クラリネット“共闘曲”
*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:斉藤萌里(チーム天狼院)
「頑張ったかどうかを決めるのは自分じゃない、他人だ」
いつだったか、どの瞬間だったか、いやどの瞬間でもあったし、一回だけじゃなかったかもしれない。顧問の先生から言われた言葉が今でも頭の奥でこびりついている。
7年前。
中学生だった私は吹奏楽部に所属していた。
部活の中でもおそらく“花形”だと思われている吹奏楽部に、私は迷わず入部した。
多くの友達は様々な部活に見学に行って3年間の青春を費やす場所を決めるのだろうけれど、少しの迷いもなく新入生の部活見学の時間を全て吹奏楽部に投入していた。それもこれも、「早く楽器を弾きたい」「先輩たちに顔と名前を覚えてもらいたい」という一心だったと思う。幼い頃からピアノを習っており、音楽と共に育ってきた私には、吹奏楽部に入ることが必然だという気がした。
ピアノを弾くのは大好きだった。
初めてピアノに触れたのは確か4歳の頃。実家の近くでやっていたピアノ教室に通い出したのがきっかけだった。文字よりも早く音符を覚え、味覚と同じように当たり前に音感をつけ、日常に「ピアノ」の存在を滑り込ませた。ピアノ教室は一度変わったが、新しく先生になった方ともすぐに馴染んだ。それから大学で実家を離れるまで片時もピアノが頭の中から消え去ることなく。
年に一度の発表会もコンクールも全部本気で臨んだ。ピアノの練習が苦だと思ったことは一度もない。コンクールの結果がうまくいかなくて悔しい思いをすることがあっても、ピアノを「やめたい」と思ったことはなかった。理由はとても簡単で、ピアノを弾いている時間がとても好きだったからだ。一つの曲を弾けるようになるまでの困難な道と、弾けるようになってからの達成感、そこからさらに腕を磨きより良い音楽にしてゆく快感。たった一人でもこれほど熱中して、時間が経つのを忘れるほどに楽しめるもの。私にとって音楽はそういうものだった。
ピアノが大好きだった私は、前述した通り中学生になると当たり前に吹奏楽部に入部した。
吹奏楽は主に管楽器、打楽器と低音の弦楽器で構成される楽団で演奏するものだったが、当時の私にははっきりと演奏したいと思っていた楽器があった。
フルートだ。
銀色に輝くボディ、スタイリッシュなフォルム、横笛という特別感。
「フルートを弾く女の子」への憧れが、私を吹奏楽部への入部へと導いた。
入部する前はフルートパートによく訪問し、入部前からマウスピース(楽器の息を吹きかける頭のパーツ)を吹かせてもらったり、指の位置を教えてもらったりした。入部してからの「希望楽器」にはもちろんフルートを一番上に書いた。「希望楽器」の順位は一番目から六番目まであり、ほとんどの場合この中の楽器からパートが決まることになっていた。
入部してから担当楽器を決めるのにはルールがあった。
それは、在部生の人数と新入生の人数、吹奏楽の合奏に必要だと考えられる各パートの人数をうまく調整して決めるというものだ。
つまり、各新入生の希望が通るわけではないということ。
どんな物事にも調整は必要だし、楽器の希望は被ることが多いため、希望が通ることはないと思った方がいいという顧問の先生の言葉も理解していたつもりだった。
頭の中では。
新入生の担当楽器が発表される日は決まっていて、その日は全員部活開始の時間に遅れないようにきっちりと規定時間には席に座っていた。
部長が部活開始の挨拶をする前から新入生の間には緊張感が漂っているのが痛いほどよく分かった。
私たちは事前に皆の希望をなんとなく言い合っており、大体どの楽器が人気かどうかは把握していた。その年は打楽器が人気で、私のやりたいフルートはそれほど人気ではなかった。「フルートをやりたい」という人は知っている限りで一人しかいなかったし、その子と自分がフルートパートになれると安心していたのだ。
