チーム天狼院

【あの日のラブレターへの返事】私の生き方は、間違っていた ≪のろチャンネル≫


 

 

記事:野呂

 

 

「学校」という、白くて小くてすごく窮屈な箱を出て、

大学やら、社会やら、海のように広い世界に漕ぎ出し、

ぽかんと浮かんでみると、

あの狭い箱の中で、日々感じていたこと、考えていたことなんて

ほんとにほんとに、何でもないことのように思える。

 

なんであんなことに真剣になって悩んでいたのか

なんであんなことに脇目も触れず夢中になれたのか

あの時の自分たちは何を信じ、何に支えられていたのか

 

きっと教師にでもならない限り、戻ることのないであろう箱の中の世界なんて

これから海の上で生きていく大人にとっては

今になって考えてみる必要なんてないのかもしれない。

 

そんなことを振り返るより、

次に来る小さな荒波に、どううまく乗ればいいのか、

この当てもない大海で、どちらに進んでいけばいいのか

考えるほうがきっと有益であろう。

 

でもたまに、航海に出て3年目、

すぐ後ろの陸地の上の、まだ形を確認することのできるその箱のことが

気になって気になって仕方なくなる時がある。

 

誰かが呼ぶ声を聞くように、

振り返ってしまう時がある。

 

何か大きなものをそのまま忘れてきてしまった気がして、

振り返ってしまう時がある。

 

振り返ると箱はそこにある。

そこにあるという安心感から、

その声が何を言っているのか、

何を置き忘れてきてしまったのか、

そんなことには触れずに、ここまで漕ぎ出してきてしまった。

 

またふと振り返る。

振り返るとやはりそこにある。

そこにあるけれど、確実に、回を重ねるごとに、

視界の先で小さくなっていき、輪郭がぼんやりしてきているのが分かる。

 

今更掘り返すのなんて、

無駄かもしれない。なんの意味もないかもしれない。

 

でも、今掘り返してみなければ、

もうこれからは、過去の記憶の中に曖昧に埋もれていく一方で、

もう考えることはないかもしれない。

 

そう思うと、

急に、あの箱の中で起きていた日々の出来事、

あの箱の中で私が感じていたことを、

文字に起こさずにはいられなくなった。

 

 

夏海、

 

私はあの箱を出たと同時に、

いろんなものをあそこに押し込めて、

きれいさっぱり出てきたつもりだった。

 

あの閉ざされた、あの時だけの空間を出てしまえば、

きっと外からはもうどうにもできないし、

どうする必要もないと思っていたから。

 

だから去年の夏、

 

あなたのくれた手紙に、私は何とも言えない衝撃を受けた。

 

【ぼっち女子が優等生に捧ぐ】お前の生き方は間違っている≪こじなつのラブレター≫

 

そう。私の生き方は、間違っていた。

でもね、夏海、

実は私、

私の生き方が間違っているってことを、

本当はもっとずっと前から知っていたよ。

夏海が、この手紙をくれるもっとずっと前に、教えてくれていたんだよ。

夏海は覚えているか、分からないけれど、

私はずっと、中学3年のあのときのことが、あれからずっとずっと、

心にひっかかりながら生きてきたんだ。

 

典型的な「優等生」だった私は、

親や先生や友達や、

自分でない誰かのために、自分を殺して、我慢して、

誰かの期待に応えることが美徳だと思って生きてきた?

 

そんな美しいもんじゃない。

 

私は、私は……。

 

 

 

 

あなたのクラスにもいたであろう、

「学級委員」、

どんな人だっただろう?

 

学校の箱の数だけ、クラスの数だけ、

「生徒会長」なり、「学級委員」なり、

そこの集団を取りまとめたり、代表したり、前に立って話したりする

「目立つ存在」というのは存在する。

 

学校や学年のカラーによって、

多少役割に違いはあるだろうが、

大体皆、似たような像を描くのではないだろうか。

 

勉強ができたり、先生に気に入られていたり、真面目だったり、活発だったり、

クラスの人気者だったり、

はたまた、面倒な仕事と押し付けられてなる人もいたかもしれないが、

その集団で、何かしら「学級委員らしい」要素があって、選ばれてなる役職であろうから、

それなりの共通したイメージが浮かび上がるだろう。

 

あなたにとってその人は、

目立つ存在で、憧れだったかもしれない。

えらそうで、うざかったかもしれない。

いろいろ悩んでいて、大変そうに見えたかもしれない。

 

箱の数だけ、いろんな学級委員がいるだろうし、

そして箱の中の人の数だけ、

その人の感じ方も違うだろう。

 

