映画『怒り』の凄まじい衝撃に圧倒されて呆然としていたけど、ウッチャンのゆるい深夜番組を観ていたらぐっすり眠ることができた《リーディング・ハイ》
記事:おはな(リーディング&ライティング講座)
エンドロールが流れていく。
動けない。
142分。
短くはないはずなのに、終わってほしくなかった。
このまま終わってしまったら、どうやって私に戻ったらいいのかが、わからない。
――お願い。もうちょっと続けて。もうちょっと、誰かが笑うまで続けてください。
私の思いは届かず、真っ黒な画面が真っ白に変わり、場内は明るくなっていく。
どうしよう。立ち上がれる気がしない。
この気持ちを抱えたまま、どうやって日常生活に戻ったらいいんだろう。
「すんっ」
驚いて左隣を見ると、私より少し年上風の女性が、鼻をすすり、目元をぬぐっていた。
「すんっ」
また驚いて右隣を見ると、全身白コーデの甘々スタイルの若い女子も、目元を中指で抑えている。
そこで初めて我に返った。
――そうか、あれは、今私が観ていたのは映画か。作り話か。フィクションか。
そうだ。そうだよね。
だから強く共感したり、動揺したりして、涙を流していいんだ。
「よかったねー」「面白かったねー」って言いながら、泣いていいんだ。
ようやく気付いた。
142分。
私は一度も泣かなかった。目頭を熱くすることもなかった。
ただ、画面を凝視したまま固まっていた。
「若手実力派」「演技派」「個性派」などと評される役者陣の本気に、圧倒されてしまった。
演技ではなく、彼らはその役の人間として、生きていた。
見ていた私は、フィクションだと思うことも忘れてしまうくらい、
「こんなことがあったんだ……」と、それを現実と勘違いしてしまい、
自我の存在すら忘れてしまうほどに、没頭してしまっていた。
やがて、周囲はガヤガヤと出口へと向かい始めた。
私も流れに飲み込まれるように立ち上がり、帰路に就いた。
明日が祝日なこともあり、22時近くの駅のホームはお酒の臭いが充満し、人で溢れている。
あまり人に触れたくないなと思い、出来るだけ空いていそうな所を探す。
なかなか見つからなくて、ホームを行ったり来たりする。
まだ、さっき観てきた映画『怒り』の衝撃が、続いている。
電車を何本かやり過ごし、ようやく乗って、部屋へと帰った。
シャワーを浴びても、頭と心はスッキリしない。
感情がまったく動かない。
なにも考えられない。
困った。このまま寝たら、大変だ。
きっと恐ろしい夢を見る。
何度も何度も暗闇で一人目を覚ます。
怖い。そんなの嫌だ。
落ち着くまで起きていようと思い、録画レコーダーのリモコンを手に取る。
「録画一覧」の約半分は「内村」と「さまぁ~ず」で埋め尽くされている。
直感だけを頼りに、一覧のページを進めていく。
「あ、これ見たい」
深夜にひっそりと放送している、ウッチャンナンチャンのウッチャンがMCのお笑い番組。
2週に渡って、面白い芸人さんを紹介する番組。
ゲストの芸人さんを、先輩や後輩たちがべた褒めする様子を、ウッチャンはただ横で笑っている。
時々突っ込んだり、イジったりするものの、決して毒を吐いたり、罵倒したりすることはない。
みんながワイワイしている様子を見守り、誰よりも笑っている。
そんなウッチャンを笑わせたくて、何か言ってほしくて、
ゲスト陣は必死になって面白エピソードを繰り出していく。
「ふふふ」
つい、頬が緩み、笑ってしまう。
その世界観に浸っていると、気持ちがゆるーく穏やかになり、笑ってしまう。
お互いが褒め合う姿に、スタジオの笑い声がどんどん笑いが大きくなっていく。
誰かの悪意や失敗には、ウッチャンが立ち上がり、それをあったかい笑いに変えていく。
画面の中で、みんなが楽しそうに笑っている。
そんな様子を見ていると、固くなっていた気持ちもゆるくあったかくなっていく。
――あ、そうだ。
今日、『怒り』を観てきたんだ。
あれ、すごかったな……
ようやく、いつもの自分が戻ってきた。
「お前、なんだよそれ」
「最高に面白いじゃないか」
「だめじゃねーかよ」
「ハハハハハハ」
テレビに反応して、ついつい笑ってしまう。
――いや、それにしても、すごかったな。
もし、私だったら……
あれは、画面で見れて良かった。フィクションで、映像で見ることができてよかった。
笑っていると同時に、感情が戻り、頭も動き出す。
衝撃的な作品を、冷静に振り返ることができるようになった。
するとふと、一つのことを思い出した。
あー、そうだ。人間やっぱりどんな時でも、笑いが必要なんだ。
辛い時、苦しい時、
「ヘラヘラするな!」「笑ってるんじゃないよ!」と言われることもあるけれど、
笑っていられるから、心がちゃんと動くんだ、と改めて納得した。
