ポジティブの暴力《川代ノート》
記事:川代紗生(天狼院スタッフ)
なんだか、ポジティブでい続けることに、最近疲れてきてしまった。
昔からポジティブこそ正義だと思っていた。
何かしんどいことがあっても「あの経験があったから」、理不尽な目にあったとしても「これがいつか自分の糧になる」、こいつのこういうところ本当に嫌いだなと思うことがあっても「いやいや、それは見方次第だ。私がひねくれているから嫌なように見えるだけ」。
いつもどんなときも、思考がネガティブな方向に行ってしまいそうなときには、ブレーキをかけるようにしていた。それが正しい行いであると思っていた。
たとえば悩みに悩んで書店に行き、自分のこの苦しみから解放してくれそうな本を手に取ったときも、どんな本にもこう書いてあった。
「見方を変えてみましょう」
「思考の転換が大事です」
「悪いところばかりを見るから嫌な気持ちになってしまうのです。良いと思えるところを探してみましょう?」
そして私はそういったフレーズを見るたびにこう思う。
そうだよなぁ。
うん、そうだ。そうだよなぁ、と思うのだ。だってそのとおりなんだもん。この本に書いているとおりなんだもん。私は嫌なところばかり見てしまっている。正解。それは見方を変えれば解決する問題。うん、それも正解。
でもそうやって自分の心に毎回毎回、「気持ち次第だよ」の言い聞かせ続けることに、なんだか疲れてきてしまった。
わからない、あるいは今のこういう状況があるからかもしれない。誰かと会うこともできず、家に閉じこもってじっとしているとついネット上の声が耳にはいる。おうち時間を前向きに過ごそうとかみんなで乗り切ろうとかデパートを救おうとか。なんかそういう前向きな言葉たちが次々に耳に入ってくるのだけれど。
ただ、なんだろう、そういう言葉たちが暴力に感じてしまうのは、私だけなんだろうか。
ときどき、そういうポジティブなパワーが、怖く感じてしまうことがある。ポジティブであることこそが正義でそれが人間本来の進むべき道であるとみんなが信じていて。私以外の誰一人、そういう風潮にたいして違和感を覚えていないように──見えてしまう。
それがどうにもこうにも居心地が悪いのだ。「なんか違う」のだ。どこかどう嫌なんだとはっきり論じられるほどの何かを持っているわけじゃないのだが、ただ、なんとなく、無性に……。
無性に、疲れた。
ポジティブという暴力に飲み込まれて、吐きそうになってしまう。
そしてポジティブになりきれない自分自身にも腹が立つ。何の疑いもなくまっすぐと前を見て歩いていける人たちを見ると羨ましく思う。ああ、いいな。みんな頑張ってて。次のステージに進めていいな。燻った思いを抱えてなくていいな。オンライン飲み会とかしてみんなで支え合おうみたいなこと言えていいな。いいな。いいな。いいな。
いいな、と思うのに、でも、私はそちら側に行くことができない。
どうしてだろう。わからない。ただ、なんだか、自分の「嫌だ」「苦しい」「泣きたい」という気持ちを強引にねじ曲げるようなポジティブの波に溺れてしまっているだけなのかもしれない。
私の中の「嫌だ」という気持ちが、悲鳴を上げている。
そうだ。私は嫌なんだ。きついんだ。辛いことがたくさんあるんだ。傷つくことがたくさんあるんだ。他の人と比べたらたいしたことじゃないかもしれない。みんなは乗り越えられる壁なのかもしれない。「世界の恵まれない子どもたち」のことを考えたら、こんなことでしんどいとか言っている私はどうしようもなくダメなやつなのかもしれない。
でも、知らないよ。そういうんじゃないんだよ。
「私は」しんどいっていう話をしてるんだよ。
そう言いたくなるときがある。叫び出したくなるときがある。心のずうっと奥の方にいるまるで小さな子どもみたいな私が体育座りをしていて、そして「私は悲しい」と訴えてくる。
その私の存在を、私はどうしても無視することができない。
ポジティブ思考はときに有効だけれど、ときに暴力にもなり得るのだなと思う。ポジティブこそが正義であり、ネガティブは悪であると盲信してしまうと、かえって苦しくて身動きが取れなくなることもあるのだ。
「嫌だ」
「苦しい」
「悲しい」
そういう気持ちを無視することは、結果的には自分の「好き」を無視することにも繋がるのだなと、この歳になってようやく気付いた。
社会人になって、27になって、親は歳をとって、高校の同級生が結婚して出産して、母になって。そういう場面を見ていると「私もちゃんとしなきゃ」と思う。社会が動くのと同時に、次々に新しい社会人たちがやってくるのと同時に、私も成長しなくちゃと思う。そして「成長」することとは、自分の感情をコントロールして、イライラしたり怒ったり悲しんだりしない自分になることだと思っていた。いつだって冷静にいられる、嫌なことがあっても耐えられる自分でいることだと思っていた。それが大人になるということなんだ。
でも、そんなの無理だよ。「嫌だ」と思うことを、なんで無視しなきゃいけないの。
「これは嫌だ」とか「気持ち悪い」とか思った自分を無視するのだとしたら、その無視された自分は、いったいどこにいっちゃうんだよ。どこにいけばいい。存在をなかったことにされて、消えていくのか。どこか遠く、誰にも見てもらえないところでまた、じっと体育座りしているしか。それしか方法はないのか。
いや、そんなの、それこそ悲しいじゃないかと私は思う。
だってそれって結局、自分自身じゃなくて、周りに自分の人生の手綱を握らせているのと同じじゃないか。
「なんかこっちの方が正しい気がするから」。
だから自分の中のリアルは無視する。認めない。
そういうことの繰り返しで、私は疲弊してしまっている。
ポジティブでい続けることに、疲れたんだ。
そして「疲れた」という事実を、私はちゃんと真正面から、認めたいと思うんだ。
トラックのタイヤに勢いよく踏みつけられたボールみたいに心がぐにゃりとねじ曲がって、でもねじ曲がっているという事実を認めもせず、ずっと「大丈夫、これが正常」と言い聞かせる日々が続いていたのだと思う。
そんなの、もうやめよう。
少しずつ曲がった心を戻したい。やわらかくしたい。
私たちはどんなときだって自由で、自分の心に素直でいることができて、そして、ほかの誰にも操られる必要はないのだと、私はもう一度認識しておくべきだった。
頑張ろうも楽しくも明るくも。
そういう言葉を何一つ口にしなくたって、私は私でいられるんだと、ちゃんと知っておくべきだった。
知らず知らずのうちに、どこの誰がつくったのかもよくわからない「正義」に、私たちは常に振り回されていて、それがまるで自分の本心であるかのように思い込んでしまう。
よく考えもせずポジティブの波に乗っかっていくのは、あるいは単なる私の怠慢だったのかもしれない。
ときにネガティブな心に従っていくことが自分を救ってくれることもあるのだと、ようやく知った。
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