【京都天狼院通信Vol17:ポケモンGOは家族の架け橋】
*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。
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記事:池田瑠里子(チーム天狼院)
今日もLINEが鳴った。家族のLINEグループだ。
むしろ私のLINEは、ほとんど今、家族以外のことでは鳴ることがない。(友達が少ないもので……)
ああ、また家族からか、猫の写真かな……そう思って仕事の合間にスマホの画面を見たら、
「今日ね、ブルーのイベントがやってるよ!」
という母からのメッセージが目に飛び込んできて、
一気に私は気が抜けてしまった。
そう、我が親は、今、ポケモンGOにハマっている。
気がついたら、ポケモンGOを両親そろって熱心にやりまくっていたのだ。
一体なぜ、今更! と、本当に謎である。
そもそも、ポケモンGOというアプリが流行ったのは、結構前のことだったよなと思う。
私はもともとゲームボーイの初代のポケモンソフトの全盛期の頃、ドストライクの小学生で、
ほとんどポケットモンスター(通称ポケモン)のソフトはやっている、筋金入りのポケモンファンだ。
努力値だったり、そういったことは全くわからないが、
ポケモンというゲームは、私にとっては育成ゲームという意味合いで、大好きなゲームである。
自分が気に入った、見た目が可愛らしかったりカッコ良かったりするキャラを、一生懸命育てていく、その過程が本当に楽しすぎて、止めることができない。
我が家は子供の頃から教育に対しては厳しい家庭で、両親は、私や弟がゲームをすることに対して、よい感情を持っていなかった。
「ゲームは1日1時間」だったし、「ゲームなんかやってる時間があったら本でも読みなさい」、耳にタコができるくらい、そう言い聞かされて育ってきた。
一応、クリスマスプレゼントだったり、お年玉を使っての年始のセールだったりで、
ゲームボーイやポケモンのソフトは買ってもらっていたけれど、
満足に、時間を気にせず、家でゲームをすることは、許してもらえない家庭だったのだ。
その反動だろう、私は大学生になったら自分で稼いだバイト代で、新しいゲーム機は買ったし、空いた時間で一生懸命ポケモンをやっていた。
大学時代にキャンパスで当時の彼氏とひたすらポケモンをやっていたことなんかもいい思い出だ。
そんなこんなで、もう今年で30になろうとしているにも関わらず、ポケモンの新作が出るたびに、せっせとゲームを購入し、時間を忘れてクリアに向けて頑張る私を、
「あんた、いい歳してまだゲームなんかやっているの」と呆れた顔で横目に見ていたのは、紛れもない母である。
だが、そんなポケモン好きの私でも、ポケモンGOが出た時、一度スマホにアプリを入れたことは入れたが、そこまでハマってやることはなかった。
私としては、ポケモンの楽しみは、捕まえることではなく、育てること、であり、
育てたポケモンのパーティーで、誰かと闘うことである。
基本的に実際の街を歩いて、スマホの画面上に出てきたポケモンを捕まえる、というのが前提のポケモンGOというアプリは、私が求めるものとは若干趣旨がずれていたのだと思う。
もちろん、母や父は、アプリを入れて、試してみている私を当時は冷めた目で見ていた。
「ふーーーん、あんたまたポケモン?」「なんか世界で今人気になってるアプリらしいな」
そんな程度の感想で、アプリをダウンロードしようなんていう雰囲気なんて、かけらもなかったのだ。
そんな母が、今や一番、家族の中でポケモンGOにハマっている。
ポケモンのキャラの名前も、今まで一度だって興味なんて持ったこともなかったのに、
「ねえねえるりこ、トゲピーってかわいいわね!」とか、
「ソーナンスはなんのタイプのポケモンなの?」だとかいう始末である。
娘の私は、最初、本当にびっくりした。一体親に何が起こったのだろうと思った。
正直いうと、ちょっと心配になった。今までゲームをあんなに毛嫌いしていたのに、一体何がどうしたのだ! と。
なんでも話を聞いてみると、もともとは、冷めた目で私を見ていた数年前、興味本位でポケモンGOのアプリをダウンロードしていたらしく、
それをずっと放置していたのだが、最近何かのネットニュースで今ポケモンGOが再燃していることを見たらしい。
そして、何気なく父のアプリを立ち上げてみたところ、昔々に捕まえたポケモンがまだ残っていて、それが今となってはレアであることに気がついたそうなのだ。
そんなこんなで、暇だしやってみるかと興味を持って、自宅周辺を犬の散歩がてら、アプリを立ち上げて二人揃って歩いてみたら、これが面白い。
そもそもあんなに娘に対して「あんたなんでそんなポケモンなんか……」と言っていたが、よく見たらキャラクターも可愛らしいと気がついたらしいのである。
そんなこんなで、歩く理由にもなるし、健康にもよいね、と散歩の時にアプリを開くようにしたら、気がついたらハマってしまった……。
