就活で落ちこぼれだった私は、一人で富士山に登った経験から、書くということを学んでいったのかもしれない
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記事:菊地功祐(ライティング特講)
「何をしたいのかわからない」
私はその頃、あてもなくさまよい歩いていたと思う。
就活の時期が来て、いちよ就活というものをしてみた。
大手企業からマスコミまで50社近く受けていった。
ほとんどが落ちた。
なぜだ?
なぜ私だけが落ちるのだ。
6月が過ぎ、大学の同級生のほとんどが内定をもらい、就活を終えていった。
私はというと焦っていた。
内定ゼロだったのだ。
私は社会から自分が必要とされていないように感じ、もがき苦しんでいたと思う。
自分の弱さに嫌気がさしていた。
何でこうも世の中は自分の才能を認めてくれないのだ! と自己陶酔に落ちいり、自分の殻に閉じこもっていった。
何とか小さな制作会社に内定をいただき、私は就活を終えることができた。
それでも私は不安だった。
この会社が正解なのかわからなかったのだ。
自分にはどこかクリエイティブな才能があると信じ込みたかった……
「君は人とどこか違っている」と誰かに言ってもらいたかったのだと思う。
そんな自己陶酔に陥っているやつを雇ってくれる会社はほとんどなかった。
ほぼ全ての企業で落とされた。
私は自分の力のなさを痛感していた。
就活は今思おうと、自分の弱さを初めて痛感した出来事だったのかもしれない。
自分を変えたい。
何か力強い自分でありたい。
そう思っていた。
そんな時だった。
いつものように学生生活、最後の夏休みで暇な時間を持て余していた頃、
私はふと富士山を見上げていた。
東京からでも天気が良い日は富士山の頂が見えることがある。
私はその時、ふと富士山に呼ばれているような気がしたのだ。
そういえば富士山に登ったことないな……
山頂まで登りきったら、弱い自分を変えられるかもしれない。
そう思った私は
「よし、富士山に登ろう!」
と、富士山に登る決意をしたのだった。
早速、次の日に私は登山グッズをレンタルし始めた。
ツアーにも申し込んだ。
自分を変えるための修行だと思っていたので友達は誘わなかった。
自分一人の力で登り切らなきゃいけないと思ったのだ。
登山専門店に行き、登山靴をレンタルすることにした。
店の人はこう言っていた。
「富士山の登頂率は70パーセントです。ほとんどの人が8合目あたりから高山病にかかって、ギブアップします。高山病にはくれぐれも気をつけてください」
私は高山病というものがよくわからなかった。
気圧の急激な変化で、体が過剰に反応する病のようなのだが、登山経験など皆無の私には高山病などかかったことがなかったのだ。
「初心でも登れることは登れますが、くれぐれも気をつけてくださいね」
店の人はそう言っていた。
登山当日、私は朝早くから新宿駅に着き、高速バスに乗って、ひとまず富士山
5合目を目指すことにした。
新宿駅から約3時間で富士山5合目についた。
5合目の段階で、すでに雲の上にやってきていた。
雲の切れが、道路を覆っているのだ。
空気も肌寒く、気圧が低いのが自分でもわかった。
新宿で買ったペットボトルは膨張していた。
「気圧に慣れるため1時間ほど、5合目で待機してください」
そう係りの人に言われた。
1時間が経ち、ツアーガイドさんがいるところに私は集まった。
「これから富士登山を開始します。くれぐれも自分の体力を過信しすぎないでください。体調が悪くなったらすぐに言ってください」
私は重たい登山バックを持って、富士山を登り始めた。
木が生い茂り、雲の上から東京を眺める絶景を楽しんでいた。
隣にいた登山客は
「去年私は8合目まで登ったけど、そこでギブアップした。高山病になって、吐き気が止まらなくなったんだ。今は景色を楽しんでいる余裕があるけど、7合目超えたあたりから、ただの岩山にしか思えなくなって苦行になってくる」
