生きているわけではない、でも限りなく、生きているに近い。
記事:永井聖司(チーム天狼院)
大学生時代の話だから、もう、10年近く前の話だ。
今でも、その本の表紙をよく覚えている。
小川洋子さん作、『人質の朗読会』
内容は、知らない。
購入していないからだ(申し訳ない!)。
でもその本は、何度も手にとった。
日課のように通っていた書店で平積みされているのを、とある日に見つけて以降、見かける度に、手にとっていたような記憶がある。
生まれたてかのような、かわいらしい子鹿が、表紙にはいた。一瞬本物かと思ったけれど、真っ白であり、毛もないことを確認すれば、生きているわけではないことを理解した。
CGか、何かの作品だろうか。
そんな考えは浮かんでも、大学生時代、表紙に映っているのが何であるのか、どのように調べれば良いかわからなかった僕は、その表紙の美しさだけを、覚えていた。
ただただ、表紙に映る子鹿は、かわいかった。弱々しく、守ってあげたいと思わせる雰囲気があった。わざと、胴体の後ろの方をぼかした写真の演出もあって、幻想的な雰囲気もあった。
その出会いから時が流れ、作品が、木の彫刻作品であることを知った。作者が、土屋仁応(つちやよしまさ)さん、という方であることも知った。土屋さんのツイッターを、フォローした。
1度、本物をこの目で見てからは、もう、駄目だった。行ける範囲であれば、必ず行くようになった。情報を見逃していたり、遠方だったりで見に行けなかったときは、そのことがストレスになった。
生で本物を見ると、全てが吹き飛ぶ。
仕事のストレスも、将来への不安も、日常の中で少しずつ蓄積されていたイライラも、何もかもを、忘れてしまう。
作品と、自分だけしか存在しない異世界にワープしてしまったかのように、それ以外の全てを忘れて、ただただ作品を、見つめてしまう。森の中で深呼吸をするみたいに、空気が澄み、心が整い、僕自身が、浄化されていくような感じがする。
だからついつい、土屋さんの作品が出ている展覧会に行くと、長居をしてしまう。一つの作品を、10分見ようが30分見ようがまるで苦にならないので、どこかの瞬間で時計を見て、ああいかんいかんと思って、名残惜しい気持ちを抑えつつ、いつも展覧会会場を後にする。
鹿や熊、時には想像上の動物、幻獣などを表現されている土屋さんの作品を見るとまず、その存在感とリアリティに驚かされる。平凡な表現にはなってしまうけれど、今にも動き出しそうなのだ。とは言っても、動物の毛や筋肉などが事細かに表現されているわけではない。土屋さんの作品の表面は基本的に白く、動物本来の色でもなく、毛もない、ツルッとした作りになっている。言ってしまえば、アニメで描かれる動物のように、動物を表すのに最低限の部分のみを抽出して、表現しているのだ。それなのに、嘘っぽさはまるでない。逆に、必要な部分のみに限られているからこそ、真実味が増しているような感じがするのだ。
僕たちがイメージする『鹿』や『熊』、『麒麟』などの、汚れのない美しい部分のみのイメージを抜き出し、この世に具現化したかのような、不思議でありつつも幻想的で、確かな存在感が、土屋さんの作品にはあるのだ。
それは、『子ども』の存在に似ているかもしれないと思うのだ。
ギャーギャーわめき、『遊んで遊んで!』としきりにせがんでくるその姿は、土屋さんの作品に漂う静かで神秘的な雰囲気とは真逆のはずなのに、よくよく考えてみると、1番近しい気がしてならない。
「ちょっと、気をつけてよ」
甥っ子や姪っ子にせがまれ、抱っこしたり肩車したりおいかけっこしたりと遊ぶ時に、母親や、2人の父である兄から、小さく注意される。
元気いっぱいで、声や行動でしっかりと自己主張も出来、確かな存在感があるのというのにどこか弱々しく、目が離せない。何をしても愛くるしく、静かに眠っている姿は天使のようだと思えてしまう。いつまでも、見ていられる。
そんな、圧倒的な存在感と、神秘性が混ざりあったような魅力が、土屋さんの作品にはあるのだ。
その魅力を十分に堪能できる展覧会『幻想の銀河』が今、銀座にある、ザ・ギンザスペースという会場にて開催されている。今回の騒動によって中止の可能性もあったのだけれど、6月2日より再開となり、8月2日まで開催されることとなったので、僕も早速行ってきた。
今回は、山本基(やまもともとい)さんという、『塩』をモチーフにした作家の方とのコラボレーション企画となっていて、山本さんが塩で表現された紋様の上に、土屋さんの作品である鹿たちが置かれている、という構成になっている。
タイトル通りの銀河なのか、川なのかそれとも砂漠なのか、その真実はわからないけれど、山本さんが塩で作り上げた神秘的な雰囲気の中に土屋さんの作品たちが溶け込んでいて、展示スペースに入った瞬間、いつも土屋さんの作品を見ると感じる、異世界に飛ばされてしまったかのような感覚を、今回は更に強く感じることとなった。訪れた時間帯もあってか、展示スペースの中で1人、作品世界の中に没入できれば、夢の中にいるかのような、もしくは宇宙の中を漂っているかのような、フワフワとした不思議な感覚さえしてきて、やっぱり心が洗われる気がした。
塩で描き出された紋様の上を進む鹿たちの姿を、どう捉えるかは、見る側に、委ねられる。
旅をしているようにも、つがいやグループになって、この世界の中でただ静かに暮らしているようにも、もしくはその他別のストーリーを、思い浮かべることも出来るだろう。
世界観の中に入り込んでしまい、うっかり長居しすぎてしまわないように気をつけて、是非この空間を、訪れてみてほしい。次の機会は、恐らくないのだから。
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