私と出会った、すべての人へ。 《三宅のはんなり京だより》
むかし、ある男の子のことがすごく好きだった。
話せるだけで体温がしゅわって上がって、心の振れ幅をとんでもなく揺らした。
喉の奥がざらってする感覚とか、痛い痛いと胸の奥がこすれるみたいな切なさとか、初めて感じる感情ばかりが浮き出た。
楽しい嬉しいと思う感情ですら、友達と話しててわくわくするとか楽しみな本の続きを思い浮かべて嬉しくなるとか、そういう類の感情とは全く違った。
これまで知ってる自分とは全く別の自分が心に住んでることを知って、ものすごく驚いた。
対する人によって、ちがう自分が現れる。
はじめてそのことを実感したのは、その時だったように思う。
それまで自分は自分でしかない、自分にしかなれない、どこにいっても自分は自分だ、そう思っていたのに。
実際は、自分ほど曖昧なものはない。
自分は他人とのあいだに生まれるものだ、という言葉の意味をほんとうに理解したのはその時だった。
結局、自分の中身は、出会う人によって引き出された自分がぎゅっとつまってできている。
要は、私が私であるということは、出会ってきた人やものとつくった記憶を束ねた結果でしかなかった。
クサい言い方をしてみれば、出会う人によって現れる自分っていう色んな花を、記憶のリボンが束ねて、自分って花束ができる、みたいな。クサいけど。
出会う人やものが変わってみれば、ちがう自分がひょっこり現れる。
たとえばご縁とか相性って言葉があるけれど。出会って現れる「ちがう自分」がどういう人間で、その自分が楽かどうかという話なんだろうなぁ、と思うようになった。
……とまぁ、そんなことをつくづく感じた恋だった。
誰かを好きになるって勉強になるんだなァ、と幼な心に思った。しかし誰かを好きになるって偶然だから難しいよなァ、とも。
だけど、である。話はここからだ。
こないだ、衝撃を受けた。
何がって、いま私は、よく遊びに行った、その男の子の、部屋の風景を、どうしても思い出せないのだ。
この衝撃を分かって頂けるだろうか!?
それは友達と飲み会で恋愛について話してて、ふっと久しぶりにその男の子のことを思い出した夜のことだった。
飲み会からほろ酔いで帰って、その子と過ごした風景をぽろぽろと思い出して、懐かしい気分に浸ろうとして―――「えええ」と私は声を上げた。
……だめだ。
その子の顔は思い出せるけど、どうしてもその背景が教室とか学校に限定されてしまう。
彼とどんな話をして、どんなことが私をびっくりさせて、そんなエピソードならいくらだって思い出せるのに。
映像として思い出すときに、細部が、どうしてもぼやける。
何度か遊びに行って、すごくすごく思い出深い、その部屋の風景を、私はどうしても思い出せない。
その部屋について思い出せるのは、その家の門と、つやっと黒いインターホン、だけだった。
ほんとうにびっくりした。
というのも、私は自分の記憶力についてわりと自信があるのだ。
幼稚園の先生や友達の顔も覚えてるし、小さい頃感じたことは人よりも覚えている。自分が経験したことを忘れたくないと思っているし、それをできる限り覚えておこうともしている。
だけど、あんなに好きだった男の子と過ごした風景を、忘れるなんて!
こうなってみて気づく。
今回はたまたま覚えていないことに気づいただけで。ほんとは、記憶なんて忘れてることだらけなはずなのだ。
ただ、忘れてることすら、忘れているだけで。
私がびっくりするくらい、記憶は、軽く、手からこぼれ落ちてゆく。記憶力がいいなんて思い込みだったのだ。
……私ははじめて心からそう思った。
そう思うと、私の胸にすうっと不安が通り過ぎる。
私が出会ってきた、もう会えない誰かの記憶は、一体、私のどこに住むんだろう?
そして、その誰かに引き出してもらえた自分は、どこにいくんだろう?
