小説家が神様に見えなくなる日まで〜15歳で初めて新人賞に応募した私のいま〜
*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。
【4月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《日曜コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:斉藤萌里(チーム天狼院)
本棚にぎっしりと並んだ本。
新品で肌触りが良くて、背表紙が少しも削れていない本。
背表紙を目で追って、上下がそろってない時はちょっとだけへこむ。
あ、あった。
読みたかったやつだ。
私、それを、傷つけないようにそっと取る。
ひっくり返してあらすじを見て。
表紙をめくって“そで”に連なるプロフィールをじっと見る。
やめられないの。
いつからか忘れたけれど、やめられない。
そこに書かれている二つの数字。
1978年生まれ。
2002年に「〇〇賞」で大賞をとる。
引き算をして、24。
この人は、24歳でデビューした。
私、いま、23歳。
もうすぐ24歳で、この人と同じだ。
この人はいつから小説を書き始めたんだろう。私より遅いかな、早いかな。
こういうとき、大抵は「遅い」と相場が決まっている。
私は多分、早い方だった。
11歳。
初めて小説なるものを書いてみた。
ちゃんと「小説」になっていたかどうかは定かではないけれど、11歳の私にとって、あれは小説だった。
初めての小説なのに、挑戦したのはミステリ。馬鹿だな、と思う。方言を使うと、「馬鹿やないと?」だ。ふふ、最近地元に一時戻ってきている私は、この口調が照れ臭い。
ミステリなんて、そんなに簡単に書けるわけないじゃん。小学生5人組が出てきて、とある事件に巻き込まれるお話。彼らは少年探偵団のごとく事件の解決に迫る。
馬鹿だ。
実際にそんなこと、できるわけない。
でも、憧れてたの。ミステリ小説に。
初めてハマった小説が、児童向けのミステリだったから。
そこからだ。抜けられなくなった。私は、小説を書くことがやめられない。
一時受験勉強に追われて書くことを停止していた時期もあったけれど、基本的に頭の中は、次は何の話にしよう、これは何の話に使おう、ラストはこうで、どんでん返しがいい。……と、ネタを考えてはスマホのメモに書きつけている。
たまに、眠れない夜は考えすぎてネタが量産される。だから枕元に、スマホ。メモしないと、忘れちゃうもん。朝起きたら、「あれ、昨日思いついたの何だっけ……?」ってなる時ほど、がっかりすることはない。
中学三年生。
初めて大きな賞に応募してみようと奮い立った。
当時パソコンを使って物を書くなんてしていなかったので、全部手書き。授業と授業の合間の10分休み。
大学ノートにつらつら物語を書いた。
たまに授業中も書いていた。
良い子のみんなはマネしちゃダメ。
普通、健全な中学生は休み時間には友達とお喋りするのに、私は机に向かっている。勉強なら感心できるのに、小説を書くために。変人だったろう。あの時のクラスメイトにぜひ問いたい。私、変人に見えてた? これでも学級委員長くらいはしていたんだけれどね。
半年ぐらいして、完成した。「量」だけ見れば大作だ。何しろノート3冊分。
日々右手小指の下(この部分、何て言うのか知らない)が鉛筆で黒くなった。
漢字ノートに漢字を書きすぎたときに起こる、あの現象。
最近はもうほとんど右手が黒くなるなんてことないから、ちょっと懐かしい。
ノートに書き綴ったその話を、今度は原稿用紙に書き写す作業が始まった。
最初から原稿用紙に書けよって話。
でも、直接原稿用紙に書いて途中で行き詰まると、いとゆゆし。
何しろ、原稿用紙だと途中消せないもんね。
ほんと、昔の文豪たちの苦労が知れる。
とても気が狂いそうな作業だと思わない?
書き写すだけの私だって、気が狂いそうだった。
なんでこんなに長いと!?
自分で書いたのに、自分で憤る。馬鹿だな、私。アナログすぎるんだよ。中学校の時ならすでにwordだってあったはずなのに。なのに、手書き。本当に疲れる作業だった。
10分休みのみならず、給食時間が始まって給食が運ばれてくる間(だから給食当番の週はできなかった)、昼休みを潰して書いた。
放課後は勉強に充てたかった。だって、受験生だったもん。夏に部活も引退したので、その後せっせと書き続けられた。
さて、今度こそ、応募するための原稿用紙に書き写す作業が完成した。
356枚。
今でも正確に覚えている数字。
356枚。
初めてそんな大量の原稿用紙を一度に使ったよ。原稿用紙をたくさん買ってくれた母に感謝。
さあ、いざ応募だ! といっても、どの賞に応募すればいいか分からない。
応募規定を見て、とりあえず枚数的にOKな賞に応募した。
ほんと、馬鹿だ。普通、調べるよね? 「この賞はこんなジャンルの小説が向いている」とか、以前の受賞作をきちんと見て自分の作品と雰囲気が合ってそうか、とか。
ところが、中学生の私。
そんなことも調べずに、とにかく規定枚数的に大丈夫な賞、で調べて応募した。一番辛かったことといえば、この時原稿用紙を封筒に入れる作業かもしれない。束になった原稿用紙に穴を開けて紐で括るところまではいい。いや、この作業もかなり大変だったが。頑張って紐で括った原稿用紙を、封筒に入れようとする。むむっ。これ、入るの? と疑いたくなるくらいの分厚さ。
ひとまず雨対策に、透明のケースに原稿の束を入れた。100均によく売ってるやつ。それをさらに封筒に。送るのにあまりお金をかけたくないから、母と二人で頑張って無理やり入れた。共同作業。ふう。良かった、ちゃんと入った。
