ダメンズ育成記 ケース 1「音楽家になりたかった彼」
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:中村弥生(ライティング・ゼミGW特講)
「俺、せいいっぱい愛したから」
これが、彼の最後の言葉だった。居留守を使ったり、無視さえもしたメールや電話の音が、その日を境にぷっつり途絶えた。
彼の名前は『シン』。会社のアルバイト募集に応募してきた東北の雪国出身の彼は、色白でイケメンの28歳。面接の日、シンは薄いブルーグリーンのジャケットに、履き込んだ細いジーンズをはいていた。面接で一目見た時、大人とも少年とも言い切れないアンニュイな表情にほんの一瞬だがドキっとしたのを覚えている。
うちの会社は女性3人。若い男性がいるだけで彼女たち(恥ずかしながら私も)は華やいだ。社員の彼女たちはまだ20代。仕事に張り合いも出て一石二鳥かもしれない、とわたしはのんきに考えていた。ミイラ取りがミイラになるなんて夢にも思っていなかったのだ。
バツイチ子持ちの女社長。
これがわたしの肩書きだった。会社は12年目に入り、アルバイトを入れるくらい仕事も順調だった。東京や大阪のクライアントの広告や映像を企画制作する会社で、わたしは出張が多く家を留守にすることが度々あった。ひとり娘はまだ小学2年生。出張の時は祖母が泊まりに来てくれる。自宅の近くにオフィスを構えたのは娘がさみしがらないためだった。
学校が終わると娘は時々顔を出した。ある時、オフィスの奥にあるわたしの仕事部屋に入ってきた娘は大きなおにぎりを嬉しそうに食べていた。
「それどうしたの?」
「シンちゃんにもらったの」
聞けば残業時に食べようと思って毎日おにぎりを作ってきていると言う。若いのにエラいな、と思った。そういえばこの子はお弁当も作ってきている。料理が好きなのね、わたしは苦手なの、と話が盛り上がった。あとから思えばこれも小さなきっかけだったのかもしれない。
「俺、音楽家になるので今月で会社辞めます」
それは突然だった。音楽家を目指しているのは聞いていたが、まさか本気とは思っていなかった。話を聞くと、今回出したデモテープを聞いた東京のプロダクションが、会いたいと言ってきた。チャンスなので退路を絶って音楽活動に専念したいという。
そんなうさんくさい話を本気にするなんて。
騙されてるんじゃない?と言った途端、シンの顔が曇った。
「俺を信じてくれないんですか?」
シンはまっすぐ聞いてきた。彼はいつもまっすぐ正面から切り込んでくる。こういう人はなかなかいない。
彼の人生だ。そこまで覚悟を決めているのなら、私がとやかく言うことはない。辞めるのは残念だけど、さようなら。次のバイトを探さなくちゃ。と、頭を切り替えようとしたのだが。おかしい。こういうのは慣れているはずなのに切り替わらない。あろうことか、わたしはシンに残留を求めてしまった。が、彼の決意は変わらず翌月退社することになった。
そして最後の出社日。
わたしはシンに告白された。まっすぐ正面からはっきりと。カチコチに固まっていたシンだったが、その目は真剣だった(と思いたい)。そろそろ硬くなり始めていた38歳の心と頭を溶かすには十分すぎる演出だった。
受けて立とう。
まるで申し込まれた決闘を受けるような感覚で、シンの思いを受け入れてしまった。今日がダメンズ育成記の記念すべき初日になるとは知らずに。
バツイチ、子持ち、女社長の弱点。それは「甘い言葉に弱い」ことだ。
わたしを含め、バツイチ子持ち、つまりシングルマザーと呼ばれる女性はとてもがんばっている。表から見えない裏の裏までがんばっている。
仕事に子育て、料理に家事。友達とのランチにも顔を出し、お隣さんとの付き合いにもソツがなく、学校行事にも積極的に参加したりする。
それに加えて経営者となれば、家では母親の顔、会社では社長の顔、と、まるで本当の自分がどれだからわからなくなるくらいがんばっている。
たまには誰かに甘えたいし、優しくされたい。あわよくば、娘の父親が欲しいし、もう一度結婚したい。正直に言おう。これが本音だ。
シンは巧みにここをカバーした。ちょくちょく我が家にやってきては、とっくになついた娘のためにイチゴたっぷりのパンケーキを焼いてくれ、残業で夕飯が作れないわたしに変わって夕飯を作って待っていてくれた。
あっという間にすっかり3人のフォーマットが出来上がっていった。
この形を壊したくない。わたしは強く、そう願い始めた。この思いが強くなればなるほど、シングルマザーは「尽くす女」に変貌を遂げ、ダメンズ素質のある男性は、すくすくと立派なダメンズに育っていく。この方程式は多くのシングルマザーに当てはまる。そして残念なことにわたしは完璧にそのタイプだ。
シンは素晴らしいダメンズ素質を持っていた。30歳手前で「音楽家」つまり「ミュージシャン」になりたいという男性が本当に音楽だけで生きていけるかというと、それはきっとメガ盛ごはんの米粒1つくらいのものだろう。
シンはすっかりわたしの家の居候となり、毎日部屋にこもって作曲活動に没頭した。東京のプロダクションからお金は一円ももらえなかった。まったくうまくいかなかった。そんな毎日にイライラが募っていった。どこに出かけても、何を食べに行っても、日々の食事も、そのお金は全てわたしが支払った。
これってヒモ?
認めたくないが、どう考えてもこれはそうだ。それ以外、もう答えは見つからないくらいのところまで来ていた。喧嘩しながらでも未来を信じてなんとかここまで来たが、もう5年の月日が流れていた。
悩みに悩んだが、シンに別れを伝え、荷物を東北の実家に宅急便で送った。
「俺を信じてくれないの?」
最後に言葉を交わした時、シンはそう言った。
もう一度やりなおしたい。もう一度会って話したい。そう書かれたメールが入りつづけたが無視しつづけた。会いたい気持ちはあったがここで振り返ったらまた同じことになる。一切の連絡を絶って2ヶ月ほどした頃、シンからの連絡は止まった。
「俺、せいいっぱい愛したから」
おそるおそる開いた最後のメールには、そう書いてあった。
今ならわかる。
わたしはシンが心底好きだった。
ブルーグリーンのジャケットを着たシンを見たあの日から、わたしはずっとシンが好きだった。
あれから5年。
シンは今、東京の美術館とコラボし、芸術的な音楽を制作したり、テレビCMや映画にも楽曲提供をしている。けっこう名前も売れているようだ。
あの時、シンを信じるべきだったのか、今でもわからない。
ただ、シングルマザーはダメンズを育成しがちだということだけは、わかる。
寂しいとき、甘えたいときは誰だってある。
そんな時、手近にちょうどよい男性がいたとしても、ブレーキがかけられる自分でいるために、普段がんばりすぎないことをお勧めしたい。
わたしはシンと別れてからもがんばり続けている。
次のダメンズもしっかり育成してしまった。
あえて言おう。
ダメンズは、引き寄せているのではない。
育てるから、離れないのだ。
シングルマザーのみなさま。
どうぞがんばりすぎませんようお気をつけくださいませ。
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