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チーム天狼院

【ダンボールの山の中で見つけたもの】もしも「好き」を仕事にできなかったら《まみこ手帳》


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アルバイトでも本屋で働いていると言うと、たいそう読書家なのだろうと勘違いされることがある。

確かに私は本が好きで、本に囲まれているのが幸せだから、この天狼院書店に興味を持った。
教養深い人間になりたいし、できればもっと読書家になりたい、とも思っている。

しかし、私は断言できる。

私は本がなくても、生きていける。
たとえ本を嫌いになったとしても、たぶん、大丈夫なのだ。

 

私には4つ上の兄がいる。
仲はそこそこ、悪くない、と思う。

必要以上には干渉しないし、必要なときには助け合える。

20代にもなった兄と妹の関係性としては、
ひとつの理想的な形と言えるかもしれない。

下手に衝突しないのは、
互いにあまり意地を張らないからだ。

それはなぜか。
私たちはふたりとも、全然違う人間だと、よく知っているのだ。
兄にないものは私が持っているし、
私にないものは兄が持っている。
根本的に違うものを持って、違う道を歩む、違う人間。
だから、全くと言っていいほど、張り合う意味がないのだ。

 

小さい頃、親戚の子どもの中で紅一点だった私は
当たり前のようにおばあちゃん子になった。
そして正反対の兄は当たり前のようにおじいちゃん子だった。
兄はいつだって祖父に憧れていた。

私と兄が通った幼稚園の卒園アルバムを見比べたことがある。
4年違いではあるが、基本形は変わらなかったようで、
いずれも「しょうらいのゆめ」という欄があった。
私はなんとなく思いついた「おはなやさん」になりたいということにした。
一方、兄のアルバムを見ると、兄は祖父と同じ職業を書いていた。

小学生になると、私は漫画に没頭した。
毎月「ちゃお」を読んでは連載漫画に勝手にストーリーを付け足して遊んだり、大好きな「NARUTO」を読んでは勝手にオリジナルキャラクターを創り上げて妄想したりするのが日課だった。
私はしばしば「漫画家になりたい」とつぶやいては、自由帳に支離滅裂な漫画を描いて楽しんだ。
キャラクターのイラストを描くのが何より好きだった。好きだったけれど、やがて苦しくなった。
頭に思い描いたイメージが右手まで届かない。いろんな描き方も試したけれど、表現ができない。
そして私は漫画やイラストを描くことを辞めた。
これ以上、大好きなもので苦しむのは嫌だったのだ。

この頃、真面目で働き者だった祖父は亡くなった。
亡くなってから知ったことは、にぎやかな孫たちの中で、ただ一人。兄しか知らない祖父の姿がいくつもあったということだった。
小学生ながらに、兄は自分で計画を立てて電車やバスに乗って出かけるのが好きだった。
よく「今日さ、前にじいちゃんが連れて行ってくれた場所を通ったよ」と報告してくれた。
私からすれば「いつのこと?いつの間に行ったの?」と思ったが、
兄の頭の中で、祖父との記憶は何よりも鮮明に残っているのだった。

高校に入って、私は軽音楽部でギターを始めた。
ピアノも吹奏楽も、一切触れてこなかった私は音楽に対して異常な憧れを抱いていた。
はっきり言ってセンスはなかった。
いくら練習しても上手くはならなかった。いつも悔しくて、苦しかった。
音楽が大好きだった。大好きだったからこそ、本当に辛かった。
受験のために部活を引退したときは、正直ほっとした。
これで、音楽を好きなままでいられる。

大学生になった兄はやっぱり、電車やバスに乗ってあちこちを巡っていた。
ふらふら旅行をしているうちに、兄は祖父と同じ職業の人たちとすぐに友達になった。全国に大人の友達がたくさんいるという、不思議な青年だった。

大学に入って、私はアカペラサークルに入った。
音楽はまだ好きだった。今度は楽器を辞めて、歌をやりたかった。
発声も楽典の基本も何もわからないまま飛び込んだ。
そしてまた、同じだった。苦しい気持ちが好きな気持ちを上回っていくのを感じた。
私は駄目なんだ、と気づいて、とうとうサークルを辞めた。

兄は就職した。祖父の仕事にも関連する業界の事務職だった。
趣味は貫いたまま、それなりに現実的なところに落ち着いたね、なんて私と母は話していた。

私は大学3年生になった。
暑い中スーツ姿で奮闘する1つ上の先輩たちの背中を見ながら、私は悩むようになった。
私は、何の仕事をするのだろう。
どうして私には兄のようなまっすぐさがないのか。
一度好きになっても、やがて違うものに飛びついてしまうのか。
私はなんて、ぶれてばかりの、薄っぺらい人間なのだろうか。

ある日家に帰ると、珍しく先に兄がいた。
背筋をピンと伸ばして何か書類を書いていた。
のぞいてみると、それは履歴書だった。

もうすぐ兄は転職するらしい。
兄は結局こうして、卒園アルバムに書いたあの「しょうらいのゆめ」の通り、
まっすぐ、祖父と同じ職業に就くのだ。

やっぱり、こいつはすごいと思った。
初志貫徹。
決して器用ではないけれど、「好き」なものにまっすぐで、
まるで少年漫画の主人公みたいだ。

やっぱり、兄と私は全然違う人間なのだ。

 

天狼院書店は今月10日から改装期間に入った。
先日、その準備のためにスタッフ総出で本の箱詰め作業を行った。

ダンボールを調達して、本を傷まないように丁寧に詰めて、ガムテープを貼って紐で縛って……。
かなり骨の折れる仕事だった。普段は運動をしない私も、汗だくになった。
だけど私は夢中だった。いつの間にか、わくわくしていた。
いつもと違う荒廃の地と化した店内と、高校の文化祭を思い出すダンボールの独特の匂い。
ここからどんなものが生まれるんだろうと考え出して、楽しくなった。

このとき、ハッと気づいた。

本当に好きな絵や音楽を仕事にして、いつか嫌いになってしまうのではないかと怯え続けるなんて、私には耐えられない。
私は兄のようにずっと同じものを好きではいられない。趣味も夢も、コロコロ変わる。

あぁ、格好悪い。
薄っぺらい。

ずっとそう思ってきた。

だけど、そうじゃなかった。
張り合う必要なんかなかったのだ。

だって兄と私は全然違う人間なのだから。
私は兄にないものを持っているのだから。

私は、私という人間は、
予想しなかった環境や
思いがけずふと舞い込んできた仕事も
なんだって楽しさを見つけて「好き」になれるのだ。
たとえ「好き」から始まったわけじゃなくても
仕事自体を、いくらでも好きになれるのだ。

「好き」を仕事にできなくても、
「仕事」を好きになれる。

それがわかった。

だからもう怖くはなかった。

いつか私には、本が好きではなくなる日がくるかもしれない。
たとえそんな日が来ても。
私はスタッフとして、天狼院書店の「仕事」はずっと好きでいられる。

そんな確信が持てるようになった。

改装を経て、大きく生まれ変わる天狼院書店のために。
もっともっと楽しい場所をつくるために。
私は一体、何ができるだろうか。

 

夏休みだというのに、私は気が付けばまた、
大好きなこの「仕事」のことを考えてしまうのだった。

 

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