チーム天狼院

じいちゃんはピカチュウの切手を貼って《川代ノート》


 

記事:川代紗生(天狼院スタッフ)

 

じいちゃんがカンカンに怒ってるらしいけど、大丈夫?
母からそんなラインが来たのは、数週間前のことだった。いったい何のことだ。さすがにちょっとびっくりした。私には祖父を怒らせる理由なんて何一つ思いつかなかったからだ。
「あの、何もしてないと思うんだけど」
慌てて母に電話すると、それがさ、と母は一呼吸置いてから言う。
どうやら、祖父が送ってくれた荷物を、私が受け取れなかったことが原因らしい。じつは、祖父は私宛の荷物を、私の自宅ではなく天狼院書店宛に送ってしまったらしいのだ。緊急事態宣言の影響で閉店していた関係で、私は店に届いていたその荷物にすぐに気がつくことができなかったのである。

祖父のほうはと言えば、自分がせっかく孫のためを思って送った荷物について、礼のひとつも言って来ないので、あいつは礼儀知らずだと怒ってしまったらしい。

うーん、なんというすれ違いだろうと、どう反応していいか困惑していると、母はこう言った。

「事情があったなら仕方ないわよ。でも一言電話して、たぶんそれで気が済むと思うから」

カンカンに怒っているとわかっている相手に電話をするのはちょっと気が引けたが、素直に電話をかけることにした。

「……もしもし、じいちゃん、さきですけど」
「おお、さっこさんか。元気してたか」

思いのほか、電話に出た祖父の声は明るかった。怒っているような雰囲気もない。私は電話口で、事情があって受け取れなかったこと、別の住所に送ってもらえると助かるということ。自粛中でいろいろと大変だけれど気をつけてね、ということを伝えた。ただ、何かが引っ掛かった。具体的にどうおかしいというわけじゃないのだが、何か、なんだか。
なんか、私の中の「じいちゃん」と、違う?

しばらく話したあと、祖父は満足したのか、

「ああ、ああ、ありがとう。ほんじゃね、さっこさんも気をつけるんだよ」

と言って電話を切った。

しばらく、胸の中に空洞のようなものが空いた気がした。
そういえば、祖父とちゃんと話したのはいつぶりだろう。正月のときだって、忙しいことを言い訳に、顔を出しただけで終わりではなかったか。会話らしい会話をしたのって、いつが最後だっけ。

思い出せなかった。

私の祖父は、もう80代も後半だ。現役の頃は警視庁の結構偉い役職を担っていたということもあって、凛とした力強い印象がある。頭がよくて知識が豊富で読書家で、情報収集も欠かさない。子どもたちともいつだって対等に話す。そういう人だった。
鹿児島出身でバリバリの九州男児ということもあり、厳しいところはあるけれど、それでも家族のことは絶対に守る。武士みたいなところがある人だった。

そういうイメージがあったからどうしても、「じいちゃん」という生き物はいつまでも優しくて厳しくて強いものであって、それ以上でもそれ以下でもないのだと思っていた。ずっと変わらずに自分のそばにあるもの。そう思っていたのかもしれない。

けれど、今回祖父から電話をもらって、ちょっとびっくりしてしまったのは、思う通りに祖父と意思疎通ができなかったことだった。

私がごめんね、と言っているその気持ちが、おそらく届いていないのだろうと思ったし、祖父がこれはこうでこうで、と言っていることも、うまく掴みきれないような感覚があった。

何だろう、この違和感は、と思って母に聞いてみると、祖父はどうやら耳がずいぶん遠くなったのだという。

そうか、あまりよく聞こえない耳で私の話を聞こうとして、でもうまく聞こえなかったのか、と私は思った。そうか、あのときの感覚は……。そうか。

寂しいというのか、情けないというのか。この感情をどうあらわしていいのかわからなかった。
ただ、今まで当たり前のように自分のそばにあったものが、徐々に変わっていく現実を想像すると、心臓の裏側のあたりが、ぞわりと震えるような感じがした。

そうだ。
時間が経っている。
今まで当たり前にあったものがずっと一時停止しているような気がしていたけれど、そうじゃない。
私が歳を取るのと同じように、周りだって歳を取る。時代は変わる。状況も変わる。
そんな当たり前のことをどうして忘れていたんだろう。

