少しでも「自己肯定感」という言葉が気にかかった人は、この本を読んでみてほしい。≪リーディング・ハイ≫
私が京大に入って一番驚いたのは、スペックは自己肯定感に関係ないんだな、ということである。
私はのほほんとした田舎の進学校から京大にやって来た。中高時代ものすごく成績が良かったわけでもないし(受験生の時はその分勉強したけれども)、顔もまぁ普通で、運動は大嫌いだけど人より本が好きなことが特徴~くらいの、至って平凡な人間である。
それが天下のキョート大学である。都会の超有名校出身者もごろごろいる。みんな頭良かっただろうに、それだけじゃなく、生きてく上でのスペックが高いやつが多い。
京大に入れるくらい頭がよく、顔はイケメンあるいは美少女で、高校時代は運動部のエースで、人当たりもいい、そんな人が普通に存在する。天は人に二物を与えずって誰が言ったんだろうという有様である。
が、しかし。
彼ら彼女らと友達になると、思う。
なんで君ら、そんなスペック高いのに自己肯定感低いの!!!!!!
ここで補足しておくと、みんな、自分に自信はあるのだ。
自分はこれくらいのことはできる、そんな自信を持つ人はやたらめったら多い。ていうか自信過剰なくらいだ(ごめん)
でも、「自分のことが好き」という感情を持つ人は存外少なかった。何ならコンプレックスが強すぎるくらいだ。コンプレックスがあるからこそ努力できる、という仕組みなのだろうか、と私は思った。
そんなわけで京大で何年も過ごして知ったのは、スペックと自己肯定感は比例しないのだ、ということだった。
人が羨むような容姿や学歴や就職先を手に入れることと、本人の幸せを追いかけることは、また別の話、らしい。(彼らが皆幸せそうじゃないって話ではない、念のため。)
じゃあ、一体なにが自己肯定感をつくるのだろう?
私はしばしばそんなことを考えた。
自己肯定感。自分は自分でオッケーだって思うこと。優越感とは違う、自分で自分のそのままを肯定すること。卑下せず、慢心せず、自分のことをいいよって言うこと。
別に、なくったってどうという話じゃない。時々「自己肯定感がないとあなたはだめだ!」ということを言う人はいるけれど、んなバカな、と私は苦笑してしまう。ほかにも解決すべき問題はあるだろうし、自己肯定感が強すぎてもはた迷惑なことが多い。欲しいかどうかは本人の自由だ。
だけど、個人的に興味があった。
何がどうすれば、誰でも持っているコンプレックスというものをこじらせずに、自分は自分のままでオッケーだって思えるのだろう?
自分のいいところを見つけよう。親との関係性について見直そう。毎日楽しかったことを思い出そう。
本やネットに書いてあるこれらのハウツーは、どれも合理的な方法だし、効果はあると思う。自分に向き合うきっかけになる。
だけど、なんだか、何かが足りないなぁと思った。何が足りないのかもよく分からずに、ぼんやりと何かちがうなぁ、と。
自分の自己肯定感について何かしら発見することは歓迎するけど、目的はそこじゃないのだ。私は自分の自己肯定感を何とかしたいわけじゃなくて、いろんな人に潜む自己肯定感というモノ自体についてもっと知りたかったのだ。
そんな時に出会ったのが、この本だ。
『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 他人に支配されず、自由に生きる技術。』(安冨歩、大和出版)
とくに自己肯定感について知ろうと思って読んだわけではない。手に取ったきっかけはひょんなご縁からだった。
でも、読んで驚いた。
あ、そうか。
くるりと世界が回転したような気がした。
自己肯定感にフォーカスを当てるんじゃなくて、「自己嫌悪」のほうに問題があったのか。
この本を読んで、私はそう思うようになったのだ。
「自己嫌悪」。
たとえば仕事でミスをやらかして、自己嫌悪。ダイエットしてるのにお菓子を食べてしまって、自己嫌悪。せっかく期待してもらったのに、応えられなくて自己嫌悪。
私たちは普段の生活でしばしば自己嫌悪に陥って、「ううう私はだめだ」と呻いてしまう。
けれど、作者の安冨さんは言う。
「自己嫌悪は、何かの結果ではない。もともとその人が持つ自己嫌悪が、何かのきっかけで吹き出してくるものだ」と。
何か今の自分じゃだめだ、自分のままじゃだめだ、何かこのままの自分が嫌だ。
そんな漠然とした気持ちを、私たちは「自己嫌悪」と呼ぶ。
自己嫌悪って、そこまで悪い事じゃないと思っていた。だって自己嫌悪してれば、少なくとも自分はだめだって分かってる。慢心は避けられる気がする。自己嫌悪してる自分にどこかほっとする、時もある。私は。
