天狼院通信

少しは心の傷の癒えた今だからこそあの日の屈辱と恐怖について語ろう《天狼院通信》


天狼院書店店主の三浦でございます。

あれは2014年11月14日のことでした。
11月8日の雑誌『READING LIFE』の発売、11月12日のシンポジウム、そして11月13日の劇団天狼院の旗揚げ公演という怒涛の日々を何とか切り抜け、僕はおよそ900日ぶりの休日へと向かったのでした。

900日ぶりの休日。

あまりに久しぶり過ぎて、完全に休みの仕方を忘れてしまっていました。
久しぶりの休日ということで、緊張して、朝から吐き気がしていました。

「大丈夫かな。無事に休むことができるかな」

不安で不安で仕方がありませんでした。
そう、気づけば完全に「休日弱者」となっていたのでした。

久しぶりの休日に、僕が向かったのは、北国でした。秘境でした。

電波の届かないくらいの秘境の温泉で、仕事とまったく関係のない時間を過ごそう。
紅葉を眺めながら、露天風呂に入るのもいいじゃないかと思っていました。

新幹線で北に向かいました。
そして、駅からはバスに乗って、秘境へと向かいました。
寒くはありましたが、秋の晴れた日のことでした。
調べてみると、駅からその秘境までは1時間半くらいはありそうでした。
それは秘境ですからね、それくらいはかかるでしょう。

ところが、秘境に向かうはずのバスは、思いがけず、混んでいました。
最後列を確保して、バスの旅、始まりです。
途中で、高校の下校時間とも重なったらしく、立ち乗りの人も出ていました。

まだ、秘境まで、時間がある。
素晴らしい紅葉が待っているに違いない。

そう思ってバスに揺られていると、さすがに疲労が蓄積していたのか、眠くなってきました。

いつしか、僕は眠っていました。

急カーブの連続で起きた時には、夢の中だろうかと思いました。

あれだけバスに人が乗っていたのに、バスには僕と運転手しかいませんでした。
しかも、あれだけ晴れていたというのに、窓の外は、雪一色になっていました。

いや、吹雪になっていました。

「紅葉、は・・・・・・」

そうです、冷静に考えてもみればわかるはずです。
11月中旬といえば、北国では本格的な冬の始まりです。
雪も降ります。
紅葉は、10月に終わっている。

もし、僕が休日慣れしていたら、それくらいはわかっていたでしょう。
気づいていたでしょう。
けれども、すっかり休日から遠のいていた僕は、そんな基本的なこともわからなくなっていたのです。

しかし、本当にこんな吹雪で、温泉はやっているのだろうか。

インターネットのじゃらんだったか楽天トラベルだったかで、たしか、ちゃんと予約できたはずだけど、本当に予約できているだろうか。

もし、万が一、予約できていなかったとしたら?
しかも、温泉がやっていなかったとしたら?

