私が映画LA・LA・LANDをあなたにオススメできない理由。《深夜3時の処方箋#7》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」で「読まれる文章のコツ」を学んだスタッフが書いたものです。
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正直なところをいうと、今こんな記事を書いている場合ではありません。
1週間前には予想もつかなかったことなのですが、私の思い描いていた未来予想図はぐちゃぐちゃに引き裂かれてしまったのです。
普段から映画をみる習慣のない私ですが、その日は店主三浦の“業務命令”にて朝一で天神の映画館に向かいました。9時すぎからの、しかも平日の上映だったため客数は少なめ。周りの方や三浦の「良かった!」という投稿をFacebookで見ていたため、もっとたくさんの客がいるものかと思っていました。しかし結果的に、私はこの少なめの時間に見られたことに感謝しています。
というのも、誰にも見られてはいけないくらいの勢いで、号泣してしまったからです。
ストーリーだけで言えば、とてもありがちで、本当にベタで、ベタすぎて書くのも憚られるぐらいの展開であったと思います。しかし、なぜこんなにも賞賛され、私が号泣するに至ったか、というのもそのベタさゆえであるような気がしてなりません。
残念ながら、31歳にして私は未だ「夢追い人」です。天狼院に入ったのもその夢に少しでも早く近づくためですし、個人でやっている活動についても、胸を張れる成果というものをあげられてはいません。
そして少々身勝手な話なのですが、夢を追うためには推進力が必要だと思っています。
例えばそれはお金が欲しいという理由かもしれないし、異性にモテたいというのもあるかもしれません。私にとっては、一番大切な人に自分というものを認めて欲しいというのが一番な気がしています。
おそらくこの話に出てくる2人も夢を追う中で、お互いの存在がその推進力になると確信していたに違いありません。だからこそ惹かれあい、だからこそ傷つけあい、相手を思うが故のわがままを言ってしまったのかもしれません。
映画が始まって30分もすぎた頃には、もう私は他人事とは思えなくなっていました。
もしあなたが何かを成し遂げようと努力している人ならば、経験のあることかもしれませんが、夢を追う人というのは時に孤独です。
友人からその夢をバカにされることもあるかもしれませんし、もっと楽な生き方があるよと言われることもありましょう。実家の親戚からは、そんなの早く諦めて真面目な人と結婚しなさいと言われるかもしれませんし、応援してくれていると思っていた恋人でさえも、もしかしたら「夢なんていいから生活を考えて欲しい」と思っているのかもしれません。
そんな外側からの力への反発も、また推進力になるのは事実です。しかしそれと同時に、自分の中での迷いとも向きあわなくてはなりません。
もしかしたら、私にはその資質がないのではないか。この方法ではうまくいかないのではないか。自分以外の優れた人に会うたびに、心は縮んで、押しつぶされそうになって、それでも自分を信じたくて、もっともっと出来るんだと言い聞かせて前に進もうとするのです。
その瞬間、圧倒的な孤独に包まれます。
私と私の戦いの中で、誰も味方にはなってくれません。残念ながら夢を叶える人というのは、もしかしたらこんな戦いを戦いとも思わず、いや一瞬も自分の力を疑うことなく信じ続けられなければいけないのかもしれません。世に天才というものがあるとしたら、それは迷うことなく努力し続けられる人かもしれません。
だとすると、残念ながら私はそれには当てはまりません。残念すぎて、これを書いている今も目と鼻から何かの液体が出てくるのを必死で抑えています。しかしながら、未練がましい女なので夢を諦めるなんてこともできそうにありません。ならばやるしかない。その気持ちがある限り、選択肢は「やる」一択なのです。
映画の中の2人も、おそらく天才ではありませんでした。だからこそ、認め合えるお互いの存在が必要で、それでいて馴れ合いではいけないというのもわかっていて、夢を追う同志でありながらライバルのようにも思っていたのだと思います。
自分を置いて先に行かないで欲しい、でもチャンスを逃さないで欲しい。
私は同じ状況に置かれたら、どんな選択をしたでしょうか。おそらく1週間前の私なら主人公であるミアと同じ選択をしたでしょう。でも今は、わからないのです。それが本当に正しい選択なのか、それが本当に自分にとっての幸せなのか、映画を観た後の私にはわからなくなってしまったのです。
もしかしたら私は「夢」というものに執着しているだけなのではないだろうか、それによって現実から逃げているだけなのかもしれないと、思わずにはいられませんでした。なぜなら私は天才ではないから。迷ってしまうのです、もしかしたら他の道もあるのかもしれないと。普通の幸せを掴むことの難しさもわかってはいるけれど、その普通への憧れが時たま顔をのぞかせるのです。
その迷いを、私は書くことで統制してきました。
書くという行為がこれほどまでに精神を落ち着かせ、そして未来を変えるとは思っていませんでした。ライティング・ゼミに通い始めて、天狼院のスタッフになって、その環境の変化はとても大きなものであったのは間違いありません。しかし、内面の変化はもっと大きなものがありました。
例えば状況を冷静に判断しようとする力とか、どう行動することが最善の策なのかを考えるようになったこととか。例えばここには書けない程にぐちゃぐちゃになっているプライベートの事案を抱えながらも、仕事に邁進できるというこの状況は、「書く」という行為がなければ全て得られないものでした。
