チーム天狼院

クリスマス直前に失恋した女の話でもしようか《川代ノート》


クリスマス

 

数年前のある冬のことである。

暖房のきかない寒いカフェで、わなわなと震える自分の手が、目の前の男に殴りかかろうとするのをなんとか抑えようと必死だった。

「俺は全力でお前と向き合ってきたつもりだから、後悔はないよ」

全力で、なんてよく言えたものだ。デートに遅刻はしまくる、借りた金は返さない、自分からした約束もすぐ忘れる。口の軽い人間なのだ。こうやって真剣に話している今もほら、口先は格好つけた台詞を言っているけれど、私がどう思うかなんてこれっぽっちも考えちゃいない。

「もういいよ。別れよう」

もはや彼の目の前に座っていることすら息苦しく、私は淡々と彼に告げた。
12月中旬のことであった。

「クリスマス直前に彼氏と別れた」なんて言うと、誰も彼もが同情してくれた。なかには面白がって色々きいてくる友人もいたけれど、それはそれで助かった。腫れ物に触るように同情されると、自分が本当に惨めになったような気分になる。ずけずけときいてくれる方が愚痴りやすい。その話をした友人には、私以上にかんかんに怒って今にも殴り込みに行きそうになった子もいて、そうやって一緒になって腹を立ててくれる友人のありがたみを知れると、まあ失恋してもよかったかなと思えるのであった。

恋人たちのクリスマス、という常識がいつから広まったのかは知らないけれど、クリスマスイヴに独り身で過ごすというのはひどく可哀想なことだと世間では認識される。実際にはキリストの誕生日を祝う日には違いないのだけれど、もうそんなことを覚えてる人はあんまりいない。とりあえず騒ぐ理由があればなんでもいいのである。
ましてや、クリスマス直前に甘い予定がなくなる、なんてまさに「悲惨」という言葉が相応しいようだ。

当の私はといえば、人生初の失恋にちょっと戸惑っていた。これまでに何度か付き合ったことはあったけれど、人と人としてちゃんとぶつかり合うような恋愛をしたのは初めてだった。
毎日のように一緒にいた。いろんな話をした。喧嘩も何度もして傷ついた。

そのときの私にとっては彼の存在が自分の生活のほぼすべてを埋め尽くしていた。とにかく彼がいちばん。彼が優先。嫌われるのが怖くて怖くて、言いたいことも言えなかったし、自分をいつも取り繕っていた。

不思議な人で、よく本を読む人だった。哲学的なことをよく話していた。いつも私に説教してきたけれど、当の本人は、勉強はサボりまくるわ、バイトはしないわでちぐはぐな行動をしていた。
私は彼にこうしてほしい、とか一緒にあれがしたい、とか欲求はいろいろあったのだけれど、どうしても言えなかった。彼に嫌われて別れることになるのが怖かったからだ。
ずっと別れるのが怖かった。彼と離れた自分が想像できなかった。ひとりで生きてなんかいけない、と思った。
けれどいざ別れてみて、目が覚めたようにいろんなことが見えるようになった。ハッとした。

クリスマス直前に彼氏と別れた、なんて本当に辛いだろうとみんなからは言われたけれど、正直言って、私はそこまで傷付いていなかった。不思議なくらい、辛くはなかったのだ。想像していたよりも、全然。

友人から同情され、ああ、これって可哀想なんだ、とか悲しむべきなんだろうな、とか思ったのだが、実際はそれほど痛手を負ってはいなかったのである。
でも、ショックではあった。びっくりしたし、がっかりもした。結局恋に恋していただけの自分に気が付いてしまったからだ。私は結局、「彼氏のいる自分」に慣れきってしまっていて、その親しんだ自分とお別れするのが嫌だったにすぎなかったのである。

彼に言いたいことも言えず、いつも言いなりだったのは、その方が楽だったからだ。彼に依存して、尽くして、彼の駄目なところには目をつぶった。見ないようにした。約束をやぶるところ、平気で人を傷つけるようなことを言うところ。そんな明らかに人としておかしい行動を彼がとっていたとしても、私は目をつぶったし、何も言わなかった。それは彼がいつか自分で気が付くだろうと信じていたからではなく、「駄目な彼氏がいる自分」を認めたくなかったからだ。他人から見れば駄目な男でも、自分だけは彼のよさを理解できていると思いたかったのだ。
私は彼に恋していたわけではなくて、彼との付き合いを通した自分自身に恋していただけだったのだ。

私は寂しかった。自分の存在を認めて欲しかった。特別な誰かになりたかった。そんなときに彼が現れた。だからこそ依存した。依存していれば、余計なことは考えずにすむ。彼が好きという自分だけを見ていられるのは楽なのだ。

「恋は盲目」とはこういうことを言うのだなと、そのときはじめて気がついた。
彼と全力で向き合わなかったのは、私の方だったのかもしれない。

彼は真正面から私のことを見ようとしてくれていたし、言いたいことも全部言っていた。でも私は見たくない事実から目を背けてばかりで、ただ恋することで自分を保っていた。
友人にはだめんずに引っかかったね、なんて言われたけれど、「だめ」の基準なんて人それぞれだ。彼は彼の生き方で全力だった。彼との付き合いをだめにしてしまったのは私自身で、自分の価値を彼に求めた私こそだめ女だったのだ。

女というのは別れたあとに死ぬほど相手の悪口を言いがちである。あいつが、悪くて、だめで、本当腹立つ、サイテー、時間無駄にしたわー、とか。たしかに失恋して傷付いているときに気の置けない友人に悪口を言いまくるというのは有効だ。
でもずっとそのままじゃいかん、と私は思うのである。恋愛というのには相性が少なからず関係していて、相手次第で人間はどうにでも変わる。実際、別れた当の彼も、気の合う恋人と長く付き合っていると風の噂できいた。

失恋して女が傷つくのには、もちろん彼を失って悲しいというのもあるだろうけど、自分の価値が認められなくて悲しいというのもあるのだ。だからあくまでも自分は悪くなくて、相手が悪かった、たまたま駄目男にひっかかった自分は運が悪かった、と思いたいのである。

でも私は思うのだけれど、恋愛に「たまたま」も「運」もないのである。どんな恋愛だって、なるべくして付き合うのだし、相手をだめにさせてしまったのなら、それは自分がだめだったということなのだ。「悪い男」も「悪い女」もどこにも存在しないのかもしれない。全部自分に責任があるということを認めなくちゃ、いつまでたっても成長できない。恋愛は自分の感情が大きく動かされ、自分のことを考え、見つめ直す絶好のチャンスである。そう思えば、あの当時は、クリスマスの聖なる夜に「だめんず」「サイテー」と散々友人たちと罵った彼には本当に申し訳ないことをしたなと思うし、ありがたいとも思うのだった。

そんなことを思い出し、感傷に浸りたくなるこんな寒い日には、おいしいコーヒーでも飲みながら、ぼんやりと本を読もう。

何か新しいヒントが見つかるかもしれない。

 

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2014-12-23 | Posted in チーム天狼院, 記事

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