週刊READING LIFE vol,106

自称節約家の呪いを解きたいなら、琥珀色の朝の魔法で自分を甘やかすこと《週刊 READING LIFE vol,106 これからのお金の使い方》


記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
質素倹約。
 
人によっては、褒め言葉と捉えるだろうし、悪口とも捉えられる。
最近、「ミニマリスト」と呼ばれる方々が話題だ。本当に、自分の生活に必要な物だけを身近に置いて、日常生活を過ごしているのだという。中には、マンションのモデルルームというより、内見に来た部屋のように家具も置かない方もいるそうだ。その生活を選んだ理由というのは、生活を洗練するため、業務効率をあげるため、震災を機会に防災意識から生活をあらためた方など、実にさまざまだ。
その方たちは、人生の「衣食住」の内、「住」と「衣」を重きに置いて、取捨選択を日々しているのだと思う。
もちろん、他の、「食」にお金をかけたい方もいる。
私の友人に、「安くてまずいもの食べるくらいなら、何も食べない方がまし!」と拳を強く握って力説するグルメな子がいる。彼女はお嬢様、というわけではなく、食に対する熱意が人一倍強いのだと思う。その宣言通り、彼女が連れて行ってくれる飲食店に、はずれはない。特に、旨い肉を食べることに関して、燃えるものがあるようだ。以前、友人たちと食事にでかけた時のこと。彼女が選んだカフェのちょっと良いランチも当たりだった。私達の前の席で、彼女がにこにこと輝くばかりの笑顔で見渡す。
「おいしいもの食べると、働いたかいがあるっていうか。生きてて良かった~! って思うよね!」
彼女の言葉に、私ともう一人の友人は首を傾げた。
グルメな彼女の意見を否定する気は私達にはまったくない。ただ、私達の趣向が違っていただけ。
私の隣の子は、ファッション、「衣」にお金をかけたい人だった。すてきな服を買うためなら、他のことを倹約できるのだ。だから、「そうだね!」と首を縦に振って肯定できなかった。
 
私は、どうだろう?
 
当時の私は、首を傾げたまま、一人考え込む。潔癖でもないし、家具や住居に関心はさほどない。服も、そりゃすてきに越したことないけれど、安い方が断然良い。食事が、一番興味が薄い、安くてそこそこおいしくてお腹に溜まれば良かった。
黙り込んで考える私を見て、友人たちが苦笑いする。
「まなさんは、質素倹約だからな。私達みたいに、服とか食事に浪費する必要がなくていいよね」
「確かに! でも、たまに心配になるよ。貯金も大事だけれど、自分のためにお金使いなよ?」
私は、あいまいに笑って彼女たちに返す。
「……うん、ありがとう」
 
その時、私はまだ学生だった。短大の同級生であった彼女たちは、社会人としてすでに働いていて、安定した給料を得ていた。
私は、短大卒業後、専門学校に進学していた。どうしても挑戦してみたいことがあった。そのためには、学校にいかなければならなかったのだ。
だが、私の家は自営業。生活に困窮するほどではなかったが、裕福な方ではなかった。幼い頃から、苦労する両親の背中を見てきた。両親に、専門学校にいかせてくれ、なんて軽々しく言えなかった。
なので、私は、短期大学は奨学金で進学。勉強しながらアルバイトを行い、次の道に進むために、学費を自分で工面するしかなかった。
「住」は、幸い田舎の実家暮らしなので心配することはない。
「衣」は、質より量で、こだわりもないので、着の身着のままだった。
 
「食」も、同じ。こだわりも興味もないと思っていた。一番、省いても大丈夫なものだと思っていた。彼女のようには、熱意がないと、そう思い込んでいた。
 
「好きなもの頼んでいいよ!」
幼い頃、母がファミリーレストランで朗らかに私にそう言った。
「……うん」
私は、メニュー表に真剣な顔で視線を走らせる。きっと多くの同年代の子どもは、自分の大好物の料理を見つけ、食べたいものを申告するのだろう。だが、私が、見比べていたのは料理の写真の下、値段の欄だった。
 
やすくて、おなかにたまって、なるべく好きなやつ。
 
その観点で選ぶと、おおよそ同じメニュー。子どもらしくない、定食メニューになることがお決まりだった。
母に告げると、「ほんと、それ好きよね!」と苦笑いされる。
「うん」
私は、あいまいな笑顔を浮かべた。
値段の価値、というものはわからなくても、数字の大きい小さいはわかる。小学校に入学した当たりから、私は、倹約をするようになった。
誰かに強制されたことではない。
単純に、両親たちの負担になりたくなかった。外食って高いんだ、そう気づいて、なるべく安い物を選ぶようになった。
一人でも安いものを頼めば、倹約になる。そうすれば、家族のためになる、そう信じ込んでいた。
外食だけではない。
女系の親族たちが、おもちゃ屋に度々連れて行ってくれた。はじめての女の子の孫で、姪である私にお人形を買ってくれようとする。幼い私は、じっと、箱の下のゼロの数をかぞえる。
「いらない、これがいい」
そもそも、着せかえ人形に興味がなく、動物のぬいぐるみの方が好きだった。なので、私は、その売場で比較的安価なぬいぐるみをねだった。別に、不幸なことではないのだ。そっちの方が本当に欲しかったから。
「もう、物欲のない子ね!」
祖母と叔母に大層ガッカリされながら、私はぬいぐるみを大事に抱えて店を後にした。
 
贅沢は敵! 節約こそ慎ましい!!
 