しかし、フルートパートの発表の際に名前を呼ばれたのは私ではなかった。
元々フルートをやりたいと言っていた例の彼女と、打楽器を第一希望にしていた別の女の子だった。
そして私が名前を呼ばれたパートは———クラリネット。
クラリネットは、黒色をした木管の縦笛で、リードと呼ばれる木の板を震わせて音を出す、そんな楽器だ。
「え……」
という驚きの声を出す暇もなく、新入生は名前を呼ばれたパートの先輩たちのところへと分散させられた。
ドクン、ドクン、と緊張が解けた後の心臓が別の理由で力なく脈打つ音が自分でも分かった。
クラリネットは第二希望で書いた楽器。しかし、私にとって第二希望だろうが、第一希望のフルートじゃない限り、どの楽器になっても同じように「がっかり」していただろう。
「クラリネットパートに来てくれてありがとう」
1年生3人、2年生が3人、3年生が3人というバランスの取れたパートで、先輩たちが私たちを優しく迎えてくれた。本格的に練習が始まってからも、先輩たちは厳しくも優しい指導をしてくれて、今思い返せばクラリネットパートで本当に良かったと思える。
しかし、たった今担当楽器が希望の楽器から外れてしまった私にとっては、とてもじゃないが「良かった」なんて思えることではなかった。
そういうわけで私の3年間の青春の始まりは、大袈裟に聞こえるかもしれないが「どん底」と言っても過言ではない。
こう言っては申し訳ないが、全然思い入れや馴染みのないクラリネットを手に取った私は、のっけから練習への意欲を失っていた。すぐ隣を見れば、心から演奏してみたいと思っていたフルートを持った友人の姿があり、自分の手に握られている黒い棒を見ては何度落胆したことか。
しかし、そんな私のクラリネット人生も、ある日を境に変わった。
中学一年生の時に先輩たちに同伴して観に行った夏の大会でのことだ。
当時私が通っていたH中学は、近隣の学校の中で特に「吹奏楽部が強い」などと言う噂が立つような学校ではなかった。にもかかわらず、その年H中学校吹奏楽部は夏の県大会で金賞を受賞した。吹奏楽の大会ではどの出場校にもそれぞれ金、銀、銅賞のいずれかが与えられるが、言うまでもなく金賞をもらえるのはごく限られた学校だった。金賞の中でさらに点数が高い学校が次の大会へと進める。
残念ながらその年の先輩たちの金賞は、「カラ金」と呼ばれ、金賞だが金賞の中での点数が低く次の大会には進めなかった。でも、舞台の上で仲間と心を一つにして演奏をしている先輩方の姿を見て、涙が出そうだった。特に私が担当していたクラリネットパートは合奏では一番前に配置されているため、舞台の上からでも同じパートでいつも一生懸命自分たちを指導してくれている先輩の姿がよく見えたのだ。
普段音楽室で聞いていた曲だったはずなのに、気がつけば心がすっと舞台の上に連れて行かれるような感覚。
時折はっきりと聞こえてくるクラリネットの温かい音色。
私はその時初めて、クラリネットという楽器の音色の温かさを知った。
この楽器の魅力を肌で感じることができたのだ。
夏の県大会がカラ金に終わった後、それでも晴れやかな表情で引退を迎えた3年の先輩たち。そこから始まる2年生と1年生だけの鍛錬の日々。クラリネットの腕を磨こうと改心した私も日々基礎練習から楽曲の練習を怠ることはなかったが、それでもやはり先輩たちの腕には到底及ばなかた。
第一、うますぎたのだ。
クラリネットパートの2年生の先輩方は3人いたが、どの先輩も本当に素敵な音を奏でていた。一人一人音色は違うけれど、それぞれの音に良さがあり、あの厳しい顧問の先生も彼女らの腕前を認めていた。
だから、甘えていた。
先輩たちと一緒に合奏をしている時、自分がどんなに下手くそな音を出していても、たちまち先輩たちの美しい音色がかき消してくれるからだ。後輩の私たちがミスをすれば先生に怒られるのは先輩たちであり、怒られたあとすぐに「ちゃんと教えてあげられなくてごめんね」と謝ってくれさえした。
