チーム天狼院

『恋は盲目なのだ』と、理解した時のこと


記事:永井聖司(チーム天狼院)
 

2017年1月21日、土曜日。
間違いなく自分の足でやって来たくせに僕は、その場にいることにどこか現実感がなく、『まさかこんなところまで来てしまうなんて』と思っていた。

誰かに会いたくて、誰かのサインが欲しくて遠出をするなんて、人生初の出来事だった。

いつかそういう日が来るだろうと、頭の隅では思っていた。
でもそれは、ミュージシャンやアーティスト、芸能人だと思っていた。

アーティストはアーティストでも、『画家』に会うために、わざわざ広島から佐賀までやって来ることになるなんて、夢にも思わなかった。学生時代の自分がこのことを聞いたら、『そんなことあるわけがない!』と言われるに違いない。

 
そもそもは、絵やアートに、全く興味のない子供だった。絵も描くのもドヘタだし、家庭環境からしても、アートとは縁遠い暮らしをしていた。それがひょんなことから、大学でアートにまつわるゼミに参加することとなり、社会人になってからはよく美術館に行くようになれば、人生にとってアートが欠かせないものへと変化した。

とは言っても、広島に住んでいた当時、アートに関して何をしていたかと言えば、月に1〜2回市内にある美術館へ行くことと、ゴールデンウイークや夏季休暇などの長い休みの時に関西や東京に行って美術館巡りをするぐらいのことだった。関西や東京と比べてしまうとどうしても美術館の数など見劣りしている九州ヘ行くことなんてなかった。

それなのに、僕はその時、佐賀県立美術館の前にいた。

 
行くのを決めたのは、前日のことだった。

1月20日金曜日の午後、僕はずっとソワソワしていた。
仕事用のパソコン画面には、佐賀県立美術館の情報と、広島〜福岡間の高速バスの情報が表示されていた。

その画家の展覧会が佐賀で開催されていることは、少し前から知っていた。

以前に作品を見たことがあり、その作品の素晴らしさに一気に引き込まれ、ファンになっていた。とは言っても、多作ではないこの画家の作品を見られる機会はまれで、だからこそ、この画家の作品のみを取り扱う展覧会の情報をゲットした時は、恐らく他の一般の人々がアイドルのライブチケットを手に入れるのと同じぐらいの熱量で喜んでいた。

佐賀県立美術館にはじまり、金沢、東京と巡回する展覧会であるとの情報を見れば、東京で見よう、そう思っていた。

 
しかし、恋は盲目だ。
アイドルなどのファンの人達はこんな風な気持ちになるのかと思い知らされるような心の動きを、僕は体験した。

佐賀県に旅立つ、2、3日前のことだったと思う。
僕が東京へ見に行こうとしていた展覧会の、佐賀県会場が開幕した、との情報をネット見たのだ。

それだけなのに。

『行かなければ』

と、まるで神のお告げかのような声を聞いた気がした。

 
冷静に考えれば、ここで焦って佐賀に行く理由なんて、1つもないのだ。少し待てば、東京で同じ作品、展示内容が見られるのだから。

でも、恋する脳内は理性をだまし、それではいけない! と言い張るのだ

東京で開催されるまで、冷静に待っていられるのか?
東京開催になる頃は話題沸騰になっていて、ゆっくり見られないかもしれないじゃないか。
そもそも東京に行けるかどうかなんて、わからないじゃないか。

恋する脳は馬乗りになって、理性をボコボコに殴りつける。

そんな状態で様々な情報を見てみると、全ての情報が、僕にとって都合の良いように変更されてしまう。

広島〜福岡を夜行バスで行って、そこから電車に乗って向かえば、案外安いじゃないか。
夜行バスだし、寝てる間についてしまうのだ。そんなに時間がかからないのと同じだ。
それに何だって! 画家が登場して、サイン会もあるじゃないか!!

佐賀県で展覧会が開催があると知ってからの数日間、恋する脳と理性のとっくみあいの喧嘩が、激しく巻き起こっていた。
そんな突撃旅をしたところで、疲れるだけじゃないか!
無駄な出費じゃないか!
いやでも、今だからこそこの作品を見るべきではないのか……!
 