もうだめだ、心が動かない。笑えない。
そう思った時も、無理やり手で口角と頬を引っ張って上げていたら、
少しずつ笑えるようになったことがある。
ただ黙って画面を見ているだけでも、少しずつ心が溶けていくのを感じたことがあった。
どんなに苦しくて、腹が立つほど悲しくても、
目の前で誰かが大爆笑していると、私もついつい笑いたくなってしまった。
そうしているうちに、少しずつ少しずつ、自然に笑えるようになっていった。
改めて思った。
「笑い」の力はすごい。
人間に生きる気力を与えてくれる。
だからこそ、尊敬の「お」をつけて「お笑い」と呼ばれるのかもしれない。
生きること、信じること、愛すること。
時に苦しいほどに痛い現実と向き合わなければならない時が来る。
「問題作」と呼ばれる作品を提示し、とてつもない衝撃を世間に与え、考えさせることも、必要だ。
そうしなければ気付けないこと、考えないこと、失ってからでは遅いことが、世の中には多すぎる。
だけど、それと同時に、「くだらない」と言われる面白いことを、真剣にやり続ける存在も必要だ。
誰かが涙を流し、苦しみ、もがいている傍らで、笑い続けている存在は必ず必要だ。
例えば失恋をしたり、仕事で大きな失敗をしたり、誰かにバカにされたり、誰かを傷つけてしまったり。
一人で泣いて、布団をかぶって、時間は止まった物として悩むことに没頭したい時がある。
少しだけ周囲と断絶される時間が欲しい時がある。
そんな後でも、日常に笑い声が響いていれば、また自然と戻っていくことができる。
「あははははは」
「え、何笑ってるの?」
「ん?いや、聞いてよ。可笑しくてさー」
「えー、なにそれー!」
「あはははははははは」
家族や、友人や、職場や、
自分が戻るべき場所の中に笑いがあれば、自然とまた世間に参加することができる。
だけど、不謹慎だから、失礼だから笑っちゃいけないよ、と周りが無言でいたら、
戻りたくても、戻りづらい。
……ガタっ
「どうしたの?」「もう大丈夫なの?」「何があったの?」
「ごめんね」「いいんだよ」「無理しないでね」
――シーン
そんな風になってしまったら、一度足を止めてしまったら、また日常の流れに戻ることが苦しくなってしまう。
「どうして、みんな笑っているんですか?」
以前フィリピンで働いていた時。
性的虐待を受けた女性が保護されている施設を訪れた時のこと。
そこで暮らす人々の様子を見て、日本の大学生が、施設の職員に質問をした。
女性スタッフは笑えて答えた。
「当たり前じゃない。生きているからよ」
その答えは、衝撃的だった。
「そりゃつらくて苦しくて、今でも泣いたり怒ったりすることはあるわよ。
でも、生きてるんだから。ずっと泣くわけじゃないでしょ。笑うわよ。あなただって笑うでしょ?」
そう言って、彼女は笑っていた。
あぁ、どうしてそんなことを、当たり前と思えなかったんだろうと思った。
辛い時は、辛い顔をしていなければ、辛いと思ってもらえない。
泣いていたり、苦しい表情をしていなきゃいけない。
そう思い込んでいた。
だけど、悩む時間もあれば、大爆笑する時もある。
問題が解決したわけではない。
でも、その過程だとしても、生きているなら笑って当たり前。
笑っていられるから、生きることができる。
生きていくためには、悩み苦しむことも、可笑しくて笑うことも、どっちも必要。
だからこそ、エンターテイメントでも、世間に問題提起をする痛いほどの衝撃の作品もゆるくて穏やかなお笑いも、どちらも必要で、どっちもあるから、前に進むことができるんだ。
そう思うと、なんだか心はやんわりとあったかくなっていた。
なんだか、まぶたも重くなってきた。
今日はいい1日だったな。仕事を終わらせて、映画館に行ってよかったな。
そう思いながら、布団に入った。
朝、ゆっくりと目が覚めた。
白い天井が見える。
カーテンの外は、明るくなっているものの、雨が降っている。
そうだ、今日は休みだ。
スマホを手に取ると、もうすぐ8時。
今日は休みだ。
休みの雨の日の布団の中は、最高に幸せだ。
もうちょっと寝ていようかな。もう起きて、ゆっくり本でも読もうかな。
「ん……」と手を伸ばし、
リモコンをテレビに向ける。
「今日も1日、がんばりましょう!」
朝の元気な声が聞こえてくる。
よし、よく眠れたし、もう起きようかな。
いや、せっかくの休みだし、雨だし、このまま布団の中で録画していたのを観ちゃおうか。
「ふッ……」
もう少しだけ手を伸ばし、レコーダーのリモコンに手を伸ばした。
せっかくのお休みだ。今日は、笑って1日をスタートさせよう。
………
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