【名前の呼び方の不思議】なぜ日本では上司を「部長」「課長」と肩書きで呼ぶのに、欧米では「Mrスミス」「Msサイゴン」と名前で呼ぶのか?《三宅のはんなり京だより》
不思議に思ったことありませんか?
上司のこと、日本では「社長」とか「係長」って呼ぶのに、欧米では「Mrジョンソン」とか「Msマクゴナガル」って呼びますよね。
何でこっちは肩書きで呼んで、向こうは名前で呼ぶんだっ。距離感の差か!?!
疑問に感じて調べた結果、
実は、「名前」というものに隠された文化の差から来るものじゃないか?と思うようになりました。
というのも、日本人にとって、「名前」というのは、古来特別な意味合いを持っていたからです。
明治中盤まで、日本人は「実名敬避俗」という習慣を持っていました。
「ジツメイケイヒゾク」って何じゃらほいと言うと、
親や主君以外の人が、その人の「本名を呼ぶこと」をタブーとし、呼ぶ時に実名を避けるという習俗のことです。
本居宣長さんなんかはこれは中国から来た習慣なんだーって言ってますが、
明治大正あたりの穂積陳重さんという方がこれ世界各国にあった考え方じゃね?って言ってます。特に東アジア圏の、漢字を使うとこで顕著だそう。
要するに、「人の本名を呼ぶことが、相手の人格の支配につながる」って考えから来てるんですね。
『千と千尋の神隠し』で湯婆婆が千尋の名前を奪うシーンも多分これがバックボーン。
一種の言霊信仰と考えられますが、「名前はその人の魂そのものだ」って考えが昔はあったのです。
ちなみにこれが一般常識だった古代では、女性に名前を聞く=プロポーズとなっていました。
男性は高い指輪を用意することもなく名前を聞きゃあよかったわけですね!!
『万葉集』の巻頭歌は雄略天皇の求婚歌なのですが、菜を摘む娘に、雄略天皇が家と名を尋ねる場面で詠まれた歌なのです。わーロマンチックー。
まぁそんなわけで、昔の日本では、「本名」というのは基本的に出番が少なかったわけです。
女性は特に顕著。たとえば平安時代の「紫式部」も「清少納言」も本名ではありません。呼称です。
由来ははっきりとは分かっていないのですが、
「紫式部」は『源氏物語』の「紫の上」と、彼女の父親の官位である「式部丞」からついたとする説があったり、
「清少納言」も、「清原」氏出身で宮中での呼称が「少納言」だから、という説があったり。
戦国時代なども、高貴な人は基本的に「住んでる場所」で呼ばれました。
たとえば豊臣秀吉の側妻・通称「淀殿」は、淀城に住んでた時は「淀殿」と呼ばれたのですが、大坂城二の丸に移ったときは「二の丸殿」、伏見城西の丸に移ったときは「西の丸殿」と呼ばれたらしいです。ドラマでは分かりやすく統一してることが多いですが。
また、もーっとごちゃごちゃしてるのが男性。
例えば「織田信長」という名前は一度も存在せず、「織田三郎信長」とか「織田上総介信長」とか「織田弾正忠平朝臣信長」が彼の本名だったのです。
は!?名前が変わったのか!?ミドルネーム!?と思われるかもしれませんが、
これは「諱」と「姓」と「通称」などが存在しているからなのです。
織田信長で解説していくと、
『織田』は苗字。
『弾正忠』とか『上総介』は官位。現代でいう社長、課長みたいなもので、目下の者が呼ぶ時はこれを使いました。
『三郎』は「輩行名」という親が子を呼ぶ時などに用いたもの。実は『三郎』というのは「三男」という意味の輩行名。『太郎』も「長男」という意味ですし、これらは特定の個人の名前ではなかったのです。『~さん家の太郎』イコール「~さんの家の長兄」という意味だったんですね。
『平』は「氏(うじ)」という自分の一族のルーツを示すものですが、まぁ武士というのは箔付けのために実際の系譜と関係なしに「源」「平」「藤原」の氏を名乗ることが多かったらしく、信長の場合も平氏であることは名目上のものでしかないらしいです……。
『朝臣』は「姓(かばね)」。朝廷との関係を表します。
