チーム天狼院

もう一度、ムテキングになりたくて 《ありさのスケッチブック》


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久しぶりに、負けた――――!という感覚を味わった。
はっきりと感じた、敗北感。もっとも、今回の場合は勝負ではないのだが。

私には、共同で進めているプロジェクトがある。
その相方に負けた、と思ったのである。

この日の前日のこと。
私はとにかくやらなければならないことが多かった。
そのため、私がこのプロジェクトで担当のタスクに取り掛かったのは夜遅くになってからだった。
私は眠い目をこすりながらタスクを進めた。
そのうちに眠気に勝てなくなってきて、キーボードをたたく指が止まるようになってきた。
眠気をどうにか押し込んで、とにかくタスクを形にはできた。
あとすべきは、その内容の不備がないかチェックすること。

そんな時、疲れ切った私の頭に浮かんだのは、

ちょっと不備があっても、彼がなんとかしてくれるだろう、

という甘い考えだった。

そんなことを考えてしまったのは、
私は今まで困ったことがあったときに、たびたび彼に助けてもらっていたからだ。
彼は後輩にもよく慕われている、かなりできるやつだった。
そして、早く寝たい、と思ったのも甘い考えがよぎってしまった原因だろう。

私はそのまま、タスクの詰めを行わずに、タスク終了の連絡をした。

すぐに、
「ありがとう!!」
とメッセージが入ってきた。

眠かったはずなのに、その5文字がくっきりと浮かび上がってみえた。
なんとなくざらっとしたものを感じつつも、私はすぐに寝てしまった。

そして翌日の深夜。
タスクの詰めの甘さを指摘された。

ああ、やっちゃった。

そう思いながら、正直に詰めを怠ったことを話すと、

「なんで、いまそれ言うん?」
「もっと、早く対処できたでしょ」

と言われてしまった。

当たり前だろう。
次の日に、ワークショップ開催を控えていた。しかも深夜だ。

私はひたすら平謝り。
しばらく反応はなかった。

あ、本気で怒らせたかもしれない…。

彼が怒った姿を見たことがない私は、落ち着かなかった。

すると、少し時間をおいて、メッセージが入ってきた。

「今、俺がそれ(改善)やったらありさに頼んだ意味がなくなっちゃうからさ、」
「もう一度、お願いしていいかな?」

もう、なんだか、悔しくて泣けてきてしまった。

普通だったらこんなギリギリのタイミング、
いいよ代わりにやるから!!
なんて突き放してしまうところだろう。

それが、お願いしていいかな?である。

私は、やりきれない思いでいっぱいになった。
そして、彼の優しさを痛感することになった。

これから一生、この人には敵わないかもしれない。

そう思った。
さらに、ああ、負ける感覚ってこんなかんじだったな、と思った。
勝負もしていないこの出来事。
私はなぜか、強い敗北感を感じたのだった。

この敗北感を知らない頃があった。

ムテキング、と呼ばれていた時。
小学6年生の頃だった。

私は、小さな小さな小学校で育った。
1クラス28人が2クラス、
学年で、56人しかいなかった。

その半数以上が私立中学受験を決めていた。
そのほとんどが、学習塾に通い、発展的な勉強をしていた。

そして、幼いころから勉強することに憧れをもっていた私も、
低学年から学習塾に通っていた。
私は、公立の中学校に行こう、と決めていたのだが。

高学年になると、ますます受験組は受験勉強の差を見せ始めていた。
そんな中、私も負けじと勉強をしていた。

なぜなら、その頃は、勉強すればするだけ、伸びたから。
テストで満点を取ることだって、難しいことではなかった。
努力した分、報われる。それが嬉しくて、勉強し続けていた。