半年ぐらい待った。半年後。当たり前のように送られてきた落選の通知。そりゃそうだ。だって、ストーリー展開はめちゃくちゃ。ど素人の書いたものだってすぐにわかる。下読みの人、1ページ目で読みたくないと思っただろう。
ただ、とても良心的なことに、通知だけでなく「講評」も入っていた。初めて応募した賞だったので当時は知らなかったが、普通は落選者に講評など送ってくれない。ただ、落ちる。落ちたらそれで終わりだ。「あーあ」って、改善点も分からぬままお陀仏だ。でも、ラッキーなことに、その時の私は講評を受けとった。
落選して「まあそーだよね」って開き直っている自分と、悔しいとほぞをかむ自分。ドキドキしながら講評を開く。
驚いた。
講評といっても、ちょこっと感想が書いてあるくらいだと思っていた。しかし、私が受け取ったその講評には、ぎっしりと文字が詰まっていた。内容は「ストーリー展開は甘いけれど、キャラクターは良い」という内容だった。それを、多角的に分析してくれていた。
たったの15歳、こんな小娘の拙すぎる作品のために、これだけの時間を割いてきちんと最後まで読み、分析し、講評をくれた。そのことに、感動した。大人になった今なら、読みづらく面白くもない内容の小説を最後まで読むことがどれだけ大変か分かる。出来心で子供が書いた小説でも、大人が書いたものと同じように見てくれている。これってすごいことだ。
賞には落選したけれど、私はその封筒を今でも大切に持っている。
あれが、私の第一歩だからだ。落選したら何も残らないと思っていたけれどそうじゃなくて、一つの長編小説を最後まで書ききったという自信は残る。
それでいいんだ。きっと。
本屋さんで、新しい本を手に取る私は、23歳。
初めて小説の新人賞に応募してから12年が経った。
その間に、小説以外のものを好きになり、夢中になった日もある。でも、心の一番深いところには、小説がある。書きたいという気持ちが根っこにある。
だから、初めて読む本の“そで”に書かれた二つの数字に目がいく。
それは、まだ23歳の私が、「もう23歳じゃん。やばい」と思わせてくれる数字。
周りの大人からすれば、「若いんだから大丈夫だよ。これからどうにでもなるよ」と励ましてくれるような年齢。
23歳。
なんて中途半端。
同じ歳の友達で、起業した人もいる。モデルになった人も、芸能活動をしている人も。ミュージシャンになるって、ライブに出ている人もいる。
悔しい。
と同時に、焦り。
最近何かの賞をとった人は、1998年生まれ。
私、1996年生まれ。
年下じゃん。すごいよ。本当に、すごくて、まぶしくて、神様みたいだ。
すごくて、まぶしくて、悔しい。
神様を見て、私は悔しいし、焦っている。
焦りが、また書くことに向かわせる。受験勉強中、「頑張った」と思ったテストで友達よりも悪い点数だったとき、悔しくて泣いた。でも、泣いたって、進まないことを知っていた。泣いたって、仕方がない。
「頑張ったんだから、元気だしなよ」って慰められても元気なんか出ない。
ただ焦るのだ。このままじゃ志望校に合格しないかもしれないって。
だからそんな時は、気の済むまで泣きまくった後、再び机に向かった。焦りというのは、努力することでしか解消できない。
不安だってそう。努力することでしか拭えない。悔しい気持ちも泣きたい気持ちも、次に結果を出すことでしか、慰められない。癒せない。
勉強に限った話じゃない。スポーツ選手だってピアニストだって、みんな同じでしょう。
結果が出ない。それならまた、挑戦するしかない。
小説を書くのも一緒だ。挑戦するしかない。
23歳の私、一度だけとある新人賞で一次審査を通過した。
749作品中の40作品だった。
嬉しかった。
でも、案の定二次審査で落ちた。
嬉しかった分だけ、沈んだ。ぬか喜び。でも、そうだよね。だってこの中には私以上に努力してきた人がいる。才能だって持っている人が。大賞受賞の発表はまだだけど、やっぱりその人が神様に見えるだろう。
書店に並んでいる本の作者が全員、神様なんだから。子供じみた表現でこれまた馬鹿だって思うけど、本当に神様なのだ。
私も、同じになりたい。
神様って思われたいわけじゃなくて、神様と肩を並べられる存在になりたい。
無理だろうな、と諦めそうな時もある。けれど、無理じゃないって必死に否定して、いま。こうやって書いている。小説じゃなくても、書くことが全て修行だと思って書いている。
小説はエッセイよりも難しい。でも、わくわくする。こんな展開にして、ここをどんでん返にする。読者の方を騙したい。騙されたって言わせたい。なにより、「面白かった」と言わせたい。
アマチュアの私。アマチュアなりに、自分で書いた小説を読んでもらい、感想をくれる人たちがいる。こんな私に、「次回作も楽しみにしています」と声をかけてくれる人がいる。わざわざ天狼院まで足を運び、会いに来てくれる人もいる。
その人たちの期待に応えたい。今まで読んでくれてありがとうって気持ちを返したい。だからもう一度考える。新しい小説を。
新人賞に落ちてしまったのはとても悔しいれど、進まなくちゃ。進まないと始まらないよね。
23歳。
何かを為すには早いけれど、何かを成していてもおかしくない年齢。
「まだ大丈夫だよ」も、「もう23歳か」も、どちらも言われる年齢。
しかし、焦る必要はない。
自分のペースでもいいじゃない。
信じてやろうよ。信じてやるよ。焦らなくてもいい。
でも焦ったら、向き合って、進もう。
いつか小説家が神様に見えなくなる日が来ますように。
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