その度私は自分自身がどれほど情けなく、先輩たちに迷惑をかけているという罪悪感に苛まれたことだろうか。もちろん私とて練習をさぼっているわけではなかった。土日も一日中部活はあったし、平日は放課後毎日部活に行き、家に帰ればピアノの練習だってしていた。ピアノもクラリネットも指をたくさん動かさなければいけない楽器なので、どちらの練習もそれぞれの演奏に役立つと信じて。
けれど、ダメだった。
翌年の夏の大会で県大会の上の九州大会でまたしてもカラ金を取り、「九州大会出場」という目標を達成した先輩たちが引退したあとから、私はじりじりと訪れる焦りに耐えられなくなっていた。
2年生の夏の大会以降、私はクラリネットパートのパートリーダーに任命されたが、先輩たちのように少しも演奏が上手くなかった。後輩の方が上手なくらいで、唯一得意なことと言えばピアノで鍛えた指を動かす速さだけ。一番気になっていたのはクラリネットの音色で、私が奏でるクラリネットの音はキンキンと響くような音をしており、全然木の温もりが感じられなかった。
こんなの、クラリネットじゃない。
多分合奏中に私が一人で弾かされていた時、その場にいた全員がそう思っていたことだろう。先輩が奏でていたクラリネットの音と私のクラリネットの音は同じ楽器とは思えないほど違っていた。
一体どうして?
頑張っているのにどうして?
休日を返上し、自分の練習時間を後輩の指導に費やし、部活後の居残り自主練もしているのにどうして?
湧き上がってくる疑問、悔しさが行き場のない怒りに変わり、誰かに認めて欲しいという欲求に変わった。
ねえ、誰か。
誰か言ってよ。
「頑張ってるね」って言って。
「結果だけが全てじゃない」って。
私の心が叫ぶ。
ピアノはあんなに得意になれたのに、どうしてクラリネットは上手になれないのか。練習時間が足りない? いや、時間だけならこの場にいる全員が同じ条件のはずだ。
じゃあ、何が足りないの。
私は探した。何もない砂漠の中を彷徨うように。どこかに泉はあるはずだ。
けれど、何度問いかけても答えは出なかった。私は誰にも認められず、このまま中途半端な気持ちで部活を続けるのだろうかと何度も考えた。練習はきついし、全然成果はでない。休日に遊びにいくことだってできない。他の部活の友達は休日も半日しか練習がないため、残りの半日は自由に過ごせると言っていた。「吹奏楽部って、大変そうだね」って笑っていた。そうだ、こんなにしんどくて大変で報われないのなら、やめてしまえばいい。むしろ、やめちゃいたい。全てを放り出してこの苦しい時間から解放されたい———何度本気でそう思ったことか。
でも、それすらできなかった。
怖かったのだ。確かに練習はきつかったし投げ出したくなる瞬間は何度も訪れたけれど、そうやって一度やると決めたことを放り出した先に残るものは何なのだろうかと思うと怖くてたまらなかった。
何より音楽が好きだった私は、音楽から自ら手を離すことが怖かった。多分ここで手放したら一生後悔するとさえ思った。大袈裟な表現かもしれないが、14歳の私は本気でそう考えていた。
そんな私の迷いがなくなったのは、顧問の先生から初めてこの言葉を聞いた瞬間だ。
「頑張ったかどうかを決めるのは自分じゃない、他人だ」
そんな馬鹿な、と最初は思った。
先生が言うように私たちが自分で「あー頑張った!」と伸びをしながら言えないのであれば、じゃあ何を頼りに練習を続ければ良いのだと。
先生は、一際厳しい先生で、また同時にとても話が面白くて生徒から慕われているような先生だった。普段厳しく指導するのは私たちの「全国大会に行きたい」という大きな目標を達成させるためであり、そのために厳しい顧問になることで一緒に夢を叶えようとしてくれていた。時々厳しさのあまり、そんな先生の温かい気持ちを疑ってしまうこともあったが、合奏中に私たちが疲れているとわかればすかさず面白い話をして緊迫した練習中の雰囲気を和ませてくれる、そんな優しい先生だった。
