女子のわりに声が低いのがずっとコンプレックスだった《海鈴のアイデア帳》
ずっと、声が低いことがコンプレックスでした。
小学校の音楽の授業から、パート分けになるといつもアルト。ソプラノのほうに行く可愛らしいキャピキャピとした声の女の子たちを「ケッ」とか思うくらいにはコンプレックスだったと思います。
いいよなあ、君たちは。ちゃんと女の子らしい高い声が備わっているんだものなあ、なんて思いながら。
いっぽう、私はどうだ。
平常運転で、しゃがれている気がする。しかも妙に響く声だから、女子なのに、どこか凄みがあるのです。なんなら、小学校時代は男子より声が低かったんじゃないかとさえ思います。
幼稚園のころ、家族旅行の先で録画したビデオの自分の声を聞いて、
「うそだろ……私、こんな図太い声してるんだ……」
と幼心に大ショックを受けてから、私は、自分の声を必要以上に気にするようになりました。
そうなのです。私は、生まれながらにして声が低いのです。
ぶっちゃけると、一回もソプラノパートをやったことがありません。音楽の授業ではじめてパート分けになったのは、小学校中学年くらいだったと思いますが、迷うことなくアルト直行。その後、高校卒業までオールアルト。骨の髄まで染み込んだアルト魂でした。
ドレミファソラシドでいうと、「ラ」まではいいんですよ、いいんです。
問題はそこからなのです。
「シ」に来ると、誰かに首を絞められはじめるんです。
いや、本当に絞められているわけではないんです。が、もうそうなんじゃないかってくらい喉の奥がうぅっとなって、断末魔の叫びみたいな音しか出なくなるんです。
さらにその先の、高い「ド」になると、終了。完全に、息が止まる数秒前に助けを求める声のできあがりです。高い「レ」になると、もう音なんて出ないです。ヒューッという息が通るだけです。
正直に言うと、ずっとずっと、言いたかった。
どうして「君が代」は、あんなにも音階に高低があるだろうか、と。
冒頭、超低めに始まったかと思ったら、どんどん音程上がっていくし、「さ〜ざ〜れ〜、い〜し〜の〜」とか、もう辛さの極みですよ。その部分乗り越えたと思ったら、後半「こ〜け〜の〜」で二度目の涙ですよ。苔だったらもっとしっとりヌメヌメしてりゃいいものを。ぜんぜん苔っぽい音程じゃないんですけど。
いや、それでも音楽の授業とか学校行事で歌うのは、まだマシな方なんですよ。一人くらい、声が出ないようなやつがいたってあんまり気になりません。
むしろ、周りに人がいるので、思いっきり声が出せるというものです。音楽の授業のほうが、いつもより高い声も出せるようになっていました。失敗しても怖くないしね。だって周りにみんながいるし。
けれど、本当の地獄は、それではありません。
最強の地獄を、私はつねに受けなければならない運命にあった。それも、一週間に一度。
毎週、泣いてた。
冗談じゃなく、ガチで泣いてました。
よくもまああんなに毎週泣けたもんです。それくらい、本気であれは地獄でした。
当時、ピアノを習っていた私は、一週間に一度レッスンに行っていたのです。
レッスンで出される課題曲を弾くのは、大したことはありません。
むしろ、ピアノを弾くのは好きでした。
拷問は、ピアノを弾くことではなく、別のレッスンでおとずれました。
それが、「ソルフェージュ」といわれる、楽譜を読むことに特化した練習です。
簡単なメロディ旋律だけが書かれた、短い楽譜。
それを、弾くのではなく、ドレミファソラシドで、歌うんです。
そうなのです。
歌うんです。
私の通っていたピアノ教室では、ある先生がいつもメインの部屋にいて、ピアノもありますが、待合室にもなっていました。
自分の順番が来るまで待っているほかの子たちがそこにいるので、自分のレッスン内容をすべて聞かれてしまうんです。
ピアノのレッスンはいいんですよ。
問題は、人がいる中での独唱なのです。
童謡とかだったらまだいいですよ。ノれるもん。
でも、ソルフェージュはやばい。まちがいなく、殺しにかかってきてる。
ドレミファソラシドが不規則にならんだ、いかにも練習用! といったメロディで、ひじょーに歌いづらい。
しかも、楽譜読む練習用に設計されているから、へんなところで引っ掛かりをつけてくるんです。
想像してみてください。
しーんとしたその部屋で歌ってるのは私だけだから、いちど引っかかると、静粛が訪れるんですよ。
もう、この静けさが、いたたまれない。逃げ出したくなる。けど、私がこれを歌い終わらないとこの部屋から出ていくことはできないんです。
最悪なことに、緊張によってどんどん喉がしまっていくから、高い声が出なくなる。どんどん楽譜が読めなくなっていくんですよ。
ちょっと楽譜を先読みして、高い「ド」とか「レ」とかが入っているとまじで死にたくなります。あああお願いだからその部分来ないで!!! とか思ってると、ますます首が絞まって、もう負のスパイラルです。息しか出なくなって、うわーーーって情けなくなって。
喉がぜんぜん開かなくて、教室はしーんと静まったままで。
いきなりダッシュで部屋を抜けて家に帰るのも意味わかんないし、先生はじっと私がまた歌い出すのを待ってるし、逃げ場ないし、けど声は出ないし。
気づいたら涙が出てるんです。ぼろっぼろに。
涙声になってる自分も情けなくて、もう訳わかんなくなって、半分ぐずりながらなんとか歌い終えて。そんな状態だから、まあ、先生も多めに見てくれてるところはあったと思うんですが。
これが毎週つづきました。ピアノ教室で、毎週泣くなんてどうかしてる、と思っていましたが、涙はいつまで経っても止められませんでした。
ほかの子は、高い音だったとしても、すんなりと出せていました。それを羨ましいなーと思って見ていました。
