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チーム天狼院

『見る』とはなんだろう?〜ビジネス書専門店店長、美術館へ行く第3回〜


記事:永井聖司(チーム天狼院)
 
展覧会会場に入ると、みんながみんな、同じ動きをしていた。
 
作品を見て、息を呑む。
1歩2歩と作品に近づき、作品の細部までまじまじと見つめる。
そしてまた、離れる。
この動きを、何度も繰り返す。

みんながみんな、そうしていた。
そうせざるを得なかった、といった方が正しいかもしれない。
 

みんながみんな、目の前にある作品を『疑って』いるのだ。
『絵画』作品であるはずだけれど、これは、『写真』ではないのか?
そう、疑ってしまうのだ。
そして作品にグッと顔を近づけて確認して、絵の具などの痕跡を見つけて、やっぱり絵画なんだと確信する。
そしてもう一度離れて見てみるけれど、やっぱり写真にしか見えない。

そんな作品たちがここ、渋谷駅から徒歩7分のところにあるBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の『超写実絵画の襲来ーホキ美術館所蔵ー』では展示されていた。

 

『超写実絵画』と言われるこの絵のジャンルは、簡単に言ってしまえば、『写真にしか見えないぐらいリアルな絵』だ。
人物や風景、昆虫などなど、描かれているモチーフは様々ではあるけれど、全部が全部、『本当にこれが絵なのだろうか?』と、どうしても疑いたくなるぐらいにリアルに描かれた絵が並んでいる。その技の凄まじさは、ろくに絵も描けない僕と同じ、人間という種族にカテゴリー分けされた人たちが描いたとは思えないほどだ。

描かれた女性の髪の艶や、柔らかそうな肌の感じ。風景であれば、水面の小さな波や、水面への風景の映り込み、輝く光、木々の葉っぱに出来る陰影などなど、全部が全部、手を伸ばして、写真ではないかどうか確認したくなるぐらい、リアルなのだ。
何度も何度も、『超写実絵画』というジャンルの展覧会であることがわかっているはずなのに、その正体を確かめたくなってしまうような魅力が、この会場の中にある作品にはあった。

その魅力の秘密を知りたくて、更に何度も、何十秒も何分も掛けて、1つの絵に見入ってしまう。
姿形だけではない、絵のモデルになって恥ずかしそうな雰囲気や、ちょっと居づらそうな雰囲気すら、絵からは伝わってくる。ただただリアルに、姿かたちを描いただけではない。描かれた人たちの雰囲気すら、その絵からはあふれていた。

 

そうやって絵を見続けていってみると、『あれ?』と思うのだ。
そう言えば、母親の髪型はどんな感じだっただろうか? 髪の色は? 眉毛の形は? 顔のシワはどんな感じだっただろうか?
母親だけではない。数時間前に見たはずの同僚の顔や髪型、体型、雰囲気はどうだっただろうか? なんてことを考えてみる。

すると、ぼんやりとしか思い描けないことに気づくのだ。

ぜひ皆さんも、一度目をつぶって、考えてみてほしい。ご家族、友人、同僚、誰でも良い、身近な人の顔を思い浮かべて見て欲しい。
きっと、全体像としては浮かび上がるはずだ。
でも、さっき僕が考えてみたように、細部にまで思い描くことが出来るか、考えてみてほしい。

鼻や唇、腕などなど、身近な人の『細部』まで、思い描くことが出来るだろうか。
恐らく、自信を持って、『思い描ける!』と言える人はかなり少数派のはずだ。

 

そうして考えてみた時、この『超写実絵画』というジャンルは、『絵の技術だけの問題ではない』と、思ったのだ。
もちろん、何を描いたのかすら認識してもらえないぐらい、とてつもなく絵を描くことに関して低レベルな僕が偉そうに言えることではないのだけれど、技術以上に大切なことがあるのだと、思ったのだ。
 
それは、『見る』ことだ。
 
『観察』という言葉でも弱いぐらい、執拗に見ることなのだ。普段人が意識していないような部分まで、対象を見続ける。髪の1本1本、肌の微妙な陰影や、腕に浮かぶ血管、木々の葉に当たる光のわずかな違い、花びらの形が一つ一つ違うことなどなど。
本来なら、『写真』よりも格段にリアルではないはずの『絵』を見ることで不思議と、よりリアルな人物や草木、風景を見るような気分になり同時に、『見る』ことについて考えてしまうのだ。

 

今まで自分がいかに『見てこなかったか』を思い知らされるのだ。

 

よく、『人は、自分が見たいものしか見ない』という。

どこか他人事のように聞いていたけれど、超写実絵画の作品をじっくりしっかりと見ると、その言葉の意味がハッキリとわかる。

街ですれ違う人々どころか、長年一緒にいる人たちのことすら、実はしっかりと見ていないのだということに気づくのだ。

そして反省する。
その人の細部を思い出せない程度のレベルでしかその人と向き合ってこなかったこと。
同時に、納得もしてしまうのだ。
その程度でしか向き合っていないのだから、色々な問題が起きるのも当然のことだ。
そう、思ってしまうのだ。

 

ならば、やることは1つしかない。

しっかりと、その『人』を見ることだ。

理解できていると思っていないか?
長年一緒にいるから大丈夫だと思っていないか?
相手も自分のことをわかってくれていると傲慢になっていないか?
などなど、これまでの経験や時間を一旦ゼロにして、その人と向き合ってみるのだ。

そうするときっと、今まで気づかなかった部分に気づくはずだ。
超写実絵画の絵を見て、光や空気、まとっている雰囲気の微妙な違いに気づけたように。

新たな、その人の良いところが見つかるかもしれない。
もしくは、その人との向き合い方の突破口が見つかるかもしれない。

 

自分は本当に、周りを『見て』いるだろうか?
その、良い意味での『疑い』を持つキッカケに、『超写実絵画の襲来ーホキ美術館所蔵ー』を、訪れてみてほしい。


2020-03-30 | Posted in チーム天狼院, チーム天狼院, 記事

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