チーム天狼院

みんながアート好きになれば世界はもっと平和になると、本気で思っている話。


記事:永井聖司(チーム天狼院)
 

「先生の感情で振り回されたらたまんないですよ」

中学生の時。教師に向かって言い放ったこの言葉を、今でもよく覚えている。いわゆる「良い子」でやって来た僕の学生時代、教師にこんな口を聞いたのは、後にも先にもこの1回しかない。でもその時の僕は、なぜだか我慢できなかった。
1人のクラスメイトを除いた教室の中で、みんなに聞こえる声でそう言ったのだ。

「なんだって、永井!?」

S先生は、興奮気味に僕の言葉に反応を見せた。10歳以上年の離れた、体育教師の怒った様子に普段はビビって言葉が出ない所、僕は止まらなかった。

「だから、先生の感情で振り回されたらたまんないですって」

興奮している先生を逆撫でするように、努めて冷静に言葉を繰り返した。

「……わかった」

少しの沈黙の後、僕を睨みつけた先生は教室を後にし、自然と授業は自習になった。

 
 

原因は、僕と同じクラスだった問題児のTと、別のクラスのこれまた問題児・Kだった。TとKは、授業中に出歩いたりすることがしょっちゅうで、中学校にいる全教師にマークされていた。TとKを中心に学校の雰囲気も悪くなり、授業中、授業の入っていない先生たちが校内をパトロールするようにまでなった。

そんな状況の中でその日、Kが突如、授業中の僕のクラスにやってきたのだ。確か、Tを誘い出すような感じでいきなりドアを開けて大声を上げたのだったと思う。
クラスにいる全員、授業がまた中断することにうんざりしつつも、慣れたその出来事に、ヘラヘラしていた。
Tが立ちあがり、出ていこうとするが、その時保健の授業でクラスにやってきていたS先生はもちろん許さない。言葉で2人を止めようとするのだけれど、TとKも止まらない。舐めた態度でS先生に近づいたKが、何やら口論した後、いきなりS先生にタックルをしたのだ。
ただそれは、傍から見ていた僕たちからすれば本気のものではなく、じゃれるようなものだったと記憶している。
 

しかしその攻撃に、S先生がキレたのだ。
TとKと、教師になったばかりでパワーあふれる体育教師・S先生との取っ組み合いの喧嘩となり、怒号が飛んだ。
あまりの迫力にクラス中はドン引きで、誰も止めに行くこともなく、まるでプロレス観戦をしているかのように、皆イスに座ったままでその様子を眺めていた。

取っ組み合いは、3分ほど続いていたと思う。

TとKが逃げ出すような形で教室から出ていき、外をパトロールしていた別の先生が、2人の後を追っていくのが見えた。

そして授業が無事再開されたわけではあるのだけれど、その後のS先生の態度が、僕はどうにも気に入らなかった。
 
イライラしているのだ。

たった今までの取っ組み合いのケンカを引きずって、全身から、言葉の端々から、イライラのオーラを放っているのだ。そのイライラが、取っ組み合いのケンカに全く関係ない僕たちにぶつけられていることが、僕はどうしても我慢できなかった。
『大人のくせに』何を感情的になっているんだろう。そう、思った。
そして気づけば、
「先生の感情で振り回されたらたまんないですよ」
なんて、言い放っていた。
 

自習になった数時間後、S先生が僕の元に謝りにきた。
「永井の言う通り、感情的になって迷惑かけて悪かった」
とかなんとか、そういった類のことを言っていた。

 
その日の放課後のこと。
担任のO先生とクラスメイト数人とで、その日の出来事について話しをした。

「永井の言うこともわかるんだけどさ、S先生だってさ、イライラしちゃうのはしかたないんじゃない?」
「でも、先生なんだから、イライラしないで授業はちゃんとやってほしいです」

S先生を擁護するO先生の言葉にも、僕は納得がいかず反論していた。

「でもま、S先生も人間だからさ」

国語教師・O先生の言葉に丸め込まれる形でその日の話は終わったけれど、僕は心の奥底で、不満を抱えたままだった。

『大人なのに』『先生なのに』どうしてイライラするんだろう。感情をコントロール出来ないのだろう。

 
元々、感情の変化が乏しい僕からすると、イライラするS先生の行動は、理解不能だった。100歩譲って、取っ組み合いの喧嘩をしている最中なら仕方ないと思う。でも、その後の授業については、気持ちをスパッと切り替えてちゃんとやってくれよ、大人なんだからと、本気でそう思っていた。