 

これは、とある公立中学の、

みんなより頭一個分背の高いバレー部のエースで、

読書家の、一見クールな大人びた女の子と

たぶんだれより熱くて、明るく騒がしく、

そしてフレンドリーな学級委員の

長いようで短かった、中学最後の一年間と、その後のお話である。

 

 

 

 

彼女のことは、話したことはなかったけれど、一年生の時から知っていた。

とにかく目立つのだ。なぜって? 背が高いのだ、ものすごく。廊下に出れば、遠くからでもすぐ分かる。誰よりも頭一個分背が高い。

その高身長を活かして、結構強かったバレー部の、エースだと聞いていた。

そして、頭がいい。この前の中間試験も、1位はあの子だったとか。

すごくストイックで努力家で、能力があって、頭だっていいのに、

学年の委員会活動にはあまり積極的ではなく、触れ合う機会がほとんどなかったから、

正直なところ、個人主義の、ちょっと恐い子、という印象さえあった。

 

私の学年は、他の学校や学年とは、ちょっと変わっていたような気がする。

すごく熱心な先生が多くて、学年の先生たちの団結力というか、エネルギーがとにかくすごかった。

 

1年生のとき、学校には「裏校則」というものが存在した。

学校の校則では禁じられてはないけれど、

先輩によって代々禁じられてきたことがいくつか存在していた。

 

1年生の女の子はYシャツではなく丸襟のブラウスを着なくてはいけない、

紺色のハイソックスや、くるぶし丈の短い靴下ではなく、中途半端な丈の「ダサい」白い靴下を履かなければならない、

ジャージは襟を立ててはいけない、

かばんにアクセサリーは一個まで。

 

逆に、学校の校則では禁じられているけど、

先輩になれば、

スカートをひざ丈より短くしてもいい、

男子も、確か、

Yシャツの第一ボタンや学ランのホックを外してもいい、

腰パン(ズボンを腰の位置でだらしなく履く)をしてもいい、

 

そんな感じだったろうか。

「先輩」と「後輩」を区別するような暗黙の校則というものがあった。

 

 

入学直後に「違反」をすると、

「あの子、何部?」

「何組の誰々って子、先輩に目をつけられてるらしいよ」

などとすぐ噂になったし、

 

逆に三学期くらいになると、

「○○部は、もう紺ソ(紺色のソックス)OKになったんだって」

「いいなぁ、うちのとこは、2年になってからだって」

なんていう会話が飛び交ったりした。

 

 

きっともうずっと、この学校のある意味「伝統」だったのだろう。

1年間、「新入生」というだけで我慢して、

学年が上がるとその解放感から裏校則に限らず、正規の校則も破り、

自分たちが先輩にされてきたように、後輩には我慢を強いる。

その連鎖。

 

本当なら、私たちも、そうなっていたかもしれない。

でも、私たちの学年は、違ったのだ。先生たちが強かった。

 

この「伝統」はおかしい、

学年が上がれば校則まで破っていいというのはおかしい、

後輩に厳しくしていい権限なんてない、

というのを1年生のうちから聞かされていた。

 

そして、規律に厳しく(厳しいというか、細かくてしつこく)、

行事に熱い先生たちだった。

 

遅刻、授業中の私語、けじめのなさ、服装の乱れ……

 

厳しいといっても、竹刀で体罰を与えたり、怒鳴り散らす(のはたまにあったかな)のではなくて、

何度注意して直らない人がいても、飽きずに何度も叱り、

ダメなことは断固としてダメという姿勢を崩さなかった。

 

そして、

この中学生にとって面倒くさい‘規律’と、

楽しみである‘行事’をうまく絡めて生活指導をするのだ。

 

入学して最初の、5月の校外学習。

日帰りで、初めての班行動。

 

学内できまりが守れていないのに、

そういう特別な日には、気が大きくなって、

これでは人に迷惑をかけるかもしれないし、誰かが危険な目に会うかもしれない。

こんなことでは、連れていけない、と。

(よっぽどのことがない限り、そんなわけはないのだけど)

 

校外学習だけではなく、

体育祭や合唱コンクールのような学内の行事にもすごく熱心だった。

練習にものすごく力を入れて、

他のクラスへのライバル心に火をつけ、クラスがそれぞれ団結することを促した。

 

もちろん、もう小学生ではないし、

先生の言うことを聞く生徒ばかりではない。

こういう「学校」文化、「先生」圧力は、

たいていの中学生くらいには、うざくて、うっとうしくてたまらないものである。

 