もう辺りは暗くなってきていました。
僕以外に乗っていないバス。

しかも、僕は紅葉を見に来たつもりだったから、ウィンドブレーカー的な薄いものしか着ていませんでした。

もし、休みで、帰りのバスが来なかったとしたら…

考えただけで恐ろしくなりました。
無事に帰ることができるとも限りません。
しかも、山道は険しくなっていくばかりで、近くに民家があるとも思えない。

やばいんじゃないかな…

もう、休むどころではなくなっていました。
無事に東京に帰ることができるかどうか。
いや、むしろ、もう帰りたいと思っていました。

目的のバス停名が、バスの前の表示板に示されているのに気づき、慌ててボタンを押します。

すぐにバスが停まります。

降りる際に運転手さんに聞いてみます。

「ここにはどうやったらいけますか?」

外は、完全に山です。
雪の山です。

「その道を降りて行くと5分位で着くよ」

何事でもないように言います。

言われたとおりに坂道を下って行くと、たしかに、雪に埋もれた温泉宿がありました。
湯気が出ていました。
幸い、やっているようでした。

ところが、なんだか、寂しい。

他にお客さんがいない様子。

部屋に案内される間にも、お客さんらしき人には会いませんでした。

「今日はあまり他にお客さんがいないんですね」

僕は案内してくれた男性に聞いてみました。

「今日は他に一組だけですね」

一番端の部屋に通されました。それまで二十ほどの部屋の前を通過しましたが、他に一組しか泊まらないとすれば、ここは使われないことになります。

なんだか、寂しい。
というか、なんだか、怖い…

気が休まるというより、あまりに静かで落ち着かないというか。
そわそわするというか。

時間があったとしても、仕事以外に、何をすればいいのか。

僕は、とても静かな雪の中の温泉で、半ば、途方に暮れていました。

そうだ、温泉に入ろう!

たしかに、貸し切りで、伸び伸びできる。
誰も入ってこない。
ただし、やっぱり、寂しいものです。

紅葉ではなく、窓の外は、雪、雪、雪。吹雪。

食事は大広間みたいなところでだったんですが、僕の他は、湯治に来ている老夫婦だけでした。

これも、なんだか、寂しい。

もう、帰りたくて、帰りたくて仕方がなくなっていました。

着て早々、もう仕事がしたくて仕方がなくなっていました。

休みに来たはずが、まるで心が休まらない。

翌日、事件が起きました。

雪の中でもバスが出ているということで、降りた場所に向かいました。

けれども、雪の中でバスを待っても、バスが来ないんです。

待てども待てども、バスが来ない。
予定の時間より、40分過ぎたくらいで、寒さの我慢の限界に達しました。

これは雪がひどくて来ないのかなと、温泉宿に戻ってバス会社に確認してもらうと、もうとっくにバスは行ったという。
しかし、僕の前を、バスどころか、何も通っていませんでした。

あ、と僕は気づきます。

降ろしてもらったところがバス停で、雪に埋もれてバス停が見えていなかっただけだと思っていましたが、もしかして、バス停はもっと違う場所にあったのかもしれない。

次のバスは数時間あとになると言う。
しかし、もう何時間も待ちたくない。少しでもはやく、東京に戻りたいと思いました。

ここに来る前にバスが寄った大きなホテルには、もう少しバスが来ているというので、僕は雪道を歩くことにしました。

軽装で8キロ、雪道を歩く。

まあ、行けるだろうと思っていましたが、吹雪いてきて、本気で死ぬかと思いました。

もし、あのとき、近くの人が車で通りかからなかったらと思うと、ちょっとぞっとします。

赤い軽自動車に乗った年配の男性が、車に乗せてくれたのです。

あっはは、とその人は笑いました。

「その格好で、8キロ歩くって、死ぬべや。この前、その辺にクマもいたしな。ま、もっとも、この雪で隠れてるど思うけどな」

「クマ、ですか、あのクマってヒグマではないですよね?」

「この辺りのはツキノワグマで、でも、引っかかれたら、まあ、死ぬな」

と、その人は笑います。

「近くの駅に行ったほうがいいんだべ?」

と、その人は言います。

「ええ、できれば。そうしてもらえると助かります。駅まで、どれくらいあるんですか?」

「ここからだと、40分位かな。そこからバスか電車で一時間位で新幹線の駅に着ぐんじゃねえがな」

こともなげにその人は言います。

本気に秘境に来ていたようです。

「あの、いいんですか?」

「いいの、いいの、雪かきしか予定ないから」

と、その人は笑います。

こうして、僕は無事に秘境から生還したのでした。

本当は、もう一泊か二泊、どこか温泉で過ごして帰京しようと思っていたのですが、もう怖くなり、早々に帰京しました。

そう、僕は休んでいる振りをして、池袋に戻ってきていたのです。
休んでいる振りをして、部屋で仕事をしていました。

「休みに失敗して、怖くて帰ってきた」

なぞとは、恥ずかしくて言えなかったんで。

もう、2015年は休むなんて考えないようにしようと決意しました。

慣れないことをすると、本気で命が危うくなります。

やっぱり、僕には仕事が合っているようです。

 

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2015-01-05 | Posted in 天狼院通信, 記事

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