自意識過剰のベートーベン
記事:山本海鈴(チーム天狼院)
……ああ、憂鬱だ。
いつの間にか春が過ぎ、夏に差し掛かろうとしているこの季節。
いつもどんよりしてしまうのが、毎年の恒例行事である。
せっかく時間をかけて、入念に整えたものが、すべて無に帰してしまうのが、この季節の厄介なところだ。
どう頑張っても、どう工夫しても、その強敵にはなかなか打ち勝つことができない。
日に日に暑くなってくる気温。
それとともに影響力を増してくる、厄介な厄介な強敵、それがーーー
そう、「湿気」だ!
「ああ! もうこんなになってる! 朝ちゃんとセッティングしてきたのに!」
最近の1日は、こんな嘆きから始まる。
そうなのだ。私の髪の毛は、湿気に異常に弱いのだ。
パーマかけたみたいになっている、という次元ではない。
この時期の湿気にさらされると、朝、どんなに整えても、2段にも3段にもウエーブがかかってしまい、ベートーベンの肖像画か? くらいの見事な髪のうねりが出来上がってしまうのだ。
何もしていないわけではない。
髪を洗ったあと、トリートメントを漬けて少し待つ。
保湿成分が入り込んだな……と思ったら、そこでやっと洗い流す。
シャワーから出てからも、勝負の時間だ。
濡れた髪に、洗い流さないタイプのヘアオイルを全体にまんべんなくつける。
少しの時間でも、なんだか潤いが抜けていくような気がするので、シャワー後、すぐさまこの作業は行わなければならない。
オイルでじゅうぶんな潤いを与えたら、すぐさま、ドライヤーだ。
ちゃんと毛流れに沿ってブローしながら乾かさないと、変な方向に行ってしまったり、髪の毛が曲がってしまったりする。
髪の毛が乾ききる最後の瞬間まで、毎日が勝負なのだ。
なのに。
なのに!!!
部屋を出て、職場に向かって歩いているその時間で、ヤツは、すべてを台無しにしてくる。
雨が降っていようものなら、その湿気をたっぷり含んだ風に当てられ、一瞬で、朝の努力がおじゃんになる。
ベートーベンの出来上がりだ。
最近はマスクをして出掛けるようになった。
これがまた、まずかった。
中でせき止められた呼気が、マスクの上下左右から出ていく際に、髪の毛に直撃しているのだろう。
通常の雨の日より、マスクをしている時の湿気ダメージは、2倍にも3倍にも、大きくなってしまうのだ。
そうして、職場についた時点で汗だくとなり、鏡を見て絶望するのである。
「ちょっと、これ。さすがにやばくないですかね?」
さすがに髪のうねりが酷すぎて耐えきれずにいた、ある日のこと。
思わず、隣にいた同僚に聞いてみると、こんな返事がかえってきた。
「……まあ、確かに。言われてみれば、うねってるなーって」
……え?
今、なんて?
「言われてみれば」?
確かに、同僚はそう言った。
いやいや、言われてみれば、ではなく、これは「明らかに」ベートーベンでしょう!
それなのに、戻ってきたのは、意外な言葉だった。
「多分、本人以外、そんなに気にしてないですよ」
……そ、っか。
そう、なのか……。
「気にしてない」。
はっきり断言されてしまうと、一気に肩透かしを喰らったような気分になった。
朝から手入れをして、ちゃんと整えて、家を出る前は完璧だったのに、それが一瞬で崩れてしまって、勝手に落ち込んでいた。
けれど、そんな努力も、落ち込みも、他の人にとってはまったく関係ない。
むしろ、それが問題だと思うことすら、ないのかもしれなかった。
気になっていたのは自分だけで、案外、誰も気にしていないのか……。
気にしていなければ、この問題に、余計な感情を使ってしまうのが、一気にもったいなく思えてきた。
勝手に一人で落ち込むなんて、どうして無駄な時間を過ごしてたんだろう?
自分が思っているほど、他の人は、自分を見ていない。
変に自意識過剰になっていたんだ、私は。
こんなふうに、周りとの認識のズレが起こるのは、時たま起こり得る話である。
ちゃんと確認して、周囲とチューニングを合わせて。
そうして、自分が今何に集中すべきか。
現在地を確認しながら生きていかなければならない。
ベートーベンは思うのだった。
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