なにか一つでも情熱を持って教えられるものがあれば、
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【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:田中望美(チーム天狼院)
「M先生、ちょっと、いかんごたるよ」
「え? どういうこと?」
軽く答えた私に、父は少し口をすぼめた。
「M先生、病気で、もう長くないらしい」
「えっ?? まじ??」
私は、実感がなさすぎて、そのことを理解するのに時間を要した。
というのも、小学生低学年の頃から高校に上がるまでの7年間、空手を通して武道の心得を教えてくれた一番の恩師といえる先生とは、私が高校でダンスに夢中になって以来、年に一度、礼儀として年賀状を出す程度で、それ以外は全く音沙汰なしだったからである。
思えば、先生は、今では考えられないほど厳しかった。子供の頃は、最初からそうだったから、それが当たり前だと思っていたけれど、先生は幼稚園児だろうが、高校生だろうが、男も女も関係なくダメなところがあるとゴッツーンと拳で頭を殴っていた。空手のポーズの構えをしていると、前足を蹴られ、尻餅をつかされた。これが、痛いのなんの。さらには、言葉も激しかった。
「おい! お前、なんボケっとしよーとや!!」
獲物を突き刺すような目で睨まれ、そんな罵声が飛んできて、恐怖に感じない者はいない。
合宿も本格的で、毎日朝から走ってトレーニング。昼からすぐに練習開始し、夜は座学と反省会。空手のことだけではなく、ご飯はお米一粒残さず食べるだとか、靴をきれいに並べる。道場に入るときは大きな声で「押忍!」と言い、必ず一礼。稽古に来た時、帰る時も必ず真っ先に先生のところまで行き、荷物をすべて下ろし、「押忍!」と毎回毎回頭を下げた。
何度も言うが、その当時はそれが当たり前だと思っていたけれど、今考えると、相当だったと思う。今なんて、目上の人にあっても、そんなに真剣に挨拶なんてしないし、忘れていることだってある。ご飯も自分が食べたいだけ食べればいいし、部屋だって汚くても何も言われない。いつも試合終わりには、観に来てくれて応援してくれた親に感謝しろと、耳がタコになるほど言われ、そう言われるから、ありがとう、と恥ずかしくなりながらも、きちんと言葉にしていたけれど、今や、ありがとうの言葉すら滅多に言わなくなってしまった。
えげつないほど、怖くて厳しかった空手の先生。
当然空手を辞めたいと思ったことが何度もあった。本気でやめようと、熱で休みますと電話するのも怖かったのに、一人泣きながら先生の元ヘ行き、
「空手をやめたいです」
と、言いにいったこともあった。それくらい辛い思いもしたけれど、それでも7年間、週3日練習に打ち込むことができたのは、同じ道場の一緒に頑張る友人がいると言うのもあったけれど、己に克つことができる体験を、先生が熱意を持って教えてくれたからだと思う。最初は大嫌いだったけれど、なんだかんだ、空手が好きになっていたのだ。辛いことも、苦しいことも知った上で好きだと言えるものは、この先もずっと心に残り続けるのだろう。
なんと言っても、先生は、空手のときは息ができなくなるほど怖かったけれど、空手から離れ、キャンプや餅つき、打ち上げの時になると、稽古の時と人格が変わったと思うくらい陽気になる。よく笑い、よく食べ、よく話しかけてくる。
「おい、望美。わはははは……!!」
と言われ、超絶どう反応すればいいのか戸惑い、
「わははは…..」としか返すことができなかったこともある。
まあ、稽古の時以外は、優しくて、面白い先生だった。素がどちらなのか分からないし、どちらもと言われたら、すげーとしか言いようもないくらい、ケジメがはっきりとした先生が、いつも正座をして教訓を唱え終わった後に言う言葉があった。その言葉を初めて聞いたのは、今からもう10年ぐらい前のことで、しかも、空手の世界から離れて、大分立つのに、今でも心の奥深くに残っている。
「どんなに大きな人や、自分よりものすごく強そうな人と試合であたっても、自分の心だけには負けるな。ちっちゃくても、下から懐に踏み込んでやる!! 絶対に引き下がらないぞ!! そういう気持ちでいくんだ。そしたらもっと強くなれる。わかったか!」
わかったか! の合図で20人以上の生徒が「押忍!」と声を上げる。
子どもは、大人が本気で言う言葉がわかるのか、その先生の言葉は本物だと本能的に理解し、その言葉を信じ、一層稽古に励んでいた。私もだんだんと、試合の時に、自分は強いんだ! 勝つんだ! という強い気持ちを持てるようになっていった。
