チーム天狼院

二十歳を過ぎたら、自分が自分を教育するんだ。 《三宅のはんなり京だより》


 

大人と子どもの違いって何だろう。

誰もが、一度はそう思ったことがあるんじゃないだろうか。

私は大人なんだろうか。大人になれてるんだろうか。歳ばかりとって、中身は子どものままなんじゃないのかな。
年齢が大人になったからって、中身が子どものままの人はたくさんいる。「少年のような」「少女のような」がいい形容詞……という風潮もある。けれど、私はしっかり大人になりたい。だって子どもが子どもであることを楽しめる世の中のためには、大人がきちんと大人であることが大事、だと思うから。自分が目いっぱい受けた恩恵を返さずに、自分だけ子どもでいたくない。
じゃあ一体、何が大人と子どもを分けるんだろう。
親から経済的に自立したら? 大人であることを自覚したら? 諦観や我慢、現実を受け入れること、を覚えたら?
どれもしっくり来ない。いや、どれも大切だと思うんだけど、「精神的に大人になること」の条件にしては弱いと思う。

どうすれば、ちゃんと大人になれるんだろう。

 

私は現在、二十二歳だ。
二年前に成人式を終えた。が、まだ経済的に親から自立しておらず、自分が大人という意識は薄い。まだまだ甘ちゃんの子どもだ、と思ってしまう。それにたとえ就職しても、まだ若者って扱いだろうし、親は私を心配するだろうし、そんなに自分が変わる気がしない。

じゃあ、いつ、私は大人になるのか。

そんなことを思って、ふっと顔を上げて、これから先の人生を見据える。
大人であるはずの私が歩む道を見る。
すると、ああ違うな、と思う点がひとつだけあることに気づく。

 

「私を導いてくれる人」は、もう誰もいない、ということだ。

 

朝井リョウさんの『何者』(新潮社刊)という作品の中で、次のような台詞がある。

「私たちはもう、たったひとり、自分だけで、自分の人生を見つめなきゃいけない。一緒に線路の先を見てくれる人はもう、いなくなったんだよ。進路を考えてくれる学校の先生だっていないし、私たちはもう、私たちを産んでくれたときの両親に近い年齢になってる。もう、育ててもらうなんていう考え方ではいられない」

こうして読み返してみると、とっても当たり前のことだ。
でもこんな当たり前のことを言い直さなきゃいけないくらい、私はまだ、先生や親に依存している。彼らがまだ私の正解を持ってると思っている。だから彼らが言ったことを鵜呑みにし、戸惑い、従い、反発する。
だけど、そうじゃない。彼らが絶対的に正しい訳じゃないことを私はもう知っているし、私の人生は私が決めることを、私は選択してる。
もう私は、導いてくれる人の手を、放そうとしてるのだ。
そうやって私は、「大人」になるのだ。

それは誰にとっても当たり前のことで。
どんな大人にも、昔は親がいて先生がいて、その人々の手を離して大人になり、私たちの前に大人として立っていたはずだ。

だけど、そう自覚すると、突然ひゅっと背中の後ろがさむくなる。
ああもう前にも後にも、もう誰もいないんだ、と。
誰も私に「あなたの人生にはこれ必要だよ」って教えてくれなくて、「これが正解だよ」とも教えてくれないんだ、と。
当たり前のことで、ずっと分かってたはずのことなのに、それでもごうごうと風が鳴る。人ってほんまに孤独なんやなぁ、なんて当たり前のことを知る。

でも、じゃあどうすればいいんだろう。
先生や親がいなくなったからといって、私の中の「子ども」はいなくなったわけじゃない。
まだ無知で傲慢で意固地で臆病な子どもの自分が、でっかくでっかく私の真ん中にのさばっている。
そして子どもの私が時々わめく。
どうすりゃいいんだよこれ、わかんないよー! と。

だから、私は思う。
私は、これからは、自分で自分を教育してかなきゃいけないんだ、と。

これまで受けてきた教育に不満はない。私のそばにはいつも、幸せな教育があった。恵まれすぎたくらいの環境があった。
ありがたいし、嬉しい。
だけど、だけど、その恵まれすぎた教育をもってしても、それでもまだ、不十分なのだ。
どうしたら人に優しくできるのか。
どうしたら自分を律することができるのか。
どうしたら必要なことをインプットして、面白くアウトプットできるのか。
私は、どうやってこの先生きてくのか。
自分の人生に必要な知識も、知恵も、姿勢も、
私はまだ子どものままだ。

だから、私は私の教育者にならなきゃいけない。
まだこれから成長しなきゃならんことがいっぱいある。
もちろん仕事での先輩はできるだろうし、そこでまた教育を受けるだろう。
だけどそれは「導いてくれる人」じゃないから。

私は、自分で自分を教育しながら、自分のための教材を選び、先輩を見て、学び方を考え、怠けてたら叱り、できたら褒めてやろう、と思う。

 

大人になるということは、
自分が自分を教育できることじゃないだろうか。

 

たぶん一生学ぶしかない。失敗したり、恥をかいたり、怠けたり、自己嫌悪したりしながら、でもそういう自分を導いていくのだ。
そして大人同士、分かり合ったり合わなかったりしながら、またいろんな学びを得てゆく。
一生で分かることできることなんて、ほんのすこしだから。
みんなで学びをシェアして、そして自分が自分を導く。それが大人の教育、なのかもしれない。

そして私は少し笑う。
テストで競争するんじゃなくて、みんなで学ぶことって。
大人になったからこそ、実はめちゃくちゃ楽しいことなのかもしれないな、と。

 

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