チーム天狼院

【警告】花粉症と同時にこの時期隠れて流行る、ある病について《のろチャンネル》



 
記事:野呂
 

あー、やってしまった。

 

前髪を切ったのだ、前髪を。

 

いつもは伸ばして横に流し、耳にかけていた前髪を、

短くしてもらって、前掛けのように脳天から垂らしたのだ。

 

俄然、雰囲気が幼くなる。

 

大学内では先輩にすら「4年生の方ですか?」と聞かれる。

大学を出れば、「え、学生さん?!」と驚かれる。

そんな2年間を過ごしてきた老け女は、

まわりが「やばい、3年だよーババアだよーやだよー」という中で

今年やっと3年生になれることに対してかなりの安心感を抱いていたのに。

 

相手がもし見積もりを外したとしても、

「大人っぽい!」「すごく落ち着いてるから」「しっかりしてるから」

というようなフォローは誰でも簡単に思いつくことができる。

そのおかげでお互い気まずくなるようなことはなかった。

だから、

「大人っぽい」女として生きる覚悟なのか、そう生きればいいやという惰性なのか

そういうものは十分に備えていると自覚していたのに。

 

2か月前に髪を切ったときは、

美容師さんに、前髪切ろうかなと言うと「え、ほんとに切る?!」と言われたので、

おでこが狭いから? 頭がでかいから? 顔が老けてるから?

とにかく私には言えないような理由があって、前髪は一生作らない方がいいのだろう

と思ってやめたのに。

 

私の一生はたった2か月か。

 

気のゆるみから、前髪を作ってしまった。

 

年相応な見た目になれるかもしれない、に賭けてしまった。

新しい自分になれるんじゃないか、と淡い期待をしてしまった。

 

やめておけばよかった。

年相応というか、滑稽でばかっぽい。

 

美容師さんが切りすぎた、とかそういうことではないのだ。

前髪をつくるという選択をしてしまった時点で、結果は決まっていたのだ。

 

 

春、暖かくなって、

それまで何に耐えていたわけでもないくせに、

身体の緊張がほぐれていくのにシンクロして、脳が勝手なことを言い出す。

普段ならやらないような事が、出来るような気がしてしまう。

ないはずの力を持ったように錯覚して、身体に指令を出す。判断力の低下。

 

 

春になった喜びを爆発させているのか、

あるいは

人間への憎しみを爆発させているのか、

春になると、冬の間中溜めていた花粉を空気中へ大放出する杉の木たちのように、

 

春になると、何か他の者になりたい、今の自分ではない何かになりたい

という衝動を、自分の脳内に放出させてしまう人間は、私に限らずいるのだと思う。

 

花粉が多くの人の目、鼻、のどを侵し、

時たま脳まで侵されてしまう人がいるように、

 

「イメチェン」や、「新生活の新習慣」などという綺麗な言葉で粉飾しているから気づかれにくいだけで、

私のように春特有の判断力低下の病にかかる人は少なくないと思う。

 

 

そうそう、花粉症の末期症状? で、頭をやられてしまった知人に、こんな人たちがいる。

 

少し寒さの和らいできた3月のある日だっただろうか、

スキーゴーグルで、目のまわりを完全密閉して学校に登校したクラスメイト。

不審者そのものだった。

 

何をしても一向に良くならない状況に白旗を挙げて、

花粉をフラワーパウダーと呼んで、少しでも花粉と仲良くしようとしている友人。

文字通り脳内を花粉に侵食されて、頭の中がお花畑になってしまったのだろう。

 

花粉症の人にとってこの時期、極力外には出たくないものである。

そこで、春休みはバイトも辞めて、買い物もネットで済ませ、

完全に自宅に立て籠るという暴挙に出た知人もいる。

しかし、人間にとって日光をほどよく浴びることは身体にも精神衛生上も必要で、

1か月以上それを避けたために、半分鬱になりかけて新学期をむかえることになってしまった。

 

花粉症が害悪であることは明らかである。

 

同じように「イメチェン」や、「新生活の新習慣」も病だ。

 

何も私がイメチェンで失敗した怨念で言っているのではない。断じて、ない。

 

新年度、今年こそはコンビニばかりに頼らず、お弁当を作って、

節約しながら女子力もあげるぞ♡

なんて無駄な決心をして、数か月後には

ほぼ新品の弁当箱が気合の残骸とも言える様相で部屋に転がっている。

 

