たかが一言使わないだけで、何が変わるというんです?
記事:永井聖司(チーム天狼院)
「『おあいそ』って言葉の意味知ってる?」
そう聞かれたのは、大学生の時。
所属していた学生劇団の稽古終わり、飲み会の席でのことだった。
A先輩は、僕が知らない様子であることを確認すると、話を続けた。
「授業で聞いたんだけどさ、『おあいそ』って、『お店に対して愛想をつかす』みたいのがそもそもの意味で、失礼な言葉らしいんだよ」
焼き鳥を頬張りながら、僕は話半分に聞いていた。
「だからさ俺、『おあいそ』って言葉もう、使えなくなっちゃったよ」
テキトーに相槌を打ちながら、僕はこう思っていた。
大げさだ。
たかが言葉一つでなんだって言うんだろう。世間一般でもう使われている言葉だし、お店の人だって気にしてやしないだろう。
A先輩1人が使わなくなったとしたって、何も変わらない。
そう、思っていた。
でも、違うのだと、今なら思う。
「『了解です』って、目上の人に使っちゃいけないらしいですよ」
そう教えてくれたのは、前の職場に勤めていたときの後輩だった。
「え!? そうなの!」
恥ずかしながらこの時すでに社会人歴5年目を迎えていた僕だったけれど、本当に驚いた。その瞬間まで、このビジネスマナーについてまるで知らなかったのだ。
社長はもちろん、取引先やパートナーの方々、社内の先輩にまで、当然のごとく『了解です』と使っていた。
なんなら、大人っぽくてカッコいいとさえ思っていた。
今まで『了解です』と言ってしまってきていた人たちの顔が浮かべば、恥ずかしいのか罪悪感なのか、よくわからない感情を覚えた。
その事実がわかったからと言って、誰に怒られるわけでもない。わざわざ謝るようなことでもない。些細な言葉遣いのたった1つや2つ、気にしていない人も大勢いるだろう。
でも何故か僕の中でこれは、大事件だった。
『了解です』と、使うのをやめよう。
大学時代に先輩が、『おあいそ』についてそう言っていたように、僕は決意した。とても自然に。当然のことだと思って。
でも不安はあった。
その日が訪れるまで、ずーーーーっと、当然のように使っていた言葉なのだ。
口癖や方言レベルで、使っていた言葉なのだ。そんなにスッキリ抜けるだろうか。
でもそんな不安は、簡単に消えた。
思ったよりもずっと簡単に、僕の中から『了解です』という言葉は抜けていった。
社長や先輩、取引先はもちろん、後輩に対しても僕は、『了解です』と返さなくなっていった。
本当にそうだろうか、と念の為確認してみたけれど、天狼院書店に転職して約1年5ヶ月。社内のチャットツールで僕が『了解です』と返事をしたことは、1度たりとてなかった。
何かの拍子に、『了解です』と打ってしまいそうになったら、慌てて相手の顔を浮かべて、『承知しました』と打ち直していた。
その行動に、なんの抵抗も違和感もない。
そうすることが当然だと、思う人達に恵まれているからだ。
役職や年齢などで決まる、『目上の人』とはちょっと違う。僕の場合、『承知しました』を使うのは、『尊敬できる人』なのだ。
前の職場も、今の職場も。役員も正社員も先輩も後輩もパートもアルバイトも関係ない。
自分なんかが『了解です』と使える人は1人もいないのだ。僕自身を卑下しているわけでも、こびへつらっているわけでもない。
そういった人たちしかいなかった環境にいたこと、今いられることを、嬉しく思う。
信じられないぐらいのスタミナと行動力で動き続ける社長。
『ここまで優しい人が世の中にいるのか!』と思わせるぐらい、底抜けに優しい先輩。
自分なんかでは到底追いつけないぐらいの頭の回転の速さを見せる同僚。
どんな逆境になっても追い詰められても、自分の仕事は最後までやり抜く後輩。
頼まれた仕事を、期待以上の成果で返してくれる、アルバイトスタッフ。
皆が皆、どこかしら尊敬できる部分を持っている。
自分が持っていない能力や、自分には到底かなわないセンスや知識、強靭なマインド等など。
そんな人たちに対して、『了解です』なんて、使えるわけがない。
相手が気づかなくても、何も気にしない人だとしても、僕が気持ち悪いのだ。
多分それは、『おあいそ』の意味を知った先輩も同じだったはずだ。
『了解です』の意味を知りながら、平然と使うような自分になりたくない。
『了解です』という言葉を使わないことで、リスペクトの気持ちを忘れない自分でいたい。
安心してほしい。
他人にまで、この考えを押しつけるつもりはない。
僕が勝手に、ルールを決めているだけの話なのだから。