思い出のリボンに束ねてもらえればいいけれど、そこからはらりと落っこちてしまう自分はたくさんいるってことなのか。
あう。なんということだ。
だって、出会った誰かとはいつか絶対別れる。
一番分かりやすい別れは死ぬことだけど、死んでなくたってもう会えない誰かはごまんといる。悲しいことに。
出会った誰かは、私の知らない私を引き出してくれて、そしてばいばいって別れる。
ばいばいを言える相手なんて少数だ。ほとんどの人間とは、またねって言いながら別れてく。
私の手元に残るのは、その人との思い出と、せいぜい写真と、そして、その人といた時に現れた自分の残骸だけだ。
こう書くとあっけないけれど。
ほんとうに、出会った大切な瞬間たちは、いつのまにか私を通り過ぎてゆく。
お礼を言う間もないくらい、あっけなく。
私は元から私だったわけじゃない。
私は、私と出会ってくれた人との私が集まって、私になっている。
ここに来て、はじめて思う。ああ、誰かに出会ってちがう自分を引き出してもらえるってすごくありがたいんだなぁ、と。
それは恋に限ったことじゃない。たとえばいい英語の先生に出会えば思いのほか英語を好きになる自分が現れるし、いい友達に出会えば思いのほか素直に言葉を発せられる自分が現れる。
そしてたとえその人と別れても、その人に出会って現れた自分は、自分として残る。
現にこうやって誰もいない部屋で文章を打てているのは、私と出会ってたくさんの言葉や思考を与えてくれた人たちがいて、それによって生まれた自分を編集した結果だ。
たとえそれがどんなに私が嫌いだと思った言葉でも、私が受け付けないと思った思考でも。
もちろん、生身で出会ってない人たちも含めて。
たいていの人とは、またねって言葉すら言わないまま、ふいっと別れてゆく。
好きな人との風景はがんばって思い出そうとするけれど、思い出さない人はたくさんいる。どうしても会う回数が少なかったり、出会った時期が遠すぎたりすると、ふっと私はその記憶を枯れさせる。
無意識に、気づかずに。
―――だけどそんなの、私の傲慢だ。
私が思い出さないけれど、私にいい影響を与えてくれた人はたくさんいる。
そしてたとえその人と別れても、その人に出会って現れた私は、私として残る。
たとえそのことを、思い出せなくても。
そうか、そうやって私はできてるんだな。
たくさんたくさんの、私に出会ってくれた人たち。
出会って、私に新しい自分をくれて、その他のたくさんのものをくれて、私からはあんまり何も返せないまま別れてゆく人たち。
そう思うと、ああ、だからこんな言葉があるのかと思い知る。
―――私と出会ってくれて、ありがとう。
結局、出会った人にこう伝えてゆくしかないのだ。
こんなこと言うのキャラじゃないし、正直クサいと思う。さっき言った花束の比喩より、よっぽど小っ恥ずかしい。
何がどうしてこんな台詞を吐くことに、と私はパソコンの前で眉をしかめる。
だけどそれでも、この言葉以外に今のところこの感情を表す言葉が見つからない。
私と出会ってくれて、ありがとう。
普段の生活で言えたらいいのだけど、なかなかあなたに伝える機会がない。
ねぇ、聞こえてますか。これを読んでくださってるあなたですよ。
あなたに向けて、私は、これを書いてるんですよ。
あなたがいてくれたから、私はこうして元気でやってるんですよ。
あなたが出会ってくれたから、今の私になったんですよ。
そんなん口に出して直接言え、こんな誰が見るとも知れないネットのブログ記事に書くんじゃないっ、と怒られそうだ。
だけど、私は、たぶん書くほうがあなたに伝えられるんじゃないかと思ったのだ。直接目を見て言うとどうやって伝えたらいいかわかんないし。……言い訳ですけどね、完全に。スミマセン。
だけどほんとに、あなたに向かって言いたいんですよ。
あなたに。
結局私からたいしたものを返せない、あなたに。
……たとえば、私はもう覚えてない病室の真ん中で。
なかなか登れなかったあの小さいすべり台のある公園で。
小学校の休み時間に女の子の絵をたくさん書いた自由帳のとなりで。
悔しくて楽しくてしょうがなかった時間をたくさん過ごした五階の音楽室で。
横にあるテニスコートを眺めた校舎の端っこの教室で。
地震が来たら壊れそうな大学のボックスで。
泣きたいくらい感動した講義室の片隅で。
不安に迷ってたどりついた、池袋の二階にあるこたつの傍で。
その他の無限のどこかで、すれ違って、出会ってくれた、あなたに。
もちろん直接出会っていなくても。
この広い広い世界で、あなたの大事な人生の少しの時間をこの文章にくださった、あなたに。
いろんなものをくれたのに、結局、十分なお返しもできないまま別れてしまう、あなたに。
私と出会ってくれて、ありがとう。
……結局三宅香帆として文章書いて、言いたいことなんてこれ以上よなぁ、と私は気づいてしまった。
これから天狼院で私は何を書くというのか。ネタ切れも甚だしい。
結局こうやって公に向かって書く文章なんて、私にとってはラブレターでしかない。恥ずかしいけど、それしか書く事がないんだもの。
まぁ、しかし、言いたいことぜんぶ文章にできるほどの文章力はまだないし。
残念ながら、私の文章力では、言葉にできてることは思ってることの五十パーセントくらいだ。
というわけで、たぶんこれからも書き続けるしかない。
忘れてゆく記憶と戦いながら。
まだまだ。くりかえし。
どうか少しでも私が何かを返せるように。
あなたへ、同じことを伝えるために。
私と出会ってくれて、ありがとう。
追伸:「ていうか感謝の気持ちの前にそろそろ何か返せ」というツッコミを入れたいですが、まぁ、それは許してください、おいおいね!(私信)
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