しかし、私たちの学年の先生たちがすごかったのが、

こうした「学校」文化、「先生」圧力に対して

比較的従順な、いわゆる「優等生」タイプの生徒の囲い込みのうまさだった。

 

そんな「優等生」タイプの生徒なんて、一部しかいない。

しかし、きっとどこの学年にも、どこの学校にも、確実にいるのだ。

そのどこにでもいる「優等生」タイプへの働きかけが、すごかった。

 

まず、こうしたタイプの生徒というのは、入学後すぐの委員会決めで、

クラスの中心である「学級委員」や、それに続く「規律委員」に立候補する。

そこに集まった「優等生」たちに、

学年の中心としての意識を植え付ける。

自ら規律を守り、自分のクラスの生徒に守らせ、学年の秩序を安定させるよう、働きかける。

先生の分身のように、違反者がいたら、しつこく、口うるさく注意し、やめさせることが使命で、

もし見て見ぬふりをするなら、職務怠慢。自分が違反者になるなんて言語道断。

 

もう、ある種の洗脳である。

 

そして、それだけならきっと、

「先生」と、先生におべっかを使う、「気持悪い人種」として、

マイノリティ差別を受けていたことだろう。

 

本当にうまいのは、この後である。

 

どんなに注意されたって、いや、おそらくされればされるほど、

遅刻してしまう人はいるし、

制服を着崩したくなってしまう人はいるし、

「真面目」に反抗していたい人はいるし、

「学校」文化が嫌いな人はいる。

 

でも、その「悪」目立ちする人は、対極に見える「優等生」タイプと同様、少数であり、

大半は、その「どちらでもない」タイプなのである。

 

その「どちらでもない」タイプを、

そう、うまく囲い込め、というのである。

 

おそらく、この「どちらでもないタイプ」は、先生の呼びかけならあまり反応しなかったかもしれない。

しかし、「同じ」生徒であり、友達である誰かなら、共鳴して協力的な反応を示すのである。

もちろん、「優等生」タイプが優勢であれば、である。

クラスの空気として、雰囲気として、

きまりを守る、あるいはもう少し頑張って、友達にも守らせる、注意しあうことが普通になれば

行事の練習に一生懸命に取り組み、学年1位を目指して頑張ることが普通になれば

そちらの方向にむかって団結していこうという流れができるのである。

 

協力、相互作用があって、連鎖的に学年の秩序を安定させるということを、

「優等生」タイプに理解させるのが、うまい先生たちだった。

 

ここで、おそらく私たちの学年における「学級委員」や「規律委員」の存在感の大きさ、

役割の重要性を想像してもらえたのではないだろうか。

 

私はまさに、その洗脳組だった。

 

他の学級委員や規律委員も似たような雰囲気の子たち。

 

勉強ができたり、責任感があったり、素直で従順だったり、

真面目だったり、小学校のクラブなんかで中心的な存在だった子たち。

 

なにかしら、「できる」自信があって、

「学校」文化との摩擦を感じることが今までに少なく、

「学校」文化の中での自己肯定感の高い子たち。

それゆえに、やる気に満ちた子たち。

 

見事に「洗脳」されて、「囲い込み」運動に勤しむ。

 

それを言ったら夏海だって、

勉強はできるし、部活でもエースだし、

友だちにも慕われているようだったし、

私たちと一緒に、この異様な熱気に満ちた「囲い込み」運動をする側にいたっておかしくないのに、

2年間、学級委員会、規律委員会、あるいはその合同の学年委員会で顔を合わせることはなかった。

それが不思議で、それと同時に恐くもあって、

私たちよりも、もっと高いところから、静かに蔑まされているんじゃないか、

何をそんなに、先生と一緒になって熱くなってるんだか、と

気持ち悪がっているのではないかと、ひそかに少し恐れていたのだ。

 

それでも、

洗脳組の私は、

たとえ一人のクールな女に嫌われたって、

自分がこの活動に勤しめば勤しむほど、

先生や、洗脳組の優勢は変わらないと思っていたし、

何より、使命感に帯びていた。

 

先生は私たちに、繰り返しこんなことを語っていた。

 

受験のための仕事で忙しい時期に、

先生が生徒指導に時間を取られると、その学年の受験は失敗する。

 

小さな規律の乱れが、いじめや非行へ結びつく。

 

皆が「不安定」な時期にある中学時代、

1年生のうちから、普段から、規律を守るのが当たり前の空気を作っていなければ、

「波」の犠牲者が必ず出る。

 

