーでもあるということに、違和感とともにそれ以上に面白さを覚えた。
そのイベントページにも書いたが、彼女はスタンダールの『恋愛論』を以前に天狼院で買っていて、僕は高校時代にその本を読んでいたから、彼女のある種の焦燥がわかる気がした。
僕も、まるで同じだった。
人にときめくことがない。あったとしても、まるでときめきの記憶喪失になったかのように、その日寝る前までには、ときめきをもたらした存在は元より、ときめきがあったことすら忘れてしまう。
ときめきを打ち消すのは決まって「未来」だった。
僕が想い描く「未来」は、鮮烈なほどに輝いていて、そのほかのほとんどを「些事」に書き換えてしまう力があった。
そう、まるで、太陽によって、本来ならば輝いているはずの恒星たちが昼間まったく見えないように、強烈な「未来」はささやかに光を放つことごとくを打ち消してしまうのだろう。
帰りしな、僕は彼女に言った。
「もしかして、人にときめくことがないことはいいことなのかも知れません」
彼女は不思議そうな顔をして、けれども、何かを期待するかのように僕を見た。
「たぶん、自分の未来にときめいているとき、人は他人にときめかなくともいいのかも知れません」
ふっと、顔に光が射すように、彼女は微笑んだ。
笑顔のままで彼女はこう言った。
「今日ここに来て、良かったです」
おそらく、そうなのだろうと思った。
例えば、アントレプレナーとして、企業のローンチに挑むとき、人は寝食を忘れて仕事にかかりっきりになる。
そのとき、未来は燦然と輝いていて、人にときめく余地はほとんど残されていない。
例えば、否応なく戦場におもむき、生きるか死ぬか知れないとき、人はときめく余裕すらないだろう。
例えば、映画『シャイン』で天才ピアニストのデビッド・ヘルフゴッドがロンドンの音楽院で弦が弾け飛んでしまうほどにピアノに打ち込んでいたとき、彼の日常にときめきが介在するすきまはなかった。
朝起きた瞬間から、寝る寸前まで、そのことだけを考える。
ご飯を食べているときも、風呂に入っているときも、移動をしているときも、
ありとあらゆる時間を、ほとんど、そのことだけに没頭する。
ひどいときには、夢にまで出てきて、朝起きればアイデアが出ていたりする。
そう、夢を追う人は、それでいい。
未来にときめき、恋していればいいのだと思った。
―そんな文章を、昨日、ここにアップしようと思った。
ところが、昨晩、遅くに彼女からメッセージが入っていた。
もちろん、文面をそのまま書くことはできないが、要約するとこういうことが書いてあった。
「ときめくことを恐れている自分」がいるような気がしてきました。
おそらく、僕はその文面を見て、目を見開いたのだろうと思う。
少なくとも、そんな思いになった。
夢を追う人は、未来にときめいていればいい。
それは、彼女に向けただけではなく、自分自身に対しての言葉だったことに気づいた。
彼女の言うとおりだった。
僕は、自分自身をよく知っていた。
夢や未来に強烈にときめく人は、ひとたび人に対して真っ直ぐなときめきを覚えてしまうと、その人を強烈に欲するようになる。
僕もそうだった。
その人との未来を夢想し、何としてでも手に入れようとする。
朝起きた瞬間から、寝る寸前まで、その人のことだけを考える。
ご飯を食べているときも、風呂に入っているときも、移動をしているときも、
ありとあらゆる時間を、ほとんど、その人のことだけが頭に思い描かれる。
ひどいときには、夢にまで出てきて、意味もなく喪失感を覚え、朝起きれば泣いていたりする。
幸い、と言っていいのか、もはや判然としないが、今僕は「未来」に集中できている。
もし、それがあるひとつの出会いによって、ある一人の存在によって、一瞬にして崩れるとしたら―
考えただけでも怖くなる。
それはまるで、いつかは来ると言われている災害を恐れるようなもので、すぐに打ち消してしまいたくなるほどに、怖いイメージだった。
そう、彼女がいうように、僕もときめくことを恐れているのかも知れない。
彼女の文面にはこうあった。
「今の自分、未来の自分へのときめきを消したくないから、ときめくことを恐れているのかも知れません」
その言葉が、すべてを言い尽くしているように思えた。
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