チーム天狼院

【姉妹】人気者の妹と友達が少ない姉の話《リーディング・ハイ》


コーヒー

 

草むらは思っているより、ずっと歩きにくい。背の高い草なら両手で掻き分けて進まなきゃだめだし、背の低い草だって足にまとわりついてくるから楽ではない。

砂利道はもっと面倒だ。ただ歩いているだけなのに、靴の中に砂利が入ってくるし、慌てて走れば砂利に足をもっていかれて転んでしまいそうにもなる。

雪の上なんてもってのほか。いかに滑らないように且つ早く歩くかに苦労する。一面真っ白の世界を歩いているといつの間にか道ではないところに足を踏み出し、溝にはまることだってある。

 

わたしはずっと、
ずーっとこんな道を歩いてきた。目の前には誰もいなくて、どうやってその道を歩いたらいいのか、危険な歩き方はないのか、正しい道はどれなのかは自分自身で見つけるしかなかった。

やみくもに草を掻き分ければ、葉や棘で手が傷ついた。
雑に砂利道を走って、跳ばした石でひとに怪我をさせた。
深く積もった雪道を歩けば、足が抜けず進めなくなった。

どうして、どうしてわたしの前には誰もいないの、歩き方を教えてくれないの、助けてくれないの。どうして……

 

 

でも、あんたはいいよね。前にわたしがいるから。棘が刺さっているわたしを見て、違う道を選ぶことができる。砂利道は走らない方が得策だと学べる。雪にはまってもわたしに助けを求めることができる。いいよね、ほんと。

 

わたしには4つ下の妹がいる。わたしが大学3年生だから、彼女は高校2年生。見た目は似ているらしいが(あくまで、周囲の見解であってわたしはそうは思っていない)、性格や趣味、得意なことは全くの正反対。

彼女は勉強よりスポーツが得意で、わたしはガリ勉で運動音痴。
ジャニーズや流行りのイケメン俳優が好きな妹に、漫画や小説の中の男の子に惹かれる姉
子どもが好きで保育士を目指す彼女と比べ、子どもを理由もなく毛嫌いするわたし
友達は広く浅くで顔が広い人気者気質な女子高生と、狭く深くの人間関係を好む女子大生

 

これだけ違うところがあることと、年が4つ離れていることが相俟って、わたしたちは姉妹であって姉妹ではなかった。

考えていることも、好きなことも、できることも、付き合う友達のジャンルも、全部が全部違う彼女と気が合うはずがなかった。今思えば彼女の方から話しかけてくることはあったが、わたしから言葉をかけることはなかったように思う。

学校から家に帰ればすぐに自分の部屋に籠って、勉強なり読書なりをして、夕食のときだけ居間に行って、食べ終わればまた部屋に戻る、を繰り返す毎日だった。たまに部屋に来る妹を面倒くさそうにあしらって、勉強を教えることも、恋バナをすることも、何もしなかったし、別にそれが普通から外れていることだとも思っていなかった。

 

妹とこんな感じになってしまったのは、一体いつからだったのだろう。

彼女が生まれたのはわたしが4歳になる年だった。6月下旬、いよいよこれから本格的な夏になろうとするころ。当時3歳だったわたしは、正直彼女が生まれたときのことははっきり覚えていない。それでも、どうやら自分に妹という存在ができるらしいということだけは理解していた。

菜の花のようにかわいく育つ未来を願って

菜未

と名付けられたわたしの妹。両親は姉であるわたしの名前、未晴の未から同じ字を選んだんだよと教えてくれた。それがすごく嬉しくて。4年間ずっと1人だったわたしに分身ができたみたいで舞い上がった。名前の通り、本当にかわいい妹は街を連れて回れば「かわいい、かわいい」と言われて、そんな彼女はわたしの自慢だった。

金魚のフンのごとく、わたしの後ろにぴったりと張り付いて歩く彼女をうっとおしいと感じることなんて毛頭なかった。色違いの服を着たり、同じゲームにはまったり、一緒に散歩をしたり……

彼女が小学校にあがると、5年生だったわたしは休み時間の度に1年生の教室に行き、自分の妹がいじめられていないか、給食は食べきれているか、勉強についていけているかを確認するほど妹が大好きだった。

