リーディング・ハイ

彼女は、いまも闘っているのだろうか……《リーディング・ハイ》


tatakau

 

記事:西部直樹(リーディング・ライティング講座)

 

 

昭和の時代に「闘う女」に、わたしは出会った。

 

 

「コロッケ定食を下さい」

エネルギーが切れる寸前のような声が聞こえてきた。

か細い声の注文に愛想よく応えるおばちゃん。

 

声の方を見ると、さっきのあの女性だ。

 

小田急線の百合ヶ丘駅近くの商店街で、大きな荷物を担いで歩く女性を見かけた。

その荷物はどうやら布団のようだった。掛け布団だけでなく敷き布団もありそうな大きさだ。

タクシーにでも乗ればいいのに、担いでいる。

担いでいるのは若い女性だ。

なんか、逞しいなあ、とじっと見てしまった。

「闘う女」という言葉が浮かんできた。

布団を担ぎながら、前を向いて歩いて行く姿は、何かと闘っているような雰囲気があった。

その布団担ぎの女性がコロッケ定食を頼んでいたのだ。

 

わたしは百合ヶ丘駅の近くで用事を済ませて、さて夕食と思った。

しかし、あまり金がない。給料日まではまだ間があるのだ。

いかにも安そうな定食屋さんがあったので、とりあえずはいってみた。

白い割烹着を着たおばちゃんが一人でやっている、そんな店だ。

すみれ食堂と看板が掛かっていた。

この店で、おそらく一番安い目玉焼き定食を頼む。ご飯のお代わりは無料だ。味噌汁も!

しみじみとご飯の二杯目を味わっている時に、布団を担いていた彼女の声が聞こえてきたのだ。

 

彼女は、コロッケ定食がくるまでの間。放心したように座っていた。

たぶん布団を運んで疲れてしまったのだろう。

二十代後半、わたしより少し年上かもしれない。

 

彼女とおばちゃんの世間話が聞こえてくる。

 

会話の中から、彼女が引っ越してきたばかりだということがわかった。

どこか海外から帰ってきて、すぐにこちらにやってきたらしい。

引っ越したばかりで、布団があるだけの部屋だという。

 

若い女性が布団があるだけの部屋にいる姿、それは哀しいほどに寂しげだ。

しかし、彼女はご飯のお代わりを何度か、味噌汁もたらふく飲んでいた。

彼女の部屋は寂しいかもしれないが、彼女は逞しい。布団も担いでいったし。

 

彼女の窮状にこの店のおばさんが同情したのか、帰りがけに彼女に紙包みを渡していた。

「あしたの朝にでも食べて」という言葉が聞こえてきた。

 

布団を担いでいた彼女は、それから何度か、その定食屋さんで見かけることになった。

見かけるだけで、言葉を交わしたことはない。

しかし、彼女と店のおばちゃんとの会話から、何となく彼女の様子を知ることができた。

 

会社を辞めようと思っていること、しかし、次の仕事に踏み出すのを躊躇っていること、などなど。

定食屋のおばちゃんは、彼女にこう言うのだった。

「思い切って、飛び込んでみたら?」

「人生は、片道切符よ」

 

傍らで聴くとはなしに聴いていたわたしも、ハッとした。

「人生は片道切符」か。

そうだ。帰りの切符はない。

進むしかないのだ。

 

彼女はその一言に背を押されたのだろうか、

季節が変わった頃に「すみれ食堂」で、見かけたときには

「フリーライターになった」というようなことを言っていた。

 

彼女は会社勤めを辞め、フリーの物書きになったのか。

 

フリーのライターは、なかなか大変なのだろうな、と思う。

自分も学生時代にアルバイトで雑誌のコラム記事を書いていたことがあるから、何となくわかるような気がする。

書いていたのは地方新聞社が出している月刊誌の一ページのコラムだ。

「キャンパス番外地」という、埋め草的な記事だった。

毎号、女子大生(写真写りの良さげな人に限っていた)のインタビュー記事を書くというものだった。

インタビューする女子大生の手配、インタビューの場所、日時などはすべて自分で決め、インタビュー中に、編集部のカメラマンが写真を撮る、というものだった。

月一回とはいえ、インタビューに応じてくれる女子大生を捜すのは大変だった。

当時付き合っていた彼女からはじめ、彼女の友達、後輩、大学のサークルの知り合い、とつてを頼りに毎月、女子大生を捜し回っていた。

そして、インタビューして記事を書く、ワープロもない時代だから、すべて手書きだった。

記事の入稿まで、数日を費やして、わずかの稿料を稼いでいた。

いま思うと、時間と労力をかけた割には、実入りは少なかったように思う。

学生のバイトだったから、大変といいながら楽しかった。毎月、なんだかんだと同世代の女性を会えるのだから、若い男にとって楽しくないはずがない。

 

しかし、アルバイトライターなら気楽なものだが、それを職業にしたら、月1本の記事だけでは食べていけない、その10倍くらいは書かなければ。

 

しかも、いつ依頼がなくなるのか、わからないのだ。

アルバイトで書いていた「キャンパス番外地」も、1年も経たずに紙面刷新ということでなくなってしまった。

 

そんな不安定な仕事を彼女ははじめたのだな。

彼女は闘いの場を変えたのだ。

 

すみれ食堂の片隅で「とんかつ定食」を頬張りながら、彼女の行く末を少し案じていた。

 

その後、わたしは仕事が変わり、百合ヶ丘駅近辺から離れてしまった。すみれ食堂に行くこともなくなった。

 

 

数年後、コンビニで雑誌を見ていたら、懐かしい顔を見つけた。

ある雑誌で、すみれ食堂で見かけた、あの布団を担いでいた彼女を見つけたのだ。

 

彼女の独り立ちはうまくいったのかな。

と思った。

 

出会いともいえない出会いだったけれど、

人生のある時点ですれ違った人のその後を垣間見るのは、嬉しいことだ。

 

すみれ食堂に通っていたのは、昭和が平成に変わるあたりの頃だった。

 

あれから四半世紀以上経ったけれど、

百合ヶ丘駅のあたりで、布団を担いでいた彼女はどうしているのだろう、とふと思う。

あの雑誌に載ってから、それからどうなったのだろう。

 

人生は片道切符

彼女は、いまも闘い続けているのだろうか。

彼女のお話は、この本で読んで欲しい。

 

 

「闘う女」 小手鞠るい 角川春樹事務所 ハルキ文庫

 

  
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2016-10-31 | Posted in リーディング・ハイ, 記事

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