気がつけば、戦国の世の武士のような思考回路が完成してしまっていた。
確かに、物欲は同世代の子どもより薄かったかもしれない。
それよりも、読書をすることが好きだった。自分が生涯経験することができないことを、物語や伝記で追体験することができるのだ。こんなにすばらしいことって、他にあるだろうか。おしゃれな女の子たちから離れた所で、こじんまりと読書家の子たちと好きな本について語り合えれば幸せだった。図書館は宝箱だった。
 
面白い本があればそれでいい。他は何もいらない。
 
幼い私の中で、強い意思が芽吹いて、木のように枝葉を伸ばして行った。空を目指すように、目に見えない、知識を探求することを喜びに感じる人間ができあがっていった。
 
「え~、またそれ食べてるの?」
「うん、だっておいしいし?」
専門学校での昼食時間、同級生たちとラウンジで休憩をしていた時のこと。私の買った弁当をのぞき込んだ、グルメな友人が眉を潜める。それは、学校の前で出張販売されている、激安弁当。唐揚げ、おしんこ、ご飯、ふりかけがついて、なんと300円(税込)! 私調べでは、地域最安値だ。
「もっとおいしい、栄養のあるやつ食べようよ!」
「いいんだよ、私は安い方がうれしいの」
人生損してる! 友人が悲しそうに叫ぶ。
この頃には、食への関心は皆無になっていた。もともと、優柔不断で選択肢が増えると思考を放棄することも原因。9割は母が持たせてくれた弁当を食べ、まれに出来合いの弁当を買う日々。私のお気に入りは、学校を出て1分の所に売っている、味がそこそこの唐揚げ弁当屋さん。私の救世主だった。
学校外、プライベートでは更に悪化する。店を選択して、そこから料理を選ぶのが精神的負担になっていた。メニューの中から、安くて、味が悪くないものを推理する。珍しく、食べたいものを見つけても、頭の中の家計簿をめくって、そして、断念する。
自宅外で食事することが、苦痛になって来た。最悪、一食抜くことも平気だった。
 
そのくらいで死にはしないでしょう。贅沢なんてしたらいけないんだ。
 
自分に暗示をかけて、日々過ごしていた。友人に誘われればよろこんで食事に行くが、一人で行くなんて滅相もない。
きっと、そのまま、質素な生活を過ごしていくのだろうと考えていた。
 
うん十年がたち、私は会社員になった。何度か再就職を繰り返し、運良く門が開かれた職場。私のアイデンティティを尊重してくれて、力を発揮することができる場所だった。ついに、正社員になることが叶い、安定した給金を得ることになった。奨学金の返済はしなければならないが、昔のように切迫した気持ちを抱えて貯金をすることはなくなった。
開放感と、脱力で、半ば放心状態だった。
やっと、社会に認められ、自由になれた気がした。
その反面、どうしたらいいかわからなくなった。
変わらず、読書が好きで、本の購入に資金投入していたが。みんなのように、お金を自分のために使うことが気軽にできない。
のしかかるような罪悪感が拭えない。
 
贅沢は敵! 節約こそ慎ましい!!
 
あの呪文が頭の中をぐるぐる回る。暗示というより、己にかけてしまった呪いなのかもしれない、そう、やっと思えるようになった。
どうにかしたい、どうしたらいいかわからない。解決の糸口がみつけられないまま、とりあえず、休日に都会に繰り出してみることにした。
まだ陽の上がりきっていない、早朝の街は、人少なで、キンと空気が静まり返っていた。いつもの風景が違って見えた。まるで、別の世界に迷い込んだようだ。大手のデパートなどはまだ開いていない。あてもなく、一人徘徊した。
ふと、小さな立て看板が目に止まった。立ち止まって顔を上げると、趣のある喫茶店がそこにあった。あらためて、看板を見下ろすとメニューが書いてある。
 
「モーニング? へぇ、コーヒーとトーストが、こんなに安く食べられるんだ」
 
朝の時間帯限定で、軽食を食べることができるのだという。都会にしてはリーズナブルな値段。それに心をくすぐられ、私は恐る恐る、クラシックな扉を押した。
軽やかに鳴るドアベルと店主らしき初老の男性に出迎えられる。
店内のお客は、まばらで、年配の方が多かった。
席に付き、お上(のぼ)りさんのように、キョロキョロと店内を見渡す。お店の中は、ランプの明かりがささやかに照らしている。調度品はクラシックなもので統一されている。座っている重厚な木の椅子は、座面が赤いビロード張りで品があった。
 
すごい、大人の空間に紛れ込んでしまった!
 