そんなことを、毎週くりかえしました。
だから、「私は声が低いんだ」とずっと思ってました。
成長するにつれて、声の出し方を習得して高い音でも歌えるようになったし、今ではカラオケでも熱唱しますが、それでもやっぱり「私は声が低いんだ」と、そう思って生きてきました。
けれど、先日のことです。
私はまた自分の声のことについて考えていて、ふと、言ったんですね、友達に。
「私、声低いのがずっとコンプレックスだったんだよね」
すると、その子は
「え?」
と、驚いたような、すっとんきょうな顔をしました。
え? はこっちのセリフだ、と思いましたが、かえってきたのは意外すぎる答えでした。
「いや、私、海鈴の声低いなんて思ったこと一回も気にしたことないよ」
衝撃でした。
どういうことだ? と思いました。
「え、私、小さいころからずっと自分のこと声低いと思ってたんだけど」
思わず聞き返すと、
「いや、別になんとも思わないよ。ときどき、むしろ高いんじゃないって思うときすらある」
うそだろ。
その子だけの所感なんじゃないかと思ってほかの人にも聞いてみましたが、私が声が低いことを気にしている人は一人もいませんでした。
そうだったのか、そうだったのか……。
なんたることだ。
自分の声が低いことを気にしているのは、世界で私だけだった。
声が低いせいで私は女っぽくないとか、いつもどこかで思ってました。
喋っているときも、声低くないかなあ、変に思われてないかなあ、大丈夫かなあなんて、ときどき気になっていました。
それが、完全なる思い違いだったなんて。
……あれ。
というか、どうしてそもそも、私、自分のこと声低いなんて思ってたんだっけ?
そうやって思い返してみたんですが、たとえば「お前、声低いなー(笑)」なんてからかわれた経験は一切思い浮かびませんでした。そんなことあったら、絶対に、記憶にはっきりと焼きついているはずです。
つまり、私は、声が低いと誰かにからかわれたからコンプレックスになっているというわけではないのです。
私は、自分で自分の声を聞いて「低い」と思ったあの瞬間から、内的な要因だけで、自分を決めつけていたのです。
なんたることでしょう。
万年アルトだったのも、君が代の高い音が出ないような気がするのも、もしかするとすべて自分で自分にリミットをかけていたせいだったからかもしれなかった。
声が低いことを欠点だと思い込んで、自分の価値を低めていたのは、自分だけでした。
ほかにも、私は顔にホクロがたくさんあることを気にしていて、
「みんな、顔にホクロがなくてうらやましいよ……」
なんて言っていたら、
「いや、海鈴の顔にホクロあるなんて一回も気にしたことないから!!!」
「それ、気にしてるの本人だけだから!!!」
と、全力で否定される始末。
……そ、そんなにか。
そんなにほかの人にとっては、どうでもいいことなのか……。
もはや、自分だけ気にしてるのが恥ずかしくなってきた。
案外、ほかの人はまったく気にしていないのです。
でも言われてみれば、たしかに、
「背が低いから、足、短いんだよねー」
とある友達が言っていたのに対して、私は
「いや、足短いと思ったことなんて1回もないし、むしろ細くてスラッとしてるなと思ってた」
と訂正したくらいでした。何を言っているんだ、何を気にしているんだ、と思ったほどでした。
人のことは分かるのに、自分のことは分からないものです。
そうは言っても、なかなかその疑いはぬぐいきることができないのも、しょうがないのかもしれませんが。
そんなときでした。
決定打が訪れたのです。
ある人に、ふと言われました。
「山本さん、MCの仕事の経験とかあるんですか?」
「いえ、やったことないですけど……」
「声、聴きやすいなと思って。ラジオのDJとかにいそうですよね」
心底びっくりしました。
地球がひっくり返るかと思いました。
あんなに、自分では嫌だと思っていたこの声だったのに。
まさか、自分の声が、聴きやすいと思う人がいるだなんて、思いもしませんでした。
声が低いことは、私以外誰も気にしていないということがわかって、そこでマイナスからゼロにやっと戻れたと思いました。
けれど、ゼロどころか、むしろ、プラスに働くことがあるだなんて。
そうか。そういうことだったのか。
声が低いことは、短所以外の何物にもならないと思い込んでいた。
けれど、それを決めていたのは自分だった。その概念ごと、がらっと変えてしまえばいいのです。人と違うからこそ、それが最強の武器になるのです。
なーんだ、そうだったんだ。
コンプレックスは、隠すものではなく、武器だった。
それならもっともっと、持てる武器は、使っていく方がよいのです。
「声が低くて落ち着いて見える」「キーキーしていなくて、聴きやすい」という人もいるところを、ぞんぶんに利用していけばよいのです。
そして、わかったのです。
コンプレックスはおそらく87%くらい、ただの思い込みだということも。
それ、本人しか気にしてない可能性大ですよ、と。なに自意識過剰になってるんですかー、と。
聞いてみると、自分では欠点だと思っていたことを「そこがいいんじゃん」と言ってくれる人が多い。
いいとこだよ、と教えてくれる人がいる。
だから、あんなに泣くほど嫌いだった一人だけで歌うことだって、今では周りに人がいても「ふふ〜ん♪」と鼻歌でうたえるようになっているのです。
自分のことは、自分ひとりじゃ、とうてい分かり切れそうにもない。
だから今度からは、ソプラノの子を見て「ケッ」と思ったりせずに、一緒に歌えるようにしていこう。そんなことを思うのです。
* * *
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