【京都天狼院通信Vol 20:「せかいいちのねこ」を片手に。】
*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。
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記事:池田瑠里子(チーム天狼院)
突然ですが、私の東京の実家には、1体の、すごくみすぼらしい猫のぬいぐるみがいます。
すごく汚れていて、毛は抜け落ちて、穴が空きすぎてつぎはぎだらけの、茶色い猫のぬいぐるみ。
私の弟は、そのぬいぐるみが、本当に大好きでした。
どんなときでも、持ち歩いて、一緒に過ごしていました。
寝る時ももちろん一緒。笑う時も、泣く時も一緒。
旅行に行く時も必ずカバンに入れて連れて行く。
学校にも持っていく。トイレにも持っていく。どこにだって、いつも一緒。
きっと弟の、大切な「ともだち」だったのだと思います。
小さい頃の写真を見返すと、ぬいぐるみの手をぎゅっと握って立っている弟の姿が写真によく写っていました。
そんなに毎日毎日、持って歩くから、どんどん毛は抜け落ちて。穴が空いて綿は抜ける……。
かわいそうだからと、母がよく、パッチワークのように、フェルトや布でつぎはぎをするのですが、ちょうどいい布がなくて、変な色のつぎはぎばっかり!
どんどんフランケンシュタインみたいに、以前の面影がどんどん消えていって、
親戚のおばさんに「なにそれ、狸のぬいぐるみ?!」なんて言われる始末。
そんな状態になってしまっても、私の弟は、その猫のぬいぐるみが大好きで、ひとときも離そうとしませんでした。
でも、いつの日か、気がついたら、弟はどんどん成長して、
そのぬいぐるみと、ベッドで一緒に寝ることはなくなり、どこかに連れて行くこともなくなりました。
最初は、小学校高学年でも、中学生の時でも、大事な旅行などに持ち歩こうとしていたのです!
ただ、結構いい年齢の男の子が、ぬいぐるみを持って、修学旅行とかいくの、どうなの? なんて姉である私は心にもない言葉を投げつけ、その言葉が引き金だったのでしょうか。
本当にだんだん、徐々に、弟は、そのぬいぐるみから離れていくようになりました。
こんなみすぼらしいぬいぐるみを持ち歩くなんて、恥ずかしいから。
みんな周りの人がそういうから。
もちろん、そのぬいぐるみと過ごす以上に、たくさん楽しいことが、世の中にはもっともっと溢れていることに、きっと弟本人も気がついたから。
それでも、母も弟も、そのぬいぐるみを捨てることはありませんでした。
持ち歩かなくなっても、もう一緒に寝ることはなくなっても、捨てることはできない。
ワタも抜けて、毛も一本もない、そのぬいぐるみは、今でも弟の部屋の本棚にひっそりと座っているのです。
京都天狼院は、1冊の絵本があります。
ヒグチユウコさんの絵本『せかいいちのねこ』(白泉社)。
私が選んで、この本を棚に入れました。とっても大好きな本なのです。
主人公のぬいぐるみのニャンコは、男の子に大事にされている猫のぬいぐるみ。
でも、いつか、男の子が自分に飽きてしまって、愛されなくなってしまうのがわかっていて、でもさみしくて、
どうにかずっとずっと仲良くしてもらうために、本物の猫になろう、とするお話なのです。
私は、この絵本を読むと必ず、あの、汚く、みすぼらしく、ボロボロのぬいぐるみを思い出します。
あの猫のぬいぐるみは、弟と過ごしていた頃、どんな気持ちだったのだろう。
まるで世論を体現したような、姉の私の言葉、「こんな猫のぬいぐるみをいい年して持って歩くなんて恥ずかしい」、その言葉を、どう受け止めていたのだろう。
今、持ち主のいない、とっても静かな部屋の中で、本棚にたった一人で座っているのは、どんな気持ちなんだろう。
先日弟に会った時に、ふとこの絵本のことを思い出し、聞いてみました。
「ねえ、あのぼろぼろの猫のぬいぐるみ、覚えてる?」と。
弟は、あーにゃんたね! と笑いながら、覚えてるよ、あれ、ちゃんとママ、捨ててないよね、なんていいながら、すごく嬉しそうにしていて。
こんなふうに、誰かに大事にされたら、そして何かを大事にできたら、本当に幸せなことだなと思ったのです。
思い返したら、私は、弟よりもたくさんぬいぐるみを持っていました。でも、私はそんなにも、ボロボロになるまで、そして忘れられない思い出があるまで大事にしたぬいぐるみ、なかったなと思うのです。
私の周りには、あまりにも今、たくさんものが溢れてしまって、そして簡単に新しく買うことができる世の中になってしまって、
ぼろぼろになってまでも、大事にできているもの、本当に少ないなと思います。
だからこそ、弟と、そのぬいぐるみが、すごく、裏ましいなと思ったのです。
絵本のニャンコは、気がつきます。自分も、それ以外のであった本物の猫たちもみんな、「せかいいちのねこ」だということに。
そして、私も思います。あの茶色くて、毛も全て抜け落ちてしまった、ボロ雑巾みたいな、弟のぬいぐるみも、「せかいいちのねこ」だな、と。
そんなふうに、これから何かを大事に思っていきたい。大切にしていきたい。
絵本を片手に、思う夜です。