そして佐賀県に旅立つ前日の1月20日。
仕事をしつつ、美術館の情報を見つつ、高速バスの情報を見つつと、まるで集中ができていない状態で、高速バスの座席に空きがあることを発見してしまえば、もうダメだった。

もう既に日が落ちた、夕方の頃だったと思う。
出発まで残り数時間となった高速バスのカード決済を済ませ、僕は走って家に帰り、いそいそとシャワーを浴び、高速バス乗り場へと走った。
着替えも持たず、佐賀県の観光情報も一切確認しない状態で、僕はバスに飛び乗った。

そして、スマホを駆使して、初めて乗る九州の電車やバスに戸惑いつつ、ようやくたどり着いた、佐賀県立美術館。『池田学展 The Penー凝縮の宇宙ー』の会場。
 
 
会場に入り、1枚目の作品を見た瞬間、そこまでの疲れは、一気に吹き飛んだ。

超細密画、といわれる池田学(いけだまなぶ)さんの作品は、その名の通り、驚くほどに細かい。1日に、こぶし大ほどの大きさしか進められないと言われるほどの細かさで描かれている作品は、それだけ大量の情報も詰め込まれていて、いくら時間があっても、どこか見落としてしまっているかもしれないという不安に襲われ、見るのを止められないという恐ろしさがある。
とある岩山を描いた作品だとすれば、猿や鳥、モモンガなどが隠れていて、見つけられると、子どものように内心で喜んでしまう自分がいる。
永遠に終わらない間違い探しをさせられているような、そんな気分になるのだ。

1枚見ては、喜び、じっくりと見る。そして、もっと見たい、という気持ちをこらえて、先へと進む。

写真撮影が禁止されていることが基本の展覧会では、もっと見ていたい、と思うのは、よくあることだ。

でも、池田学さんの作品に関して言えば、「もっと見ていたい!」と思ってしまう気持ちの熱量が、段違いなのだ。

それは、ツイッターやFacebookなどのSNSを延々と追ってしまうのと似ているのかもしれない。すべてを見ることなど出来ないとわかっているはずなのに、全てを知りたいと望んでしまう、そんな中毒性が、池田学さんの作品人はあるのだ。

 
そして同時に、池田学さんの作品1枚1枚からは、とてつもないエネルギーを感じることが出来る。
1日に「こぶし大」ほどの大きさしか書き進められないほどの密度で描かれた作品は、美しいとか素晴らしいを通り越して、『やりすぎだ』『異常だ』と思ってしまう。
ギリギリまで顔を近づけてようやく一本一本の線が認識できるほどの細かさで描かれている作品を見れば、技術云々を抜きにして、『自分には出来ない』と思わされてしまうのだ。

池田学さんの作品制作過程は、『修行のようだ』と言われることもある。

この展覧会で発表された、縦3m✕横4mの新作、『誕生』は、完成までに、3年3ヶ月も掛かったそうだ。

3年3ヶ月先に出来上がる作品のために、毎日手を動かし続けるなんて、想像もできない執念深さだと、ただただ呆れることしか出来ない。

とてつもなく細かく、同時に、とてもつもなく美しい、更に得体の知れないパワーやオーラを感じる作品を見ていると、どこか仏像を見ているのと似たような感覚になってくる。
ただただ圧倒され、自然と拝みたくなってしまうぐらいの力が、池田学さんの作品にはあるのだ。

 
展覧会会場を何度も行ったり来たりして、係の人からちょっと不審がられているような気もするけれど、気にしているヒマはなかった。
時間いっぱい展覧会を味わった僕は、『行かなければ』と感じたことが、何も間違いではなかったのだと思った。

ちょっと外出して気分転換をするよりも何十倍、いや何千倍も、ご利益のある機会だった。

「ひ、広島から来ました……!」

サイン会の時、言う必要もないのに、僕は噛み噛みになりながらもそんなことを言っていた。アピールしたい、覚えてもらいたいなんて、乙女のような心で、言ってしまったのだ。ファン、というのは、こんな気持ちのことを言うのかと、改めて思った。

「へぇー、ありがとうございます」

慣れた様子で、サササッとサインを書きつつ、優しい笑顔を見せてくれたことを、僕はきっと忘れないだろう。

佐賀の名物も観光も、1つもしない旅ではあったけれど、後悔は1つもなかった。

 
画集『The Pen』を見るだけでも、その素晴らしさ、美しさの一端を、垣間見ることが出来る。

そしてまたいつか、展覧会が開かれることになったらそのタイミングで、是非本物を見てほしい。

恋に落ちることを、覚悟の上で。


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2020-04-20 | Posted in チーム天狼院, チーム天狼院, 記事

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