私だって27歳になった。友人の多くは結婚した。子供を産んだ。お母さんになり、我が子の成長の過程をインスタグラムにアップする。ああ、すごいなぁ、あの子もお母さんになったんだ、なんて思う。
いつも一緒にいた旧友と話が合わなくなったり、昔は楽しく読めていた本がつまらなくなったり、逆に、今までまったく手に取らなかったタイプの本が面白く感じたり。

時は過ぎる。世界は刻々と変わり続ける。そうしないと生きていけないからだ。

ならば、私は祖父にどんな言葉で思いを伝えればいいのだろう。
「ありがとう」でも「ごめんね」でもうまく伝えられないのだとすれば、じゃあどんな言葉を選んだら? どんな伝え方を選んだら?

なら耳が悪いじいちゃんに同情するような言い方をすればいいのか? それも違う。

変わりゆく世界の中でどうやって伝えればいいんだろうとしばらく悶々としていたのだけれど、ふと目に入ったのは、祖父から送られてきた次の小包だった。

正しい住所を伝えたあと、そこに荷物を送ってくれるようになったのが、新しく届いていたその封筒は、パンパンにふくれていた。

なんだろう、これ。

封筒を開けて見てみると、ただ、ジップロックのなかにマスクがぎっしりと詰まっていた。

ああ、そうか。
そういえば、電話で話したときに、なかなかマスクが手に入らないとぼやいたのだった。

じいちゃんはどうやらそれを覚えていて、おそらくじいちゃんの住む街ではまだ売っていたのだろう、マスクを袋に入るだけパンパンに詰めて、送ってくれていた。

ジップロックを取り出して中を見てみたけれど、手紙も何も入っていない。
ただ入れられるだけのマスクが入っていただけだった。

ただ、なんだか私はそれを見て、泣きそうになってしまった。
どうしてだろう。よくわからない。

そういえば、祖父は昔からそういう人だった。
あまり器用に言葉を紡ぐタイプではない。家族に愛してるよとか大切だとか、そういうことをちゃんと伝えるような人ではなかった。

でも祖父がする行動の一つ一つで、私は祖父の思いを知ることができた。
私が塾に通っていたとき、いつも何も言わずに送り迎えしてくれていた。
大学に合格したときは、誰よりも喜んでくれた。
私が文章を書く仕事をするようになった、と言ったときも。

祖父はいつも、新聞記事の切り抜きを送ってくれていた。
さっこさんの参考になると思って。

新聞に掲載されていた作家や文章、書店関連の記事を見つけては、スクラップして私に送ってくれていた。

思えば、私の周りにはそんな人ばかりだった。
口下手で、自分の愛情を伝えたり、人を褒めたりするのが苦手な人ばっかりだ。

そういう人に囲まれて育ってきたせいか、私自身も言葉で感謝の気持ちを伝えるとか、そういうことが苦手だった。
それって直した方がいいんだろうなとも思っていた。ちゃんと褒められる人間になりたいと思っていた。

でも、ちゃんと伝わるんだと思う。
文章を書く仕事をしていてこんなことを言うのはおかしいかもしれないけれど、言葉だけでは伝えられないものも、もちろんある。

ときには直接的な言葉ではなく人の行動やふとした仕草のほうが人の胸に響く場合があって、私の祖父はそういう人だった。
そして私はそういう祖父が好きだ。そういう不器用な人が好きなのだ。

なら、このままでもいいのかもしれない。
次に私がするべきなのはじいちゃんに感謝の思いを伝えるとか、そういうことじゃなくて。
一緒にごはんを食べに行くとか、美味しいお酒を持っていくとか、のんびり近所をお散歩するとか。
そういうことでいいのかもしれない。

じいちゃんに「大切な孫だ」とか言われた記憶も特にないけれど、ちゃんと伝わっている。

だから、会いに行こう。
全てが収束したら、ちゃんと会って同じ時を楽しく過ごそう。
それが一番いいんだと思う。私たちにとっては。

ふと、じいちゃんが送ってくれた封筒を見やる。
封筒には、ピカチュウの切手が貼られている。
「あのアニメ、さっこさん好きだったじゃない?」
ばあちゃんとそんなふうに話して、切手を貼ったのだろうか。

なんだか微笑ましくて、嬉しくて、そして。
やっぱりちょっと寂しくもなって、少しだけ、泣いてしまった。

 

 


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