なかは野原か公園のようなものだ――ある意味、ホームレスみたいなものですが、なにか?《リーディング・ハイ》
記事:西部直樹(リーディング・ライティング講座)
北海道の実家に帰ってみると、新しい家が建っていた。
昨年の夏、娘と二人で里帰りをした。
数年ぶりの帰省だった。
久しぶりの実家は、様変わりしていた。
むかし畑だったところに、新しい家が建っていた。
新しい家は、こぢんまりとしていて快適だった。
古い家を見にいった。
築数十年、壊すのも費用がかかるからと、そのままになっていたのだ。
生まれてから大学に入るまでの18年あまりを過ごした家は、ただの外枠になっていた。
子どもの頃、遊び回り、家族と食事を共にし、眠り、安らぎの場だった家。
人が住まなくなってしまった家は、暖かみもなく、虚しいただの外枠だった。
2階に上がる。
昔、長い時間を過ごした自分の部屋は、なにもないただの入れ物になっていた。
人が住まなくなると、家は荒れる、というけれど
それは、人がいて建物の家は、家族が憩う家となるのだろう。
憩う人が建物の家が荒れるのを止めているのだ。
人が住まなくなった家には、人の住んだ痕跡が残っていても、なにか少し物悲しい雰囲気がある。
物悲しいのは、家が荒れていくのを悲しく思っているからなのかも知れない。
結婚した頃に住んでいたのは、賃貸のマンションだった。
住むところを探して、何カ所が回って見つけた部屋は、賃料の割に広い部屋だった。
引っ越す前に、部屋の中を見た。
前に住んでいた人の幽かな痕跡が残っていた。
ある部屋のクローゼットの扉は、たばこの脂で少し黄色くなっていた。
完全に現状復帰していない物件だったので、幾分安くなっていたのかも知れない。
しかし、微かな痕跡が、さらに人の住まない家のもの悲しさを濃くしていた。
前に住んでいた人は、タバコを部屋の中で吸っていたのか。
一人だったのだろうか、それとも家族がいたのだろうか。他の部屋は脂で汚れていないので、一人その部屋だけで吸っていたのだろう。
彼、あるいは彼女が、どんなときに、どんなことを思ってたばこを吸っていたのか。
前に住んでいた人は、ここを去るのとき、どんな感慨を抱いたのだろう。
新しい部屋が見つかって喜んでいたのか、それとも仕方なく出ていくことになり、名残惜しかったのか。
想いをめぐらせる分、哀しみが漂う。
ある時、知人から引っ越す家が決まったので、見に来ないか、と誘われたことがある。
引っ越し先の家は、いわくのある物件だった。
その家に住んでいた人たちは、遁走、夜逃げをしたのである。
あわてて出ていったままになっているので、まあ、なにかないか見てみないかということだった。
夜逃げか、好奇心にかられ見にいった。
その家には、住んでいた人たちの匂い、物、痕跡に溢れていた。
リビングには、使い掛けの食器があり、ゴミが幾分散乱していた。
寝室には、うち捨てられた洋服や服飾品が床に散らばっていた。
子どもの部屋だろうか、本が乱雑にテーブルの上に置かれていた。
最低限の身のまわりのものだけを持って、逃げ出したのだろう。
逃げ出した一家には、なにがあったのだろう。
夜逃げをするのは、おそらく、借金だ。
どうにかしようとしたけれど、どうしようもなくなって逃げ出したのだ。
子どもは、どうしたのだろう。
学校は?
親の仕事はどうしたのか、
今は、逃げた先でどうしているのだろう。
名もなにも知らない家族は、今も家族でいるのだろうか。
――もしかすると、この家に住んでいた家族には
「今晩だ、今晩、決行だ」勇作は、青ざめた顔で妻と子どもたちに告げた。
朝の食卓は、重苦しいものになった。
「それまでは、普段通り、気づかれないようにな」と、勇作は念を押すように言うのだった。
「え、今晩! 急じゃん、誰にも言えないじゃん」
「いったらダメだ。ちょっとで漏らしたら、逃げられない。捕まったら、おまえは……」
「わ、わかった。今日は風邪引いたとして、早引けする」娘は、セーラー服のスカートをギュッと握った。
「俺は、俺はどうする。明日、テストなのに……」兄は、肩を落とし俯いていた。
「済まない、本当に済まない、父さんが……」勇作は、頭を下げた。涙がテーブルに落ちていた。
「仕方ないわ、あなたのせいじゃない、あなたは人がよすぎたのよ、夏希も秋雄もなんとかなるわよ、準備しておきなさい」美子の明るい声が救いだった。
その時、玄関のドアが叩かれた。激しく蹴られるような音がした。
そして、大きな胴間声が聞こえてきた。
「わかっているのか、明日だ、明日までに揃えておかないと、奥さんとお嬢さんとは二度と会えないぞ、息子と一緒に海外旅行じゃ、片道切符のな。わかっているのか!」
四人は、じっと胴間声が止むのを待っていた。
この地獄も、今日までだ。
明日からは……。
その日の夜更け、次の日に少しは入り込んだ時刻、小さな荷物を持った四人が家から走り出てきた。
夜陰に紛れ、四人はいずこともなく消えていった。
――だったのかも知れない。
家族総出で夜逃げをしたのなら、それは不幸だが、決定的に不幸ではない、だろう。
建物の家は残され、競売に掛けられ、見ず知らずの人が住み始める。
しかし、逃げ延びた先で新しい家に、家族で住めば、憩う家を再び持てるだろう。
しかし、家族が家族でなかったら、誰かがひっそりと抜けてしまったら、
家は家でなくなる。
「この家は今ではただの外枠だけで、なかは野原か公園のようなものだ」
ということになってしまう。
同じ家にいても、家族ではなく、野原に野宿する他人同士になってしまう。
しかも、そこに失踪したものを追って、胴間声を上げる厳つい人がやってきたら、野宿している人たちはどうするのか。
家族は、繋がりがあるから、一つ屋根の下に暮らすのか、
それとも
一つ屋根の下に暮らすから、繋がりができて、家族になるのか、
どちらだろう。
それは、この本を読んで、考えてみたい。
■紹介した本 ある意味、ホームレスみたいなものですが、なにか? 藤井建司 小学館文庫
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