そういう人だと知っていたからこそ、先生の言葉は私の心にズドンと響いた。
「頑張ったかどうかを決めるのは自分じゃない、他人だ」
そうか。
私は今まで何を勘違いしていたのだろう。
誰かに「頑張ったね」と言って欲しくて練習していた私は、それ自体が間違いだということにどうして気がつかなかったのだろう。
だって、ここにいる仲間たちが全員「頑張って」いるのだ。皆それぞれの思いを抱えて、それぞれのしんどさの中で闘っている。皆、私の目から見れば十分「頑張って」いる。それなのに、私はどうだろう。私も皆から「頑張ってる」と思われているだろうか。
答えは明白だった。
私はきっと、誰かに「頑張ってる」だなんて思ってもらえていない。
なんでかと言うと、「頑張った」と認められるくらいクラリネットを上手に吹けていないからだ。皆の頑張りの成果は、自分が担当する楽器の音にきちんと現れている。楽器を与えられてから二年ほど経過したが、皆驚くほど成長していた。一年生の時は「やっぱり先輩とは全然音が違うな」と思っていたあの子だって、今はとても上手になっていた。私の代わりにフルートパート に選ばれたあの子は、本当は打楽器がやりたくて入ってきた子だった。フルートは第4希望で、全然気が乗らないと言っていたのに、今では立派なフルート奏者だ。彼女は自分の楽器も購入し、フルートを愛している。相棒の楽器を愛する音が聞こえてくる。
ああ、そうか。
私に足りなかったもの。
究極的に足りなかったのは、謙虚さ。
「私は頑張っている」などと微塵も思わず、「まだまだ足りない」と思い続けられる謙虚さ。
どれだけ必死に練習しても、綺麗な音を出せるようになっても、現状に満足せずに音楽と向き合い続けられるかどうかの戦い。
私は本当に闘えていただろうか。
謙虚に、前に進むことだけを考えていられただろうか。
「フルートだったらもっとモチベーションも高く上手くなっていたのに」なんて後ろを振り返らずにいられただろうか。
自分に与えられたクラリネットという楽器を心から愛して息を吹きかけていただろうか。
全然だめだ。全然足りない。私には謙虚さが欠落していたのだ。
それに気がつくと、一気に世界が開けた気がした。どこにもないと思っていた泉がそこに現れた。目の前に道ができた。あとはその道を進むだけなんだ———。
クラリネットを握る手から、一気に力を抜いてみた。
今まで、とても強く、この子を握ってたんだと思う。
必要以上に力が入りすぎていて、左手首は腱鞘炎になるし、右の親指は楽器を支え続けて変形した。
この子を愛そう。
最初は好きだと思えなかったクラリネットを、柔らかく握り直して前を向く。
ごめんね。
好きじゃないなんて思って。
最初からもっと、あなたに向き合えていれば良かった。
だけど今日から、私の一緒に闘ってくれませんか。
物言わぬ私の相棒。
ふがいない主人だけれど、もっと温かい音を出せるように頑張るから。
「頑張ったかどうかを決めるのは自分じゃない、他人だ」
あの言葉を、いつもいつも思い出している。
高校生になって、受験勉強に励んでいるとき。
「勉強頑張ったね」って過程で褒められるのではなく、「合格おめでとう」って結果を見て言われるように。
大人になって、仕事で悩んだとき。
「頑張ってやったんだね。だから成功したんだよ」って誰かに認めてもらえるように。
まだまだ道の途中。
クラリネットと共闘していた3年間のことが、今でも夢の中に出てくるぐらい。
あの日、部活で得た教訓をずっと心に抱いて生きている。
***
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