その後僕が、『理解できない』S先生のことを毛嫌いし、『大人のくせに感情コントロールも出来ない人』と舐めていたのは、言うまでもない。

 
S先生の事件が良い例で、僕は、『理解できないもの』『わからない』ものと認定したものをすぐに遠ざける癖があった。

箸の持ち方が未だに変なのは、母親が何度も教えてくれたのに、『よくわからないから』と、直す努力を怠ったからだ。
野球を嫌いなのは、子どもの時に父親とやったキャッチボールで球が顔面に激突し、『よくわからない』けど怖いものだ、との認識が刷り込まれたからだ。
先人を敬いなさい、という考えも、『よくわからない』から嫌いだった。

人間関係においても、
東京から引っ越してきた女の子のことは『よくわからない』から嫌いだったし、
何となく自分と合わなそうな明るい人達のことは、『よくわからない』からが理由で嫌いだった。
学生劇団に所属している時に、あまりに連絡のレスポンスが悪い相手に対して、『意味がわからない』とブチ切れた。

 
要するに、不寛容な人間だったのだ。
今でも、全てが全て治ったわけではないけれど、今の何十倍、いや何百倍、『わからない』ものについて厳しかった。敵視したり、嫌悪したり、僕自身に悪影響が及ばないように遠ざけていた。そうすることで、僕自身の性格や世界を守ろうとしていたのだ。
そうすることが、正しいと思っていた。
 
 

そんな僕を変えてくれたのが、『アート』だったのだ。

ちゃんとした出会いは、大学時代のことだ。もちろん、美術の授業は受けていたけれど、その内容は、僕の人生に何の影響も及ぼしてはいなかった。大学に入るよりも前に、美術館にまともにいった記憶はないし、興味を持ったこともなかった。

それなのに、本当にひょんなことから、それこそマンガの主人公みたいな運命のイタズラで、日本美術史という学問を学ぶゼミに入ることになった。日本美術史とは、言葉の通り、日本の美術の歴史を学ぶことだ。

 
ゼミに本格に入る前の見学のタイミングで、とある女性の先輩は、平安時代の絵巻物の資料を広げて興奮気味に言っていた。
「この、炎の表現が! ボワァーーッ! となってて、マンガみたいでスゴイの!」

目が点とは、まさにこのことである。
なぜこの先輩はこんなに興奮しているのか。1,000年近く前の絵を見て、どうして楽しそうに話しているのか。というかそもそも、この絵は何なのか。
全てが、わからなかった。
 
何一つ頭に入ってこない状態で、次は優しげな雰囲気の男性の先輩になった。

「僕が研究しているのは『ショ』で」

そう言って先輩が広げたのは、キレイな字が書かれた巻物の資料だった。

資料をみてようやく僕は、先輩の言う『ショ』が、『書』のこと。つまり、書道のことだということに気づいた。

字はドヘタな僕が、理解できるわけもない。
同じく、何もわからないままで、男性の先輩の発表を聞き終えた。

どう考えても、間違ってしまったところに来てしまった。別のゼミに変えようかとも思った。

でも、それは叶わなかった。長らく演劇を続けていた僕の、『演劇について研究したい』という想いは、このゼミでしか叶えられないと言われたからだ。

 
色々諦めた末に日本美術史ゼミに入り、いよいよ個人の研究を始めようとなった段になって、教授は言ったのだ。

「ま。研究の仕方を学ぶ上でも、演劇のことは一旦置いといて、美術の勉強をしましょうか!」

この時、S先生に言い放ったときのような強気な自分が現れていたら、今の自分はなかったに違いない。

 
一口に日本美術史の研究と言っても、取り扱うテーマや内容によって、もちろん研究の仕方は色々とある。
そんな中で、僕たちのゼミで主にやっていたのが、文献などの歴史的史料を元に、1つの作品を『読み解く』ということだった。

これは、『情熱大陸』であったり、『プロフェッショナル』など、人物密着型の番組を思い出してもらうとわかりやすいかもしれない。どちらも、有名人などに密着しながらインタビューをしたり、出生から今の地位に至るまでの変遷を追ったり、場合によっては友人知人や家族にも話を聞いたり、時代背景や経済状況との関係性を追求することで、その人となりがどのように出来上がってきたかを伝えてくれる。
その過程で、その人が出来上がる理由となる出来事があったり、意外な人や物事、事件との関わりや影響があってその人が形成されていったことを知ることで、僕たちは驚き、楽しみながら、それらの番組を見ることが出来るのだ。
 
日本美術史の研究も、似たようなものだ。作品を描いた絵師の人生を知り、当時の文献に残されている絵師の情報を知り、作品への影響を考える。どんな家系だったか、師匠は誰か、弟子は誰か、などなど。現代美術であれば、情熱大陸などと同じように、本人にインタビューすることも出来る。
当時の時代背景や経済状況も、作品への影響を考える上では欠かせない。昨年のM-1グランプリからブレイクした漫才コンビ・ぺこぱが、相手を否定しない今の時代だからこそブレイクしていると言われているのと同じように、ド派手なものを好んだ戦国武将たちの影響で、戦国時代はド派手な鎧や、金箔をたっぷり使った作品が多く残されている。浮世絵が大流行したのも、世の中が平和で、庶民含め、様々な文化を楽しむ余裕があったからだと言われている