この学校も、数年前まで、窓ガラスが割れたり、警察が来たりすることは、珍しくはなかったそうだ。

地域でも、特に「荒れている」学校だった。

 

学校には高校の入試担当の先生もたまに訪問するらしい。

そんな「荒れた」日常を、目にした高校の先生はどう思うかというと、

その学校に、当然のことながらあまりいい印象を持たない。

その学校出身の受験生にも、いい印象を持たないかもしれない。

たとえ、窓ガラスを割ったり、警察沙汰になるのが一部の生徒だけだったとしても。

(さすがに脅しだろうとは思うが)

 

受験に限らず、

やはり「不安定」な時期になる私たちは、

人間関係の面でも、つまらないことをきっかけとする‘こじれ’が生じやすい。

 

それに無駄に巻き込まれたくないのであれば、

互いに「無関心」、互いが「敵」であるような雰囲気に陥らないように努めることだ。

 

固定された集団の一員である限り、

自分だけきまりを守り、真面目にきちんとしていればいいのではなくて、

乱れた環境を許してしまう自分にも責任があるということだ。

それがいやなら、良い環境をつくろうと努めなければならない。

 

他人の規律の乱れなど、自分には関係ないと放っておけば、

結局は自分も不利益を被ることになる。

だから、自分に関係ないこととは思わずに、

集団の秩序の安定のために努めなければならないのだ、と。

 

将来のより大きな問題を引き起こす前に、

常に小さなことにこだわっていなければならないのだ、と。

 

先生の熱い言葉に、

馬鹿に素直な私は、その通りだ! と痛く感銘を受け、

さらに乱れの「波」の被害にあうことの恐怖に突き動かされて、

「囲い込み」運動に取り組むようになる。

 

だから、仮に一人のクールな誰かに馬鹿にされたとしても

この信念に支えられて、自信をもってこの活動を貫き通すことができただろう。

 

 

とはいえ、

3年で初めて一緒のクラスになり、いざふたを開けてみると、

夏海はちっともそんな恐い奴でも、クールな奴でもなかった。

 

私はいつどんなきっかけで、夏海と話すようになったか覚えていない。

いつものように、おちゃらけて私のほうから近づいて行ったのかもしれないし、

3年目にもなると、皆誰もが友だちの友だちだったから、

誰かの近くにいるうちに、自然と隣にいたのかもしれない。

 

私にとって夏海は、

「なんて無関心なやつ」と非難すべき対象だったというよりは、

芯がぶれなくて、いつも静かに読書に没頭していて、

「かっこいいやつ」に映っていた。

 

ちょっと尊敬していて、遠くに思えていた人が、

こんな厚かましいやつを拒否するでもなく、

まして、

修学旅行の新幹線で隣の席になろう、と

夏海の方から誘ってくるなんて、涙が出るほどびっくりしたものだ。

(実はぼっち回避だったという後日談はもっとびっくりしたけれど。

それでも、そのことを包み隠さず話してくれたことがやはり嬉しくて、もっと好きになった)

 

それだけでなく、

私がこれまで心血を注いできた年に一度の

クラス対抗の「合唱コンクール」で、

夏海が指揮者、私が伴奏者としてタッグを組めることがすごく嬉しかった。

 

この学年では、

行事において何かしらの役割につくということは、それだけでは済まない。

 

その行事を通して、中心的な役割となって、

クラスを盛り立てていかなければならない。

 

もちろん、中には、そんなことに熱くなってアホらしいとか、

面倒くさいとか思っている人もいる。

思っているだけじゃなくて、思いっきり態度に出す人も当然いて、

その隣にいる人も、真面目にやっている方がアホらしくなって、

連鎖的にだれていく。

 

それを食い止められるような、みんな心をつなぎとめられるような

言葉を発し続けなければならない。

そういう態度でぶつかり続けなければならない。

 

離れていく人を、無関心で諦めてしまっては、

行事は成功しない。クラスはまとまらない。

 

今考えると、この厚かましい「強制」のパワーは、

自分も中心となってしてきたことでありながら、

すごく気持ちが悪い。うっとうしい。

 

でも仕方なかったのだ。

あの窮屈な箱の中に、

それぞれいろんな事情を持った、

それぞれ自分の「わがまま」を押し通したい、

大人か子どもかわからない「不安定」な150人余りの中学生が

毎日一緒に暮らそうとしたとき、

皆が少しずつ我慢して、それなりの安定を保つことが一番賢い方法だったのだと思う。

 