元薬剤師である私がこんなことを言うとおかしな話ですが、安定剤なんかよりも高い効果が得られるのではないかと思ってしまうのです。いえ、これについては確信に近いものがあります。元メンヘラの私が言うのだから、間違いありません。
そして、言葉にすることで未来が変わることを、そろそろ認めなければいけないと思うようになりました。天狼院で書き始める前にも、私は「歌」という形での表現をしてきました。そこでも、「書く」ことと同じ現象が起こるのです。
悲しい歌をかいた後には悲しい出来事が起こり、別れの歌をかいた後には大切な人との別れがありました。
でも、その時はまだ確信がなかったのです、自分の発する言葉が自分の未来を作っているなんて。「奇遇だな」程度にしか思っていませんでした。
しかし先日、ライティング・ゼミの上級コースである「プロフェッショナル・ゼミ」を受験した際に、少しややこしい人間関係について書きました。フィクションで、もちろん現実とはなんのリンクもないものだったのですが、主人公の年齢だけは自分と近い設定にしてありました。
それからほんの2週間、もう私のプライベートはとんでもないことになっています。文字に起こしてしまったことで、その状況を引き寄せてしまったのではないかと思えて仕方がないのです。
だから私はこの記事を書くことにしました。文章にすることで、私の人生を変えたいのです。なんとかしてこの状況を打破し、平穏な日々を取り戻したいのです。これは決意とも言えますし、神頼みのようにすがりつくような想いとも言えます。
言葉にする、表現することで現実を引き寄せてしまうのならば、LA・LA・LANDの監督は、本当にこの結末を望んでいたのでしょうか。もう少し夢を見させてくれても良かったのではないかと呪いたくなるほど、ありがちで、やるせなくて、仕方のない展開になっていたのです。もし会って話すことができるのなら、「あなたの作ったものがあなたの未来を作るのよ!」と忠告しに行きたいくらいです。
いや、そんなことは知っているはずです。私なんかとは比べ物にならないくらい高いレベルで創作を行なっている人なのですから。それでもなお、このストーリーを描いたことに意味があるとするならば、それは私たち夢追い人に対する警告なのではないかと思うのです。
本当に大切なものとは何か。あなたにとっての幸せとはなんなのか。夢を追うことのツラさは孤独と戦うだけでなく、大切なものを失う危険性もはらんでいると、それでもあなたはその夢を追い続ける決意を持ち続けられるのかと問いかけているのかもしれません。
いや、こうも考えられます。大切な人を守りながらも、あなたの夢を叶える方法があるかもしれない。そのチャンスを見落としてはいけないという警告かもしれません。
もしそうだとするならば、今この映画に出会えたことを私は感謝しなければいけません。目の前の大切な人ひとり幸せにできないで、「自分の作るもので誰かを幸せにしたい」だなんて無責任にも程があります。
大切なものを守りたい。その気持ちはずっと変わりません。そしてそれが私の推進力になっています。それはその人に「認められたい」という気持ちよりもはるかに大きいのです。
映画館で、涙で霞むエンドロールを見ながら、私はそんなことを考えていました。決して私にとって状況は良くないけれど、自分の中に揺るぎない想いがあることを強く感じました。
もしかしたらそれは夢に対する気持ちよりも大きいのかもしれません。でも仕方がないのです、私は天才ではなく、ごくごく普通の人間なのですから。その気持ちに嘘をついて、自分を騙したままで生きていくなんてことはできません。
ああ、やはり観なければよかった。
本当に観なければよかったと思うのです。
私のような「夢追い人」だったり、何かを作り上げるクリエイターであるならば、そしてあなたが“天才”でないのならば、私はこの映画をあなたにオススメすることはできません。
私のように心の中にある本当の気持ちに気づいてしまっては、推進力が落ちてしまうかもしれません。
でも、もしかしたら、その大切な人があなたの手を取って「一緒に頑張ろう」と言ってくれるかもしれません。ならば推進力は何倍にもなるはずです。大切な人を守りながらも、夢を追うことができるかもしれない。ぐちゃぐちゃに引き裂かれた未来図を抱えながら、私にはまだ、その可能性が残っていると信じたいのです。
これは甘えでしょうか。
現実はそんなに甘くないと、三浦さんに一脚されるかもしれません。
でも、私は私の作るもので、人を幸せにしたいのです。
目の前の大切な人も、友人も、親戚も、遠くに住んでいる見知らぬ人さえも、幸せにしたいと本気で思っているのです。
だからこれからは、もっと人を幸せにする話を書きたい、記事でも創作でも、出てくる人を好きになって、幸せにしてあげたいのです。
ねえ、三浦さん。私は間違っているのでしょうか。
書くことで、人生は変わるんですよね?
アンハッピーエンドの小説ばかり読んできた私が、ハッピーエンドのお話をかけるのか不安はあります。ですが、私にはもう、それしか方法がないのです。
悲しいかな、私はこの記事を天狼院で書きながら、人目も憚らず泣いています。LA・LA・LANDのサントラを聴きながら、容赦無く垂れてくる鼻水をティッシュで拭いながら、涙で霞んで見えにくい画面を200%に拡大して書いています。誠に恥ずかしい行為だと自覚しながらも、それを止めることはできません。
まさか映画に2度も泣かされるとは、思ってもみませんでした。
ここまでお読みいただいたあなたには、もしかしたらクリエイターの心がわかるのかもしれません。
だとするとやはり、LA・LA・LANDをあなたにオススメするなんて、私にはできそうにありません。たとえ音楽やカメラワークや、その他細部まで全てに神経が行き届いている素晴らしい作品だ、ということを考慮に入れても。
記事:永井里枝
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