 
そんな風に、『読み解く』ことを続けていくと、全くわからなかったはずの作品が、徐々に『わかる』ようになってきた。

例えば、コウモリが描かれた作品があったとする。
以前だったら、コウモリが描かれている、でもなんで? と考えるだけだったろう。
でも、『江戸時代は、コウモリは縁起の良いものとされていた』という知識があれば、この作品は、描かれている人の幸せを願って描かれた作品なのかもしれない、と考えることが出来る。
橋に、『あの世とこの世をつなぐもの、というイメージが込められている』ということを知っていれば、ただの橋が描かれている絵であっても、時に、描かれているのとは全く違った絵のイメージを、思い浮かべることも出来る。

こうしたことが増えてきてようやく僕は、全く『わからなかった』アートがわかったような気になってきて、面白いと感じるようになっていた。
1つの絵を見ているのに、何十枚の書物や、何百枚の作品を、一緒に見ているような錯覚を覚えるのだ。
たった1つの作品を見ているだけなのに、1人の人間の歴史を見ているような壮大さが、『絵を見る』ことにはある。

そんな経験は、僕が、家族との関係や人との関係性を考える上での大きなきっかけになった。

『先人を敬いなさい』の意味を、実感を伴って、理解した時だった。
家族はもちろん、『人とのつながり』を思い出させてくれる効果が、アートにはある。
 

でも多分、そうして知識を積み重ねて、『わかる』ことを増やして美術館に行く、ということを続けているだけだったら、今僕は、こんなにもアートにハマっていなかったと思う。美術館が開いている状況なら、週1回ほどのペースで行くようになるなんてことには、ならなかったと思う。

『わかる』ことが増えた状態で美術館に行く。
するとすぐに、『わからない』ことにぶち当たるのだ。『わかる』つもりで見ていた作品の中にも、『わからない』ことが潜んでいることに気づく。そしてまた知識を増やして、『わかる』ことを増やしても、『わからない』ことをゼロには出来ない。
 
アートを、決めつけてみることは出来ないと気づくのだ。
どれだけ知識を蓄えても、『かもしれない』と考えて見ることしか、僕たちには出来ないのだ。
この出来事が原因なのかもしれない。この作品から影響を受けたかもしれない。

それは、人を見る時、人と接する時も変わらない。
どれだけ理解したつもりでも、『わからない』ことが残っている。
こう思っているかもしれない。こんな人なのかもしれない。こう言えば良いかもしれない。

 
『大人なのに』『先生なのに』
そんな分類分けや、思い込みが無意味なことを、アートは僕に気づかせてくれたのだ。

 
『わからない』ことが、当たり前なのだ。
家族も、友達も、職場の上司も先輩も後輩も。年齢が違う人、国籍が違う人、セクシャリティの異なる人。様々な立場がいて、『わからない』ことばかり。
でも、それが当たり前なのだ。

『わからない』ことで絶望し、立ち止まるのではない、
『わからない』ことをスタートに、考えるのだ。

あの時わからなかった、S先生の気持ちも、今なら想像することが出来る。
S先生の気持ちについて、『わからない』と言ってしまっては終わりなのだ。

そう言えば、中学時代の問題児、TとKが唯一懐いていた教頭先生も、そうだった。
TとKを、問題児として扱うのではなく、1人の子どもとして向き合い、接していた。だから2人も、教頭先生を慕ったのだろう。
 
『わからない』ことで、拒否するのではなく、『わからない』からこそ、理解するために、考える。
『わからない』ことがあることを知ることは、そのきっかけになる。
『わからない』ことが前提の、優しい世界を作る基礎になると、僕は思う。

このことに僕を気づかせてくれたのは、アートだった。
もしかしたら他の人にとってはこれが、人との出会いだったり、スポーツであるのかもしれない。そのきっかけが、僕にとってはアートだったと言うだけの話だ。

 
まずは、アートを『見る』ことを、やってみてほしい。
絶対にあなたの人生が変わるなんてことはお約束できない。
ただ、僕の人生を変えた『アート』というものを、1人でも多くの人に知ってほしい。

それだけのことだ。

そのキッカケとなるイベントを、5/16に開催する。

『アートを見る』ということは、こんなに自由で楽しいことなのかと、思ってもらえるイベントになっている。

アート好きはもちろん、アートに触れてこなかった、という人にこそ、是非参加してもらいたい。

参加した人にとって、『何か』が変わるキッカケにもしもなるならば、それだけで十分だ。


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2020-04-26 | Posted in チーム天狼院, チーム天狼院, 記事

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