甲子園という同じ目標をもった数十人の部活ではないのだ。

きっとそこでは、

日々のきつい練習も、規律の整った生活も、あるいは丸刈りの強制も、

自分が試合に立ち、チームで甲子園に出るという目標のために

払わねばならない代償であり、

逆にそれが叶うのであれば、惜しみなく払える代償でもあるのだろう。

それが嫌になれば、諦めて自分がその場から立ち去ればいい。

 

その中にはもちろん、想像できないような色々な苦悩や葛藤があるだろう。

 

でもそうした集団に生きる苦悩の種類はきっと少し別の種類なのではないかと思う。

 

無作為に集められて一か所に閉じ込められ、

なんでお前なんかと一緒に生活しなきゃならないの、

皆そういう不満を抱えながら窮屈に生きている。

容易に隣が「敵」になりうる。

そういう不安定な社会では、

手っ取り早く、出来るだけ強力な「味方」をつけて、

自分を守らなければならない。

誰かと強固な同盟関係を築こうとするなら、

対抗する「(仮想)敵」を作らねばならない。

誰かを「敵」にする理由なんて、そんなに大したものは必要なくて、

小さなきっかけさえ掴めればいいのだ。

不安な気持ちを隠して、目をギラつかせながらあたりを見回していればいいのだ。

 

そんな殺伐とした「闘争状態」になりかねない社会なのだ。

大学のように、安全な社会なら、学校単位で集団でまとまることなんて必要ない。

でも公立の中学は全然別の世界なのだ。

 

だから、私が洗脳された、

難しいけれど、集団全体としてまとまることで、

皆がすこしずつ我慢することで、

安心という大きな利得を享受しようというこのやり方はきっと、

公立の中学校を何十年も見てきて、

その中で衝突し、悩む中学生を何人も見てくる中で編み出した、

先生たちの最善の知恵なのだと思う。

先生自身にもすごく労力がかかるし、大変なことだけど、

それを堪えてでもやる価値のある事なのだろう、と思う。

 

実際に、3年間窓ガラスが割られることはなかったし、警察が来ることもなかった。

裏校則なんてものもなくなっていた。

 

さらに、

卒業式に感じた感動は今思い出しても、何とも言えない気持ちになるし、

去年の成人式で、異例なくらい同窓会にたくさん人が集まったときにも、

あのやり方の効果を感じずにはいられなかった。

 

普通なら、

透明なスクールカーストの中で、

互いの位、立ち位置を確認しつつ、

相応しい場所で、相応しい人とこじんまりまとまることを強いられるのだろうが、

 

私たちは、

個人的な合う・合わないは脇に置いて、

特別仲のいい、固定の「ペア」や「グループ」のようなものは

ある程度あったとしても、その垣根は低く、

それぞれが、いろいろな人とのそれぞれの関係を柔軟に楽しめているよう思えた。

 

だから、洗脳されたとはいえ、邪教だったとは思わないし、

洗脳されて、使命感に駆られて熱心に活動してきたことについては、

悪だとは思わなくなった。

 

 

 

そんな美しく見える、信念、使命感。

 

 

話をここでやめられたら、どんなにいいだろう。

 

もちろん、ひいては自分のためでもあるが、

集団の一員である責任として、

良い環境に住みたいと望むから、

人のためにも、集団のためにも、多少の苦労は厭わない。

 

あの頃は私は、そんな「美徳」に支えられて、

美しく振舞っていたんだ、と思えたら、どんなに素敵だろう。

 

純粋にその使命感だけで活動していたのなら、

私はもう少し冷静に、賢く振舞えていたのではないかと思う。

 

それなのに、ここまで私がこの活動に熱中してしまったのには、

もっと違う理由が私の側にあったからのように思う。

 

 

 

 

……疲れた、いったん休憩しよう(笑)

 

 

 

 

 

 

 

よし。

 

 

 

 

今思えば自分でも本当に気持ち悪いくらいに、

自分のこと、自分のしていることに自信があったから、

 

何がそんなに支えになっていたのか分からないけれど、

揺るぎない信念があったから、

 

今思えば本当にすごく愚かな発見だけど、

夏海のあの一言に、

その時は、目の前が一瞬にして崩れ去るような衝撃が走ったのを覚えている。

 

いつの何のことか分かるかな?