そして、『信長』というのは「諱(いみな=忌み名)」なのです。
諱、って何かと言いますと、
諱というのは、目上の方か家族しか呼べない名前のこと。
他人がこの諱を呼ぶというのは、相手を支配する呪いをかけるようなもの!なのです。
織田信長の場合、「信長」がこの諱にあたります。たとえば、今年の大河ドラマ『軍師官兵衛』では「信長様!」とか連呼してますが、これ実際やったら打ち首モノです。まぁ岡田准一かっこええので全然オッケーというか視聴者が混乱しないためにわざとそう呼ばせてるのだとは思いますが。
……とまぁ色々説明しましたが、
三郎と名乗ったのは若い頃だけだったり、えらくなったら自分で勝手に上総介とか付け加えてみたり、「平氏になりた~い」なんて願望を名前に表現してみたり、まぁ信長さんも楽しく名前をカスタマイズしちゃってるわけですね……。や、ややこしや。
ほかにもたとえば沖田総司も「沖田総司藤原房良」(「沖田」が名字、「総司」が通称、「藤原」が氏、「房良」が諱)が本名。
豊臣秀吉に至っては「木下藤吉郎」から「木下藤吉郎秀吉」「羽柴秀吉」「豊臣秀吉」とかなんとかお前名前変えすぎだろうってなツッコミをあの世で受けていると思われます。名前の変遷がちゃんと分かっていないという説もあるくらい。
こんなふうに「本名教えて呪い殺されると困る~」的な考えから来た「実名忌避俗」ですが、これによって起こったミスといえば、西郷隆盛さん。
明治政府樹立に貢献した西郷さんは天皇から位階を授かることになり、書類に本名を書くよう命じられます。忙しかった西郷さんの代わりに本名を書きに行った友人は、彼をずっと通称の「吉之助」と呼んでいたので、本名を思い出せず……やっと思い出した「隆盛」という名前を伝え、政府は「西郷隆盛」で書類を作りました。
ですが実は「隆盛」という名前は、西郷さんの父親の名前だったんですね!
ほんとの名前は「隆永」だった西郷さん、この間違いを訂正せず、以後「隆盛」を名乗って、戸籍にも「隆盛」と登録され、西郷隆盛となったのでした、という……。
な、なんてことっ。ほんとに本名って書類でしか使わなかったんですね、とこのエピソードを知ったとき愕然としました。ていうかなんて執着がないんだ……。さすが肖像画すら本人でない西郷さん。太っ腹。
しかしこのように「本名で呼ばない」風習が今もやっぱり根付いていて、私たちはえらい人を役職で呼ぶという文化を未だに継承しているんだろうな~と思いました。
実際、欧米では役職や肩書きで相手を呼ぶ習慣はありませんし。実名忌避俗は漢字文化圏で顕著な習慣だ、というのも頷けます。
欧米でも日本でも家族の中で目上の人を「ママ」「パパ」と呼ぶ習慣が残ってるあたりは、少し名残を感じますが。
こうして見ると、名前ってのは昔から特別なものだったのだなーとしみじみ。
さすがに今は「本名を呼ばない」って習慣はないですが、やっぱり下の名前で呼んでもらえるとちょっと仲良くなった気がする、とかはありますよね。
「名前は親から与えられる最初の愛情なんだよ」って台詞が昔読んだ漫画にありました。
名前占い、ってのもそこらじゅうで見かけますし。
愛情にせよ呪いにせよ、名前というのは何か運命的なものを背負ってるのだと思います。
ちなみに私の友達は、「落としたい男の子」に対して「今まで何て呼ばれてたの?」って聞いて、彼が呼ばれたことない呼び方で呼ぶそうです。「だって特別感出るし、他の人に今までのあだ名聞かれたときに私を思い出してくれるじゃん!」って言ってました。うーんそれって実名敬避の習俗から来てんだろうねぇって私が言ったら、この話を聞いてその発想に行く文学部こわいって言われました。な、なんでだ。
何はともあれ、
名前というのは昔から特別な運命を背負っているのだなぁと思うと、
自分の名前も、すこしちがって見えるかもしれません。
名前は自分の魂、ですからね。
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