そして、学習塾の方では
月に一回のテストは、ずっと一位をキープしていた。

そんな私についたのが、
ムテキング、という名前だった。

私は、誇らしかった。
一位の欄に自分の名前が記されるのが。
ムテキングと呼ばれ、友達に慕われるのが。

絶対に他の人にこの欄を渡すまい、と思って
さらに必死に勉強していた。
日々の復習や予習は欠かさず、
出来ない問題は徹底的につぶしていった。

私は、テストの結果だけでなく授業中もムテキングでありたかった。
どんな質問にも答えられて、
誰よりも早く問題が解ける存在でいたかった。
だからそのための努力は惜しまなかった。

そのかいあって、次の月も、また次の月も、
一位には私の名前が記されていた。

何回もテストを受けるうちに、小学校卒業、中学入学と季節が移り変わっていった。
気が付くと、1クラスだった塾のメンバーが2クラスほどになるほどに増えていた。

そして、いつからだろうか。
私の順位は二位や三位に落ちてしまうようになった。
それでも最初は、ちょっと努力が足りなかっただけだ、と軽く見ていた。

だけど、いつまでたっても一位の座に戻れない。
いや、二位や三位どころかどんどん後退していってしまい、
上位クラスの境界線ぎりぎりのところまで下がっていってしまった。

そこで、私は気づく。
ああ、もうダメなんだと。
とうとう私は、一位をあきらめるようになってしまった。

それからの私は、勝てるところでしか頑張れなくなってしまった。
さらに、自分が苦手だと思うところへも挑戦しなくなってしまった。
ある程度できても、トップは狙わなくなってしまった。
ムテキング時代の必死さを、完璧を目指す姿勢をどんどん失っていってしまった。

敗北感を味わうのが嫌で、
自分が優位に立てないのが嫌で、逃げていたのだ。

ピアノや長距離走は全然だめ。じゃあ普通でいいか。
学校の定期テストなら、できる。よし、じゃあ頑張ろう。

そうやって、自分のパワーバランスをとっていた。

だから、頑張れるところ、自分が引っ張れるところで頑張ればいいや、と思っていた。
そんな私の思いを後押しするかのような言葉に出会ってしまったのも一因だろう。

「マイナスをプラスにするよりも、プラスを伸ばせ!」
「得意なことを君の武器にしよう」

うん、そうそう、いいんだ、これで。

私はできないことに蓋をし、
敵わない相手がいる場所では普通レベルを目指し、周りに流され、
のうのうと好きなことやできることに集中していた。

それが悪いとは思わない。
むしろ、自分の能力を効率よく伸ばし、活かすには良い方法だろう。

……だけど、だめだ。

たとえトップの人に勝てなくても、
やったことがうまくできなくても、
自分が全く挑戦しなかったり、
納得できないままだと
自分で自分が嫌になる。
ますますやりたくなくなる。

私は、私に負けたくない。
できないって思い込んで頑張らない私に、
もうちょっと頑張ればできるかも、と思っている私が負けてほしくない。

そう、あの日、私が負けたのは
かなりできる彼ではなく、
自分自身だった。

私が自分に負けた事実を、
詰めの甘さの指摘というかたちで彼に証明されてしまった。
だから、彼に負けたと思ったのかもしれない。

あの時メッセージを読んで、ざらっとしたものを感じたのは、
ありがとう、と言われるほど頑張っていない、と
私自身がまだ納得していない証だった。

自分が納得していないのに、
やりきっていないのに、
誰かに勝てるわけがない。
誰かを説得できるわけがない。

もし、自分でできるところまでやって、それで負けたならまだ納得できる。
私はまだまだだな、ともっと磨きをかけられる。

ざらっとしたものに目をつむっていては、私はずっと成長できないままだ。

私があのころムテキングでいられたのは、弱い自分に負けなかったからだ。
これから、きっと敵わないと思う人にたくさん会うだろうし、
難しい仕事もたくさん経験することになるだろう。
でも、自分自身が胸を張ってやれた、と思うには、弱い自分にさえ勝てればいい。

泥臭い、がむしゃらな努力。
決して限界を自分で決めない姿勢。
かつて私が持っていた武器はもっと磨きをかけられるはずだ。

私は、もう一度、ムテキングになりたくて
ここに自分への宣戦布告をする。


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