そんな気持ちが、わたしが中学に入学すると極端に減っていった。小学校という同じ空間にいたころは感じることがなかった感情がわたしの心に流れ込んできたのだ。

小学3年生の妹と中学1年生の姉

このころのわたしにとって、4歳差というものはとても大きなギャップでしかなかった。自分は中学という慣れない環境の中で、右も左もわからないまま部活を選んだり、新しい友達を必死につくったり、死ぬほど勉強したりしているのに、

妹はわたしがすでに歩いて、踏みならした小学校という道をやすやすと歩いている。わたしがやっていたバドミントンを同じように始め、友達にも困ることはなく、小学校のシステムに慣れていた両親は彼女の学年が上がっても右往左往することはなくなっていた。

それに比べわたしは、部活選びにも友達選びにも苦労してその両方で失敗し、初めて受ける定期テストのプレッシャーに押しつぶされそうになり、慣れない自転車通学で事故にあい、小学校とは違う中学校のシステムに両親は戸惑っていた。

わたしが高校にあがっても、それは変わらなかった。
ああ、わたしは自分で道を選んで、それなりに傷ついて、手を差し伸べてくれるひともいないまま、ずっと歩いていかなければならないんだなと思った。わたしが、考えて考えて考えてやっと選んだ道を、ボロボロになりながらつくった道を、後から歩く妹はそのまま歩く。違うと思ったら違う道を選ぶ。

そんなの
ずるい

いつの間にか、わたしの後ろをついてくるだけの妹がうっとおしくなっていた。

 

「わたしの後ばっか、ついてこないでよ」
「あんたにマネされるのなんて、もうこりごりなんだから」
「いちいち、何でも聞いてこないで」

部屋の扉をノックされるのも、嫌よ。あっちに行って。妹だからって、何? 自分の道くらい自分で決めたら? 姉ってだけで、わたしはあんたなんかよりずっとずっと努力してきたんだから。一緒にされるなんてまっぴらごめんよ。

 

 

 

「恨んでんのよ」
「継ぎたくなかったのよ、あの子は…… 旅館」
「戻る気なんてないって言ってるのに、何度も何度も、何度も何度も…… しつこいったらありゃしない」
「見たくないのよ」
「顔」
「書いてあるのよ、顔に。お姉ちゃんのせいで私はやりたくもない旅館の女将をやってるの。お姉ちゃんさえ帰ってくれば私は自由になれる…… ってね」
「責められるのはまっぴらだわ」

こんな台詞を読んだのは、今年、大学2年の春休みだった。
この本の中の姉は、妹をうとおしいと思っていたころのわたしそのものだった。彼女は妹を突き放したまま、もう後戻りはできないところまできてしまう。そんな彼女に少しでもの救いを与えるのが、フニクリフニクラという不思議な喫茶店であった。

ある席に座ったときだけ、望んだ通りの時間に移動ができるというが、そこには非常にめんどくさいルールがいくつもある。なのに、過去に戻りたいという客は絶えない。

「姉妹」の話を読んだとき、わたしは知らぬ間に涙を流していた。この物語の姉のようにわたしも妹にひどい態度をとっていたんだ。なんで、気づかなかったんだろう。妹はどんな気持ちでわたしに声をかけてくれていたのだろう。そんなことなんて、考えもしなかった。

 

大学に進学して上京してからは、妹とよく話すようにはなっていた。それは、高校生と大学生になったわたしたちにとっての4歳が大した差ではなくなったことと、高校進学を機に彼女が自分で自分の道を選ぶようになったからだろうと思う。中学まではわたしと同じ道を歩いてきたくせに、高校は全く違うところをあっさり選んだわたしの妹。

ずっと、後ろにいた妹が隣に並んだとき

わたしが妹に抱いていた感情が、すごく馬鹿馬鹿しいものだったのだと気づいた。妹だから、後についてくるんでしょ? 楽でいいねと思っていたのはわたしだけだった、と。姉と妹という名前に縛られていたのはわたしの方だった、と。

 

コーヒーが冷めないうちに

という言葉と共に、過去に戻れるとしたら……

わたしは小学3年生から中学3年生までの妹に会いに行くのかな。そして、突き放したことを謝るのかな。これは小説の中の物語にしかすぎないことはわかっている。21世紀でも過去に戻ることはできない。

 

だから、わたしは過去の妹に謝罪をすることよりも

隣を一緒に歩くようになった今の妹と、いっぱいいっぱい話をして、買い物に行って、これからちゃんと姉妹になりたい。

 

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