南国の夜とラッキーセブンのキスマーク《ななみの事件簿》
我々人間の皮膚は、吸われれば内出血を起こす。色は赤から次第に青黒くなり、薄くなり、そして忘れた頃には消えている。その内出血のことを私たちは「キスマーク」という。普通は相手を「自分のものだ」というシンボルとしてつけるのだろう。なんとも動物的な行為である。まるで自分の陣地や所有物に自らの匂いをつけたがる犬みたいだ。
私は、そのいわば動物的なシンボル「キスマーク」を結構な頻度でつけられる。誰かに指摘されて「あれ? こんなところにも?」なんていうのは日常茶飯事、後の祭り。特に夏は気が緩んでしまうからなのか、首筋、二の腕に小さな赤マークが点在していることだってある。海でも、山でも、キャンプ場でも、はたまた映画館でも、ふいに彼は襲ってくる。暗闇が危険なことは言うまでもない。夜ではやられっ放しかもしれないけど、明るいところなら自分の身くらいちゃんと守ろうと努力はできる。時々襲ってくる彼にはペチッと勢いよく叩いたりもする。ちゃんと抵抗することだってできる。しかし、今回はすべて夜、私が眠りについた後だった。朝起きて、寝ぼけ眼で顔を洗いに洗面所へ向かう。日中のバリの日差しで火照った頬は赤くなっていたが、注目すべきはそこではなかった。少し目線を落とした瞬間ギョッとした。首筋、二の腕、足……。
「1個、2個、3個、4個……。全部で7つ!!」
被害場所はリゾートホテル。セキュリティーはもちろんばっちりである。しかしながら、事は起こってしまったのだ。
大学2年、授業もテストもレポートも全部が終わってからほぼ一息つく間もなく私は親友と旅に出た。「今日本は寒いからリゾートがいいね」ってことで行き先は、バリ島。言わずと知れた南国リゾートである。
出発前日も相変わらず私は天狼院書店の店頭に立っていたのだが、友人から1枚の画像が送られてきた。コメントはなかった。開いてみると「バリ 天気」とググった結果のスクリーンショットだった。恐ろしいことに、赤やオレンジの晴れマークは一つもなかった。
2月6日 雲・雨・雷
2月7日 雨・雷
2月8日 雨・雷
こうして私は出発の前夜に、いつかの社会科の授業で習った亜熱帯地域には乾季と雨季があるということを思い出し、バリは今ちょうどその雨季にあたる時期だということを知った。卓上の学習がリアルな学習へのシナプスを繋がった瞬間だった。それと同時に、天狼院旅部に参加した時の須田さん(天狼院旅部公式ツアーガイド)の「旅行は、天気が良ければ8割成功」の言葉を思い出したが、そっと記憶に蓋をした。
バリについた。ベルトコンベアの上をぐるぐる回っているスーツケースは濡れていた。やっぱりね、ってそんなに驚かなかったけどじんわり暑い、蒸した気温に胸が高鳴った。
ホテルについて朝6時。そのまま少し寝て、起きてベランダに出てみると、裏切りの青空が広がっていた。晴れたら困ることが一つだけあった。「ずっと雨の予報だし、日焼け止めなんていらないよね」そう思ってふてくされ半分で私は持ち物リストから日焼け止めを消したていたのだ。「なんて希望も望みもない軽率な判断だったのだろう」と後悔したがもう遅い。1日目、私たちは街に出た。
一歩外に出れば路上の男性に「かわいいねー」「美人だねー」「お姉さん綺麗ねー」なんて微笑みながら言われまくる。「あら、そうかしら?」なんて振り返らない。「アリガトウー」と相手に合わせた発音のおかしい「ありがとう」とともに笑顔で通り過ぎるのだ。ナンパだか物売りだか知らないけど「知らない人に気安く付いていかない」基本中の基本である。真面目な私は忠実に守っている。だから変な男なんて一人もついてこないはずである。そもそも相手にさえしていないのだから。そして、彼らは彼らで「かわいいね」なんて挨拶代わりの言葉なのである。私が彼らの売る何かを買わない限り、興味はないはずなのである。ただ、その日だったのだ。私の「キスマーク事件」が起こった日は。だとしたら、この7つのキスマークは一体どこの誰のマーキングなのか……。
そういえば私、いつか両親にこんなことを聞いたことがあった。
「若い頃モテてた?」
「若い頃」と前置きしなくてもよかったのだけど、それでトラブルが起こったら困るので念には念をと「若い頃」に限定。そうしたら、父も母も、自称だけど二人とも昔からモテていたらしい。自称モテる父に、自称モテる母。そこに生まれし私がモテないわけがない。これはなんというか、私は生まれながらにモテてしまう運命だったということだ。モテ遺伝子を引き継いだというか、モテる両親に育てられ同じもの食べて育ってきたのだから同じように育ってしまったのか、問いただし始めると「鶏が先か、卵が先か論」で堂々めぐりになってしまうので、要は私もそういう星のもとに生まれたということなのだ。
母は私にこう付け足した。
「30くらいまではずっとモテていたかもね。でももう最近はめっきりかな」
「そうなんだ……」と母が私を出産したのは二十代。ということは、父と結婚して、私を出産して、母親になってからもモテていたということなのか。それはそれで突っ込んだりしたくもなったけど、あまり深堀はしないことにした。
帰国後、隠すまでもなく母に突っ込まれる。
「その跡どうしたの?」
「あ、バリでちょっとね。大丈夫、多分ばい菌とかは入ってないと思う」
「そう、そんなことだろうと思った。いつものやつ薬箱の中にあるからね」
「ありがとう」
薬箱にはいつものキンカン。その夜、私はキンカンの匂いに包まれて眠りについた。
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