私は、もういい歳の癖に、子どものように目を輝かせた。メニューを開くと、手書きの文字と古ぼけた料理の写真。店主と店が重ねてきた、あたたかみを感じさせる。豊富なコーヒーの種類に、目を丸くしてしまう。残念ながら、コーヒーには無学で、どれも呪文にしか見えない。数分悩んで、コーヒーをオリジナルブレンド、というものにして、無事モーニングを注文することができた。
 
「おまたせしました。どうぞ、ごゆっくり」
「あ、ありがとうございます」
 
しばらくして、モーニングが、私の目の前に置かれる。
いただきます、そっと呟きながら、華奢で可愛らしいカップに入ったコーヒーに手を伸ばす。一口飲んでため息をつく。
深くて、ほんのり苦い、でも、やさしい味がした。チラリと視線を動かすと、常連らしきお客さんと楽しげに話しながら、店主が不思議なガラスの器具でコーヒーを淹れているのが見える。サイフォンというのだと後に知ったが、その時、私の目には、何か不思議な魔法をコーヒーにかけているように見えた。
次にトーストを齧ってみる。見た目はごく普通の食パン。でも、鼻をくすぐる香ばしい香りと、もちっとした食感に、にんまりと笑ってしまう。
 
コーヒーと、トーストって、こんなにおいしかったっけ?
 
一人、微笑を浮かべながらしみじみと味わう。
ごちそうさまでした、そう呟いて、ほうけたように、椅子の背に背中をあずける。席から見える、店主のコーヒーを淹れる際の、厳かな儀式のような所作も、店内も飽きることがない。
 
本、持って来ればよかった。そしたら、もっと楽しめたのに。
 
ふと、テーブルの上に視線を落とすと、光が淡く差していた。顔を上げると、店の外は明るくなっている。腕時計を見ると、もう、大型店舗の開店の時間だった。
 
「おいしかったです、とても!」
「ありがとうございます、またぜひ」
 
店主に挨拶して、ドアをくぐる。一歩出ると、街は賑わっていた。余韻に浸りながら、街を歩く。会計の時のことを思い出す。コーヒーとトーストで600円。以前は、300円の弁当で満足していたのに。これは贅沢なことをしてしまった。昔の私が見たら怒るだろうか。そう、想像すると、自然と笑みが溢れる。
 
外食の値段は高いと思っていたけれど、それは、料理だけの値段だけではないと、やっと気がついた。料理人のその人だけの技術や、こだわりが詰まった料理の味。日常から切り離してくれる、異世界のような空間。同じ時間を一緒に過ごす、店主や友人との語らいの一時。さまざまな事柄が、その値段に込められているのだ。
 
贅沢は、時として人生を豊かにする。生きていくために、必要な物なんだ。
 
そう、頭の中で呟いた瞬間、ポロポロと、私の中の呪いが一つ、崩れて行った。目の前の景色が鮮やかに見えはじめた。
たまには、異世界に飛び込んでみるのもいいかもしれない。
 
月に数回の、新しい習慣。極上の時間をくれる魔法の世界に旅立つ。
この日だけは、いつもはぐずぐずと枕にしがみついている時間帯に、シャキッと起きることができる。身支度を整えて、バスに乗り、目的地へ。
ここに来れば、煮詰まっていた原稿も、予定業務にすでに憂鬱になっている気持ちも、すべて不思議と解決する。
バリスタさんの邪魔にならない席から、コーヒーに魔法がかかる瞬間を観察する。クリームチーズとナッツが乗っている食べごたえのあるパンと、香ばしくて深い香りのコーヒーがテーブルに運ばれてくるのを笑顔でお行儀よく待つ。給仕してくれたバリスタさんにお礼を忘れずに。
ご馳走をしっかりと噛み締めて味わっている内に、霞がかっていた頭の中がクリアになる。
その後は気合を入れて、仕事、時には読書を楽しむ。
気がつけば、出社の時間が近づいている。荷物をまとめて席を立ち、店の出口へ歩いて行くと、店主が先回りして、ドアを開けてくれる。一歩出れば、白い光が街を照らしていく。現実へと向かう私に、店主の女性が朗らかに笑う。
「いってらっしゃい!」
「はい、行ってきます!」
その一言で元気よく、前へ踏み出せる。
会社の近所で見つけた、魔法の世界は、今日も私に、元気になれるまじないをかけてくれる。
 
夢のため、理想の生活のために節約することも大切。だが、そこに辿り着く前に、心身が疲弊していたら意味がないのだ。
朗らかに人生を楽しみたいなら、自分のために贅沢すること。
適度なご褒美は、浪費ではない。今後の自分を形作るための大切な栄養素だった。
次は、「衣」と「住」の豊かな投資の仕方も勉強して、挑戦したいところだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県出身。喫茶・カフェのモーニング愛好家。アルバイト時代を含め様々な職業経験を経てフォトライターに至る。カメラ、ドイツ語、占い、茶道、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を修得。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。

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2020-12-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol,106

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