新年度、今年こそは部屋を綺麗に保つぞ♡

と大掃除で見違えるような部屋を手に入れ、

もう絶対散らかさない!と決意するが、その状態は長くは維持できない。

 

新年度、今年こそは英語を勉強して、ペラペラになり、

海外旅行を楽しんでやるぞ♡

あるいは、

TOEICでスコアとるぞ♡

と思って参考書を買い込み、最初の数ページだけやたら書き込んで満足する。

 

新年度、今年はちょっと運動しよう、

朝余裕を持って起きて、一駅多く歩くぞ♡

と決意しても結局朝は忙しく、

毎日、明日こそ、明日こそ……

と心の中でつぶやきながら、梅雨になる前には忘れている。

 

 

似たような経験を毎春している人は少なくないと思う。

新しい自分になれるんじゃないかと淡い期待をして、

鈍った判断力で、自分の能力に見合わない極端な選択をして失敗する人。

 

そして、それが失敗であることに気づかずに、同じ病に毎年かかる人。

 

そうなのだ、前髪と同じで、

切ったときの衝撃はとても大きい。

直後は、いつもより化粧や髪に時間をかけたり、

美的なことに関心が向くようになる。

 

しかし時間とともに、髪がなじんでくるのか、自分が変な見た目になれてしまうのか、

あまり気にならなくなってくる。

きっとそれに伴って、忙しいことを言い訳に、

数週間後には身だしなみへの配慮も薄れていくのだろう。

 

そして前髪が伸びきってしまうと、だんだん退屈になってきて、

あんな後悔したはずなのに、前髪切ろうかな、なんて迷いが生じる。

1年目は思いとどまったりもする。

しかし、2年目はまた同じように切ってしまうのである。

(前に前髪をつくって後悔してから今年が2年目だ)

 

そうして、新生活の新習慣の第一歩は、いつも「大股一歩!」で、

春のうわつきが去ると、

それ以上は歩くこと自体放棄し、忘れてしまうのだ。

 

 

しかしこの病にかかるのはおそらく全員ではない。

 

忙しくても、

コンビニに頼らず毎日お弁当を作れる人はいるし、

部屋を綺麗に保てる人はいるし、

コンスタントに英語の勉強を続けられる人はいるし、

毎朝歩ける人だっている。

身だしなみへの配慮が薄れない人もいる。

 

 

できるならこの病を克服したい。

継続できる側の人間になりたい。

 

おそらく、この病に効く特効薬なんてないのだ。

新しいお弁当箱を買えば、新しい参考書を買えば、

新しい服を買えば、髪形を新しくすれば、

新しい自分になれるなんてことはないのだ。

なれるのは、その物が新しいうちだけ。

 

春の時期に爆発するこの病は、冬の過ごし方がポイントだったのだと思う。

部屋が散らかっているな、片づけたい、

でも今は忙しいから、○○が終わったら一気にやろう、

と、少し変わりたいのを我慢してしまったのが爆発の原因だろう。

 

変わりたいなら、その場で変われる範囲で、少し変えてしまえばよかったのだ。

 

それを後に取っておいたから、

春になって暖かくなるにつれて期待が膨らみ、

判断力の鈍るこの時期に爆発してしまったのだ。

普段ならやらないような事が、出来るような気がして、

ないはずの力を持ったように錯覚して、身体に指令を出してしまったのだ。

 

今さら冬を悔いても仕方ない。

次の冬を待っていても仕方ない。

 

今できることは、春沸き起こる「変わりたい」衝動が、

冬の我慢の産物と受け止めること。

派手に自分を変えてみて、衝動をリセットするのも気持ちがいいだろうが、

それで満足出来ないなら、長期的な療養に切り替えること。

 

私の身体に二十年も住み着いた怠惰くんは、なかなか出て行ってはくれないだろう。

でも、徐々に居心地を悪くさせてやることはできる。

 

私は変わりたい。

今の自分ではない自分になりたい。

それも、前髪を切って幼くするようなやり方ではなく変わりたい。

 

だからこの春からは、この病と、長い目で向き合ってみようと思う。

 

髪型が特に気にならなくなって来た頃が要注意だ。

ちょっとした自分の「変わりたい」願望に、出来る範囲で応えられているか、

すぐには全部に応えられなくても、根気よく少しずつ解消して行こうと思う。

 

そして2年後にまた、

前髪を切りたい衝動が起こっていないことを切にお祈りするばかりである……。

 

 


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