そう言っていた。
確かに6合目あたりまでは景色を楽しむ余裕があった。
しかし、7合目あたりから岩山が続き、私の体力はどんどん消耗していった。
休憩のたびに私は水を飲んでいった。
「捨ててください。どんどん水を飲んでお菓子を食べて、荷物を減らしてください。登山バックが重ければ余計に体力が消耗していきます」
私は山小屋で売っているペットボトルが600円ほどすると聞いていたので、地上で2リットルのペットボトルを買って、バッグの中に入れていた。
それが間違いだったのだ。
常に2リットルの水を持って、富士山を登るのはだいぶ過酷だった。
私は一生懸命水を飲み、余分なものをどんどん捨てていった。
荷物を減らし、登山の過酷さに耐えていった。
8合目あたりまでくると、すでに夜が暮れていた。
私たちは山小屋で仮眠をとり、夜中の1時30分から再び登山を開始した。
睡眠はほとんど取れなかった。
しかし、就活で失敗した自分を変えるためにもここは頑張るしかないと思って、私は黙々と山を登り続けた。
登っては水を飲み、バッグの中にしまっておいたジャンバーを着て、できるだけ荷物を減らしていった。
食べられそうにないお菓子は山小屋に置いていった。
荷物を減らすことで、私は身軽になっていき、
厳しい山風に耐えながらも私は富士山を登り続けた。
ようやく山頂が見えてきた。
「よっしゃー!」
私はそう叫びながら富士山の山頂に降り立った。
山頂にはご来光を待ちわびている登山客でひしめき合っていた。
私は日本で一番高い場所から世界を見下ろしているうちに、何か感慨深いものを感じていた。
地平線から太陽が昇り始めた。
「おお〜」という声が周囲から聞こえた。
ご来光の瞬間だった。
私は富士山の山頂から見た太陽の輝きを今でも忘れられない。
あの感動を求めて、日本人はみんな富士山に登るのだ。
富士山に登った経験が私の何かを変えたのかは今でもよくわからない。
しかし、そんな経験が役に立ったことが度々あった。
「書けるようになるには書くしかない! 書け!」
天狼院書店、店主の三浦さんからこう言われた。
去年の10月から天狼院ライティング・ゼミに通い始め、書くことを学んだ私だったが、一つだけ思い悩んでいたことがあった。
それは……
ネタがなくて書くのが辛くなってくるということだった。
そのことを講師である三浦さんに相談したところ、
「書く量が足りないから書けないんです。もっと書いてください」
と言っていた。
なんとも無責任な〜と正直、思ったが、三浦さんは20代の頃は1日につき
1万6千字の文章を書いていたという。
原稿用紙40枚分だ。
書く量が異常だろ……
とにかく解決策も見当たらなかった私は天狼院のメディアグランプリに投稿する記事以外に、個人ブログを始めて、今までの倍以上の記事を書いてみることにした。
初めの2週間は辛かった。
毎日書き続けると書くネタを探すのに苦労していった。
しかし、不思議なことが起こった。
自分の中にあったネタを書いて、捨てれば捨てるほど書くのが楽になったのだ。
書いては吐き出して〜を繰り返していると、脳みそが身軽になったせいか、自分の身の回りにある些細な出来事からも記事になるネタを吸収し始めたのだ。
自分でも驚いた。
書くということは、富士山に登ることと似ているのかもしれない。
体力の消耗を抑えるため、荷物を捨てて、身軽になっていくように、
書いて吐き出すほど、自分の中のストックが減って、身軽になっていき、より広々と世界を見渡せるようになる。
自分の身の回りにあった些細な出来事にも気づけるようになるのだ。
自分が背負っていた余分な荷物を捨てるということは、富士登山においても
書くということにおいても大切なことなのかもしれない。
三浦さんが言っていたことは確かに正しかったんだと思う。
「とにかく書け!」
それに尽きるのだと思う。
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