 

きっと本当は、すごく何気ない事。普通なこと。当然なこと。

驚くほどでもないこと。

逆に、こちらの驚きの程度が大きいほどに、

私が普通から離れすぎていることに気づかずにいたという、

愚か度合いを示すものになるだろう。

 

だから、なんのことか、思い当たらないかもしれない。

 

私は、盲目だったのだ。

 

「人のため」を言い訳に、

誰より「自分のため」しか考えていないことを、

人にも、そして自分自身にも隠して、

偉そうにのうのうと生きてきたことの裏返しだった。

 

 

 

 

あの日、あの部屋には私と夏海と、他に2人だったろうか。

 

3年2組の教室ではなく、

そこから少し離れた、保健室の奥の静かな相談室。

 

もう何日も、

アカリは教室には来られなくなって、

この静かな相談室か、頑張っても校門までか、

家から出られない日が続くときもあった。

 

アカリについては、夏海も書いている通り。

 

【まるで青春漫画の一コマだった】転校生と私の10か月≪こじなつレポート≫

 

そう、アカリはお化粧やファッションが大好きな子で、

校則が厳しく徹底されていた私たちの学年の中では、一見少し派手な印象とは裏腹、

話してみると、会話のそこかしこに、

静かで洗練されていて、無駄のない「ホンモノ」を感じさせる子だったと思う。

 

私が感じていた、その「ホンモノ」がなんなのか、私にはうまく説明できない。

飾り気のない、嘘偽りや、見栄のない、「ホンモノ」

「ホンシツ」とでも言えばいいだろうか。

 

何かを見透かすような、鋭く光る、綺麗なものを持っているように感じられた。

 

「綺麗な」、なんていう表現は危ういかな。

 

今の私には、どんな感覚とどんな言葉をもってしても、

語りつくせない、「凄み」を、日常の何気ないところで感じさせるような子だった。

 

休み時間には楽しくケラケラと笑いあったし、

恋バナもしたし、

休みの日には、アカリや他の何人かと原宿に行って、

オシャレなアカリに服をコーディネートしてもらったこともあった。

 

私の知らない世界や、持っていない感性は、すごく魅力的で、

何より一緒に過ごす時間がすごく楽しかった。

 

だから、アカリが、何が辛くて教室に、学校に来られなくなってしまったのかが分からないのが、すごくもどかしかった。

 

知りえるはずなんてないんだ、

「友だち」だからって、「分かる」ことなんてこれっぽっちもないんだ、

 

傲慢になってはいけない、

自分が「友だち」だから、何でも知れるなんて思ったら大間違い。

「頼ってほしい」だなんて、「何かしてあげられるんじゃないか」なんて思ったら、

本当に本当に、大間違い。

 

自分でも分かっていると思ってたのに、

 

卒業式に、出たくないんだというアカリに、

私は、先生と4人しかいないあの静かな部屋で、とんでもない暴言を吐いてしまった。

 

 

 

「3年2組は、アカリも入れて、やっと完全な3年2組なんだよ。

アカリ一人でも欠けたら、それは3年2組じゃなくなっちゃう。」

 

 

きっと、私の知らないところで、

クラスのどこかで、

何か嫌なことでもあったんだろうな、

 

クラスメイトが敵に思えて、

怖い思いをしているんだろうな、

 

5月から入ってきた転校生で、

どこか馴染めない感覚がしていたんだろうな、

 

でも、

私たちは、アカリの仲間だよ。アカリの味方だよ。

アカリは紛れもなく、3年2組の一員だよ。だから安心して、教室に戻っておいで。

一緒に卒業式に出て、みんなで一緒に卒業しよう?

 

そんな気持ちで掛けた、思い思いの一言のはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……私は、クラスとかそういうんじゃなくて、

アカリと友だちだから、アカリと一緒に、卒業したい。」

 

 

 

 

 

 

 

アカリは顔をあげなかった。

 

みんなの視線がアカリに吸い寄せられて、

ただでさえ静かな相談室の空気を、より張り詰めさせているような気がする。

 

その横で、

私は夏海のこの一言に、胸が張り裂けそうな思いで、やっと立っていた。

 

 

 

この3年間の私の存在は、

学級委員、集団をまとめる者としての「信念」によって支えられているにすぎなかったのだ。

 

「友だち」……?

