【京都天狼院通信Vol14:空のうたを聴け】
*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。
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記事:池田瑠里子(チーム天狼院)
※フィクションです。
僕たち一族には、守らなければならない、いくつかの掟がある。
たとえば、「どんなにお腹がすいていても、きのみを食べ尽くすことはしないこと」。きのみを食べ尽くしてしまうと、僕たちだけじゃなくて、リスや小鳥や虫たちも困ってしまうから。
たとえば、「他の一族たちをいじめることはしないこと」。鹿の一族やイノシシの一族とよく顔を合わせて一緒にかけっこをしたり飛び回ったりはするけれど、僕たちは決して彼らを驚かしたり、攻撃したりしないようにしている。一緒に森に住む仲間だからね。
今日はそんな僕の一族の掟の中の、ある一つの掟の話をしようと思う。
その掟というのは、「晴れた日にはお日様を見る」という掟だ。
僕たち森の朝は早い。まず最初に起き出すのは、森の木々たちだ。夜から朝に変わる空気は夜の間に冷たく冷え込み、しんと澄んでどこか湿り気を帯びている。そんな空気がしっとりと土や葉を濡らして、もうすぐ朝がやってくることを木々たちに知らせる。
そうやって木々が、冷たさに葉や根を揺らし身震いをすると、次にその震えを感じた小さな虫たちが体を起こし始める。湿り気を帯びた土からはミミズが顔を出し、濡れた葉の裏側からは綺麗な蝶が羽を起こす。夏には長い間土の中で眠っていたセミたちが動き出して、青白い姿になっては飛び立って行く(何度か早起きして見たけれど本当に綺麗で僕は食べたくなってしまった)し、冬には真っ白な霜柱が土を覆い、逆に起き出した虫たちをより暖かい場所へと移動させる。
そんな虫に誘われて、今度は鳥たちがさえずり始める。鴨はゆったりと水に体を浸し始め、ヒヨドリは自慢の羽を毛づくろいをする。カラスたちは朝のやってくる人間の住む街へ飛び立って行く。
そして最後に、鹿や、イノシシや、僕たちが目を覚ます。まだ森の木々に覆われた闇の中、木々の隙間から空を見上げると、真っ黒だった空が端の方から少しずつ色づき始めているのが見える。
よく空を見ようと、木のてっぺんまで一気に駆け上がると、視界が一気に広がる。空気が一気に変わる。清々しい朝の空気を胸にいっぱい吸い込みながら、空を見ると、徐々にオレンジ色に色づいていく空が見えるんだ。不思議なことに真っ赤に近い日もあるし、薄い白のような日もある。ちょっと寝坊してしまった日には、もうすっかりオレンジ色はなくなってしまっているのだけれど、森を流れる川に雲が映ってまるで空が二つあるみたいに見えるから、僕は寝坊した日も大好きだ。
そうやって僕は晴れた日の朝、毎日、一番高い木に登って、空を見上げるんだ。
その掟を初めて母さんから教わった時、僕には正直、どうしてこんな掟があるのか、全くよくわからなかった。
きのみと違ってお腹が満たされるわけでもないし、他の生き物たちと遊ぶわけでもない、ただ空を見上げるだけの行為。それになんの意味があるのだろう、と思っていた。
でも、決められた通り、毎日毎朝、空を見上げて、朝日を見ていたら、なんだか姿勢がしっかりと伸びて、気持ちがしゃんとしていることに気がついた。逆に雨の日になるとお日様が見えないことが寂しいなと思うようになったし、なんとなく気分が落ち込んでしまうことにも気がついた(その代わりカエルたちの合唱が聞こえるのは楽しいけどね)。
きっとお日様は、僕たちに、「生きろ」って歌っているんだと、僕は思う。今日も頑張って生きなさい、って教えてくれているんだ、だから気持ちがしゃんてするんだ、って。
なんで僕が今日こうやってこの掟について話しているかというと、その掟を教えてあげたい人間がいるからだ。
その人間は、毎朝早くに、僕たちの森の中を歩いて行く。僕たちの森の奥深くには人間たちがいっぱいいる住処みたいなところがあるのだけれど、そこに毎日行くみたいだ。人間は石を投げてくるやつもいるし、大声で脅かしてくるやつもいるから、僕はあまり好きではないのだけれど、その人間とは仲良くなってもいいかなって思っている。きっとすごく優しい人間だと思うから。
雨の日に、道の真ん中をゆっくり歩いている蝸牛を、誰かに踏まれないようにそっと道の端の葉っぱに避けてあげていたのも知っているし、雨のあがった次の日、動けなくなって困っていた亀を川辺まで運んであげていたこともあった。まったく嫌味なく、まるで森の一員のように。
僕はそういう優しい人間を見たことがなかったから最初はびっくりしちゃったくらいだ。
その人間が、最近なんだか元気がない。毎日下ばかり向いて歩いている。前はよく、道端に咲く花に目を向けていたのだけれど、今ではとっても綺麗な花が咲いていることにも気がついかないみたいだ。
今日もその人間は俯いて歩いている。僕が近くの木にいることにも気がつかない。もちろん、空を見上げようともしない。
僕たちと同じように、こんな晴れた日は空を見上げたらいいのに、と僕は思うんだ。お日様はいつだって、種族が違ったって、きっと同じように気持ちをしゃんとしてくれるから。生きる勇気を与えてくれるから。人間にも僕たちの掟と同じ掟があったらいいのに、って思う。
そんなに俯いてないで、顔を上げてさ、空のうたを聴きなよ。そんな気持ちを込めて僕は木を精一杯揺すった。
✴︎✴︎
がさり、という大きな音がして、私は驚いて振り返った。
最近仕事がうまくいかなくて、職場へ向かう道中、ずっと考え込む日が続いていた。ほとんど心あらずの状態で歩く毎日。大好きな通勤ルートであるこの森も、苦痛でしかなくなった。
どうしてこうやって、毎日、必死に生きないといけないのだろう。
私が仕事をして、生きている意味は、どこにあるのだろう。
だから、大きな音で振り返った先に、何度か見たことのある子猿が一生懸命木を揺らしていることにも、ああ猿か、くらいにしか思わなかった。むしろ少しイラッとしたくらいだ。
早く職場に行かなければ。私の邪魔をしないでよ。そんな風に体を戻そうとした時、目に入った光景に、思わず私は足を止めた。
気を揺らす子猿の背には、驚くくらい美しく、朝日に照らされた、明るい空が広がっていた。
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