ということのようだった。
正直、最初、私は目を輝かせて話す母の姿を見て、ちょっと自分の親ながら、引いた。
もちろん、別に、ポケモンやポケモンGOを否定するわけでは全くない。(私はポケモンが大好きだし)
何歳だろうと誰だろうと、何にハマって何をするかは、その人の自由である。(私もそういう意味では30でもまだ漫画も大好き、ゲームも大好きだ)
ただ、今まで、あれだけ、私が小さい頃から、ゲームを毛嫌いして、やるなといって、否定してきた両親が、目をきらきらさせてスマホの画面を開いて、にこにこ私にポケモンのことを聞いてくるなんて、正直ちょっと怖かった。
いや私の中のパパやママはそんな人じゃない! と思った。
でも、実家に帰るたびに話を聞いて、時々ゲリラのように送られてくる家族のLINEを見ていて、私はだんだん、ポケモンGOに対して、ひそかに感謝をするようになっていった。
そう、ポケモンGOが、私の父と母をつなぐ架け橋になってくれていることに気がついたのだ。
私が社会人になって、家をでて一人暮らしをしはじめた最初の頃に、
久しぶりに実家に帰った際、母がぽつりと言っていた言葉が脳裏をよぎる。
「あんたたちが家を出て、パパと二人きりになってね。結婚した最初は、そうやって二人きりだったはずなのに、今更前に戻ってさ、二人になっても、子供の話以外の、何を話したらいいか、わからないのよ」
相手のことが大好きで、大学生の頃に恋愛をして、そのまま結婚して、すぐに私が産まれた両親にとって、
それからの20年以上の月日は、子供である私と弟のことで頭がいっぱいで、そのことばかり考えて生きてきたのだろう。
(そのことは、本当に感謝の気持ちでいっぱいである)
確かに思い返せば、両親は、自分たちのお洒落よりも、私の洋服が最優先だったし、自分たちの楽しみよりも、私と弟の楽しみと成長を考えてくれていたのだと思う。
そんな愛情を持って育てた子供たちは、親の気持ちも知らず、あっさりと親から離れ、家を出て行ってしまった。
私が産まれる前と同じ、父と母の二人だけになった時に、今更、この人と、何を話したらいいかわからない。会話がない。
びっくりするくらい静かな食卓……。寂しい。
そう思って、本当に戸惑ったのだそうだ。
きっと父も同じ気持ちだったのかなと思う。
熟年離婚する人の気持ちがわかるわー。
そう呟く母を見て、いや今更離婚とかやめて欲しいな、と複雑な気持ちになったことを覚えている。
それから、数年、本当に父と母は、娘の私から見ていても、「お互い、頑張っているんだな」とわかるくらい、努力をしていた。
今まで料理の「り」の字もしたことがない父が、母と一緒にジャムを作って、私に送ってきたり。
誕生日に旅行に一緒に行った写真を送ってきたり。
そんなに頑張らなくてもいいのでは? と思うくらい、父と母は、お互いが一緒にいることに意味を見出そうと、歩み寄る努力をしていた気がする。
それが、そう、ポケモンGOを通して、びっくりするくらい、父と母の距離が縮まったのだ!
考えてみたら。ポケモンGOは基本的に動かないとなにも始まらないアプリである。
どうしてもポケモンを捕まえるために、移動しないといけない(歩かないといけない)。
だから、ポケモンを捕まえるために、一緒に散歩をする。
その時捕まえたポケモンのことを話をする。
いろいろと行われるイベントのことを調べて情報共有をして、さらにそのイベントのために遠出をする……。
その情報と結果報告を、私たち子供に連絡をする……(子供たちは全く望んではいないが)。
最初は、ただそれらもすべて、ゲームのためだったのかもしれない。もしかしたら今でもゲームのためだけに会話する時だってあるだろう。
でもきっかけのひとつになったのは、明らかな事実である。
実家に帰った時に見る両親の顔は、目に見えて元気になり笑顔になり、
ポケモン以外の、出かけた先での美味しかったご飯の話や買ってきたお土産の話なども増え、
ああ、一緒にいて、今、嫌なこともたくさんあったとしても、楽しいって思えるのだな、と娘からみても感じることが増えたのである。
それは、本当に、嬉しいことなんだなと、心から思うのだ。
私は家族が本当に大好きだ。大切だ。
だから、遠く離れて、会えなくても、両親が楽しく、過ごしてくれていることは、何よりの喜びだ。
私がいなくても、子供が離れてしまっても、誰かと過ごす喜びをまた見つけて、いきいきとする両親は、とても綺麗で、若々しくて、美しい。
「母ちゃんは、ブルーの色違い、4匹も捕まえたぞ」
そんな風に、続けてきた父のLINEを見て、一層気が抜けると同時に、私の両親は、本当に可愛らしいなと思う。
コロナがおさまったら、二人でどこに出かけるか、今から計画も立てているらしい。
私はまったくポケモンGOをやらないけれど。
でも紛れもなく、今私たちの家族にとって、ポケモンGOは小さな小さな架け橋になってくれたんだなと、LINEを見ながら思う夜である。