 

私は「友だち」をなんだと思っていたんだろう。

自分の掲げる「クラスの理想像」を叶えるための、駒か何かのように感じていたのだろうか。

 

 

……3年2組は、アカリも入れて、やっと完全な3年2組なんだよ。

アカリ一人でも欠けたら、それは3年2組じゃなくなっちゃう……

 

 

得体のしれない不安感に怯える目の前のクラスメイトに対して、

私がかけたのは、

「友だち」として、そっと寄り添っているよというあたたかな安心感ではなくて、

「クラスメイト」として、「私の」クラスを完全にしろ、という強制だった。完全に偽善だった。

「私」の思い通りにならないことへの非難の言葉だったのだ。

 

それをさもなんの棘もない言葉のように、

「友だち」のふりをして、当然のようにかけることができた無神経さを思うと、

 

本当に私の3年間は、なんだったのだろう、と泣き崩れる思いだった。

 

いつも、クラスの中心で、たくさんの友だちに囲まれて、

「人のために」尽くしていると思っていた自分が、

他でもない自己満足のためにまわりを巻き込み、操作していた、

人情のかけらもない、どうしようもない奴に思えて、地に堕ちるような感覚がした。

 

 

そんな小さな自分の間違いにも気づかず、

美しい「信念」を、

誰かを傷つけたり、窮屈な思いをさせるまで

鋭くとがらせ、突き通すことができたのは、

「学校」文化、「先生」圧力に対して従順でいられた、

いわゆる「優等生」だったからだ。

 

幸運にも、「学校」の中で、なにかしら「できる」ことがあって、

自分に自信があって、

「学校」文化との摩擦を感じることが今までに少なく、

「学校」文化の中での自己肯定感が高かったから、

そこで「善」とされることに、積極的になることができた。

 

「学校」文化を肯定することが、

その尺度で測ればいい位置にいられる自分を肯定することと同義であり、

自分にとって都合がよかっただけなのだ。

 

「学校」が、「先生」が、「親」が、「正しかった」からではない。

正しいと思うのは、「自分に都合がいい」から、というだけなのだ。

 

その証拠に、

自分にとって、都合の良すぎた、恵まれすぎた箱を出て、

高校、浪人、大学と過ごすなかで、

「今まですべてうまくいっているように見えた自分」というものが、通用しなくなってくると、

 

今まで信じてきたもの、

親だったり、中学の先生だったり、それまでの考え方が「すべて間違っていた」ような気がして、

ひどく攻撃し、あたり散らしたものだった。

 

自分にとって都合が良くなくなると、それは「正しくない」ものに変わる。

 

たいていの人は中学生くらいで来るはずだったのに、

私にもやっと遅れて来た、

「自我の崩壊」や「挫折」や「反抗期」と呼ばれる

必要な通過儀礼だったのだろう。

 

「大人」になるために、それは必要なのに、

長らくの間、幸か不幸か「優等生」として生きられてしまった私は、

こうした「変化」もなかなか素直に受け入れることができない。

 

どうしてこんなダメな奴になってしまったんだろう……。

なんで私は中学時代あんな誤った活動を喜々としてできたのだろう……。

 

親が「いい子」に育つように、いろいろ口出し、手出ししたからだ……。

みんなが私のことを「いい子」として扱うからだ……。

先生が私に「いい子」を期待するからだ……。

 

三浦さんもよく言うが、

そうやって、小さいころ「できた」という幻想から、うまく抜け出せなくて、

現実のギャップを受け入れられなくて、

「ダメ」なのを社会のせいにして、

そのまま本当に自分を「ダメ」にしてしまう人って、

意外とゴロゴロいるのかもしれない。

 

私もそうなっていても全然おかしくなかったと思う。

 

あのまま、

自分が正しいという危うい「信念」にどっぷり浸かったまま、

3年間を終えていたなら、

箱を出てから、

自分にも他人にもついてきた偽善という「嘘」が露わになる中で、

どうしようもなくなって消えていたかもしれない。

 

次々と「嘘」が露わになる中で、

私を支えていたのは、

夏海のあの言葉だったのだ。

 

「……私は、クラスとかそういうんじゃなくて、

アカリと友だちだから、アカリと一緒に、卒業したい。」

(つまり、君が正しいと信じて疑わないその信念は、もともと間違っているんだよ)

 

今更落ち込むことはない、もともと間違っていたんだ、と思えることが、支えだった。

もともと「嘘」だったんだ、と受け入れる勇気を与えてくれる、支えだった。

 

だから完全にダメにならずに、

何が間違っていたんだろう、どうすればいいんだろう、ということを、

絶えず求めることで、自分を保ち、持ち直すことができた。

時間はかかったけれど。

 

 

「子ども」ゆえの単細胞かな、

100%自分が正しい、の次は、

100%自分が間違っている、

全肯定、全否定をどちらにも振り切れて、

その後冷静になってみると、

100%正しかったわけじゃもちろんないけど、

100%間違っていたわけでももちろんなくて、

そんなに悲観的に、

自分を悪の帝王みたいに仕立てあげる必要なんてなかったな、

という、これまたごく単純な真理に行き着く。

 