だけど確かに、自己嫌悪を感じた後って、案外何も残ってないのだ。自分が嫌いだとかこんな自分がイヤだとか言っておきながら、何かいいことがあるとすぐにダメなところを忘れる。結局何も変わらないまま、漠然と「自分がイヤだ」という思いだけを抱えることは多い。
まるで自己嫌悪が免罪符になったみたいに。反省したからもういいでしょ、って言うかのように。
本の中で、―――自己嫌悪は、そのまんまの自分が受け入れられずに、逆に自分の良いところを頑張って探して、急に自信満々になったら「自己愛」を生むことにもつながる―――と書かれた部分にどきっとした。
ここで言う「自己愛」とは、常に他人からの承認を必要とする、自己肯定とは反対のものを指す。
他人の承認を必要とするからこそ、ずっと頑張り続けなくてはいけなくて、ほかの人にも幻想のために頑張ることを強要することにもつながって、結局自己嫌悪と自己愛をぐるぐるして不安定な自信になる……。
自分が嫌だ嫌だと思うわりに、変に頑張って自分の良いところを探してハイになって、自己愛を強めて、そしてまた何らかのタイミングで自己嫌悪を始める……どっかで見たような光景だ。
難しいのが、成功するためにはある程度過剰に頑張らなくてはいけないことが多い事である。
コンプレックスがあると、それを克服するために頑張る。欲しいものには手を伸ばさないと手が届かないから。
だけど、その根底に、焦燥感と嫌悪感に満ちた、不安定な自分像がうずくまっていると、どうしても、その手の伸ばし方が妙に過剰になったり内向きになったりする。
ストイックな人は美しいけれど、自分を痛めつけすぎずにストイックになるには、どうしても自分への健康的な信頼感がないと難しい。
頑張って何かを達成しても、一瞬ほっとするだけ。その次に何かを目指さないと、自己嫌悪に襲われて、やってられない。だからまた体に鞭打って頑張る。その繰り返し。
うーん、頑張ってる人ほど、この循環から逃れられないことが多いんだろうな。私は本を読んでいて思う。
親の期待に応えたり、習い事をたくさんやっていたりすると、次から次へとハードルがあって、それを健康的に乗り越えられたらいいけれど、どこかでふっと自己嫌悪に陥る場面は増えそうだ。
じゃあ、どうすればいいのか。
どうすれば自己嫌悪を脱出できるのか。
普通にこの本を読んでいればそう思う。
ああ、自己嫌悪が諸悪の根源なのか。じゃあそいつを退治しなければ、と。
――――だけど、それは違うのだ。
自己嫌悪から脱出するには「自己嫌悪からの脱出」を目指してはいけない。
この本は、そう言い切るのだ。
そもそも人には、自己嫌悪してる自分もいれば、自愛してる自分もいて、いろんな自分が住んでいる。
自己嫌悪が一切ない人など、ほとんどいない。
だけどたまに、自己嫌悪に強く覆いつくされてしまってる人がいる。
そういう人は、自己嫌悪とは反対の、「自分を大切にする時間」を増やしてゆくことに注力すればよい……そう、この本は語る。
たしかに、虫歯を倒すように、自己嫌悪をなくしましょう、と言うのは簡単だ。
だけど、多くの場合「気にしない」を意識したとたんに「気にしない」が困難になるように、「なくそう」と思っていると、たいてい「なくすこと」は困難になる。
だってずっと自己嫌悪のことを考えていたら、自己嫌悪にますます取り憑かれてしまう。
そうではなくて、自己嫌悪に覆われた時間を減らすこと。自分を大切にする、自愛の時間を増やすこと。
今の自分が何を感じているか? 頭じゃなくて、身体的には何を求めているか? 立場じゃなくて、自分の好きなことでつながる人と繋がれないか? そんな状態を増やしてゆくこと。
そこに答えはある、らしい。
ダイエット広告みたいに、ここで「私も自己嫌悪が消えました!」と言うことができればよいのだけど、そうもいかない。きっとそれは「自己嫌悪が消えたと思い込みたい」に過ぎない。体みたいに目に見えないから、心は難しい。
だけど、自己嫌悪してる自分もいて、反対に普通に自己肯定してる自分もいて、みんなその配分がどうなってるか、どんな場面で現れるか、どんな影響を受けてそれらが誕生しているか、それが違うだけ、ってことは本当だと思う。
まだまだ色んな自分が現れる可能性があるし、それでこそ変化してゆくってことなのだろう。
陰も陽も持って人間だし、そのへんをシンプルに考えすぎるのって逆にこわい、と私は思う。
生きづらいと感じていたり、自己肯定感に興味のある人はこの本をぜひ読んでみてほしい。
「憧れ」と「好き」の違いは何かとか、どうして親との関係が自分に影響してしまうのか、そんなことも書いてある本だ。
――案外、自己肯定できない自分を肯定する、みたいなくるりとひっくり返ったところに、答えはあるのかもしれない。
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