小さい頃にそんな経験をしたからこそ、ちょっとやそっとじゃヘコタレなくなったし、体も丈夫に育ち、普段はのんびりだが、やるときはやるという、ケジメもつけられるようになった。他にも、弱音を滅多にはかないとか、空手を通して、生きていく上で大切なことを教わったんだと気づく場面が23年生きてきて、何度もあった。そうすると、M先生に空手を習って本当に良かったと思える。むしろ、もっとたくさん教わりたかった。23歳という少しだけ大人になった今、同じ目線で話してみたかったとも思う。
「そんなに深刻な病気?」
父に聞くと、
「それが、お父さんも、よくわからんとよ。そればかりか、お見舞いに行きたくても、病院を教えてくれんらしい」
私達の話を聞いていた母が言う。
「弱った姿を見せたくないとやろうね」
「うわー、そっか……」
弱った姿を、私達にみせたくない。同じ田舎の地域に住んでいて、こんなに容態が悪くなるまで、病気で苦しんでいることすら知らないなんて、普通はありえないことだ。私が空手を辞めて実家を離れてからも、父は空手仲間と交流があった。それなのに長年付き合いのある人さえも、M先生がどんな病気でどんな状態なのかはっきりとは知らないらしい。
わかっているのは、ただ、もう長くないということだけ。
私はそのことを聞いた瞬間、ああ、M先生らしいなと思った。
これは後に知ることになるのだが、M先生は保険会社に勤めながら、週3回、前半と後半の3時間私たちのために稽古をしてくれていた。父もあの頃よく言っていた。あんなにいつも体力があるのはすごいことだと。
それでも先生は、疲れた姿を見せたことはなかったし、風邪を引いて声がガラガラでも、いつもの気迫は変わらなかった。
本当にすごいと思う。
同時に本当に空手という武道を愛してきたのだな、と思う。
空手の道場訓の1番は、「人格完成に努めること」だ。
他にも「誠の道を守ること」「血気の勇を戒めること」「礼儀を重んずること」などがあるが、このことを普段の日常で、先生は実践し、私たちに背中で語ってくれていたのだと思う。
どんな苦境に立っても、人格完成に努める。だから、先生は私たち生徒に自分の病を、弱った姿を見せたくなかったのだろう。
いつまでも自分が空手の先生で在れるために。離れていても、先生は、私の心の中で先生であり続けてくれていたのだ。
「亡くなったよ」
そう母から連絡があったのは、父と久し振りにM先生の話になったその1週間後だった。
私は少し迷っていた。
もう随分と会っていないのに、行ってもいいのだろうか……仕事も、やらなければならないこともたくさんあるし……
それに、先生はどう思うだろうか?
もしかしたら、大きかった身体がとても細くなっているかもしれない。そんな姿を私たちに見られたいだろうか?
というか、見られたくないから内緒にしてたんではないか?
私だって複雑な想いをすることになるだろう。
でも、すぐに先生の声が聞こえてきた。
顔は出せ。でも、次の日は夢を実現するためのダンスの稽古があるのだろう?? それは絶対に休むな。だから、葬式は来なくていい。すぐに戻って稽古に励め。いつも言ってるだろう? 稽古を1日休んだら、それを取り戻すためには5日かかるんだ。その差はでかいぞ。
私はすぐに覚悟し、実家へと帰った。
これから先生に会いにいくところだ。
先生はどうしてそんなに空手の稽古に励み、そして、どうしてそこまでして私たちに厳しく指導したのだろう?
私たちに何を教えたかったのだろう??
後から後から、聞きたいことが溢れてくる。
でも、これだけは、はっきりと言える。
何か1つでも熱意を持って、本気で伝えたい、教えたいものを持っていれば、
その人は、周りの人の心の中で存在し続ける。
私もそれくらい、1つのことを極め、いつか先生のように熱意を持って、少しでも多くの人に伝えられる存在になりたい。
「早めに行っとかんと、人がばさろ多いやろうけん」
「やろうね」
急遽帰ってくる私を父が駅まで迎えに来てくれると言った。空手協会の中でも、よく名の知れた師範だったから、車が入りきれないくらい多くの人が来るだろうから、と、父が仕事を抜け出して来てくれるのだ。
でも、安易に頷ける。
それほど本気で己と、私たち生徒と、空手と、そして人生に向き合ってこられたからだ。だからこそ、厳しくても、いろんな親御さんから慕われていた。
今お話しできたのなら、私をどう導いてくれたのだろう。
己に勝てよ、
お前ならできるぞ、と。
ものすごーーーくたまに言ってもらえる褒め言葉は、どんな言葉より自信になったな。
ああ、やっぱり最後に一言でいいから、お言葉をもらいたかった。先生は、本当に恩師すぎます。
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