私が学級委員としてやったことは、たぶんそれなりに意味があったんだと思うし、それなりに間違ってもいた。

あの頃の友だちは、別にあの時だって駒なんかじゃなかったし、

かといってみーんな私の親友なんてことも、もちろんないし、それなりに友だちだった。

成人式後の同窓会で再会したとき、へらへら笑っているように見えたかもしれないけど、

人気者の自分に酔いしれていたわけでも、みんなに良い顔をしようとしていたわけでもなく、

まぁそれも少しはあったのかもしれないけれど、

そんなに疑心暗鬼にならなくても、「それなりに友だちだったんだ」という事実に安心したからだった。

 

 

絶望感から、自分の身を守るために

「全否定」なんていう卑屈な態度で一度は甘えてみたけれど、

冷静になって、

0に限りなく近くなった自分からはじめて、

本当に自分にできることを一つ一つ確かめて足し算していく。

 

すると大きすぎもせず、小さすぎもしない、

自分にちょうどいい自分の大きさの中に入り、

そこからどう広げていこうか、というところに立てるようになる。

 

いろんな人の支えがあって、

今やっと立てたのだと思う。

 

自分が勝手に感じていた(つくりだしていた)親の期待や、

まわりからの評価によって作られていた、幻想の、偽りの体ではなくて、

「自分の体」の中に、すっぽりと納まれるようになる。

 

いろんな人が見守ってくれて、

今やっと獲得したのだと思う。

 

「大人っぽい」と言われ続けた、本当は「子ども」だった私も、

これでやっと、最近「大人」の一歩を踏み出せたのではないか、

学校という箱、「子ども」を守るために与えられていた箱から出て、

ちゃんと航海に出発できるのではないか、という気がしている。

 

 

夏海、私の生き方は間違っていた。

 

そのことを、夏海は

あの手紙をくれるもっとずっと前に教えてくれていた。

 

あの頃は、「間違っている」ことは分かっても、

どうすれば「正しい」のか、分からなかった。

 

あれからずっとずっと、

音沙汰のない間ずっとずっと、

いろいろぶつかりながら考えていた。

 

だから、成人式のとき、

「苦労してたらしいって聞いたけど。大変だった?」

と聞かれ、

とても一言で語りつくせる話じゃないから、

「うん、まあ……大変だった、かな」

と言うしかなかった。

 

確かにまだあのときは、中学生の頃と変わっていなかったかもしれない。

自分なりの答えを出せずにいた。

 

でも、頑固で不器用な分、遠回りだったかもしれないけれど、

たくさん悩んで、たくさん失敗して、

自分のできないことにたくさん気づいて、

それでも、這いつくばって、できることを一つ一つ増やしていく中で、

答えをずっと探し出そうとしてたことはずっと変わりない。

 

 

 

私が「自分じゃないやつのために、そこまで無理」をしてきたのは、

そうすることが、私の存在証明になるからに他ならない。

人のためというのは装っているだけで、自分のためでしかない。

 

その嘘を暴いて、

答えを探すきっかけを与えてくれたのは、中学3年生の夏海だった。

その今掴みかけた答えを、こうして「記事」として、

形にしてみようとするきっかけを与えてくれたのは、大学3年生の夏海だった。

 

中学卒業後、別々の高校に進んだ後はほとんど連絡も取らず、

大学が一緒で、今一緒に天狼院で働いているにもかかわらず、

あんまり一緒にしゃべったり、LINEしたり、つるんだりしないはけれど、

その間遠くで静かにずっと気にかけててくれて、

ちゃんと必要な時にはまっすぐに言葉を伝えてくれるあなたのことを、

私はずっと、大切な友だちだと思っています。

 

そのことが、その感謝が、伝わればいいなと思って、

恥ずかしいけど、記事で伝えることにしました。

 

きっと、不器用すぎる私たちには、こうして記事に思いを託すのが最良の方法だと思うけど、

でも書くことばかりに頼らないで、お互い恥ずかしがらずに、たまには気楽にお茶でもしようね(笑)

 

 

 

 

すぐ後ろに見えていた陸の上の白い箱は、

また少し、小さくなって、輪郭がぼんやりとしてしまったように思う。

 

あの頃、あの箱の中で窮屈に、互いに心を擦り減らして生活していた私たちは、

みんな今頃、この海のどこかにぷかぷかと浮かんでいるに違いない。

 

私は、私の道を進もうという決意と同時に、

この海の上であの頃のみんなに、また会いたい、と強く思った。

 

 


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