チーム天狼院

なぜ「メンヘラ女子」は生まれ出づるのか? ~ベスト・オブ・メンヘラ女子文学決定戦!~ 【リーディング・ハイ】


メンヘラ。はいそこのあなた、聞いたことありますか、「メンヘラ」

すみません、あんまり品のよろしい言葉じゃないですね。ごめんなさい。でもさ、「病んでる」って言っても伝わらないし「狂気」って言っても伝わらない、「メンヘラ」としか言えない性質。ほら、あるじゃないですか。
「メンヘラ」という言葉の意味を知らない方のために言っておきますと、「ちょーっと精神が不安定なのか……? 大丈夫なのか?」と心配になってしまう系の人から、「や、やばい、昨日包丁持っててこっちを刺そうとしてくる……」と相手をぶるぶる震えさせる系の人まで、広義に
【心がちょっとばかり病みやすい系の人】
のことを「メンヘラ」と呼んでおります。現代語ですね。詳細はググってくださいな。

わたしの友達には「なぜか彼氏がみんなメンヘラになって別れる」という他称『メンヘラ製造メーカー女子』がおりまして、その子の話を聞く限り、いやぁ人間誰しも病むことはあるよな……人類みな局所的メンヘラ……としみじみ思います。別にメンヘラになった人が特別な訳ではない。
ならば!
なぜメンヘラと呼ばれる種類の人が生まれ出でたのでしょうか。
そもそもメンヘラになるのは先天的なものなのか? むしろメンヘラになるタイミングというのは存在するのか? メンヘラはなぜ生まれるのか??
――疑問を解決すべく、ここは古今東西メンヘラがたっぷりと詰まった文学の効用を借りようではありませんか!

 

※一応風呂敷広げすぎても困るんで、「日本」の「女性」に絞って、メンヘラという存在を見てみよーと思います。

はたしてメンヘラ女子の出現に法則はあるのか。乞うご期待!

 

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①『生きてるだけで、愛。』(本谷有希子、新潮文庫)

いやーメンヘラといえばまずは本谷有希子さまっ(※褒めてます!!)病んでる女の人を書かせたらこの人の右に出る現代女性作家、います? わたしすっご~く好き。特にこの小説。愛する。

「あたしと同じだけあたしに疲れてほしいってのはさ、やっぱ依存?」

――いかがですかこの台詞。これこそメンヘラの極地。だけど異常に共感。
こちらの『生きてるだけで、愛。』という小説は、欝になってひきこもり気味の25歳の主人公のお話。
さて先程の台詞の前、主人公の女の子は同居人(津奈木)に向かってこう言います。

「だからなんのごめんなの、それ。津奈木はさ、すごい誤解してると思うんだけど、あたしを怒らせない一番の方法はね、とりあえず頷いてやり過ごすことじゃないから。あたしが頭使って言葉並べてんのと同じくらい謝罪の言葉考えて、あたしがエネルギー使ってんのと同じくらい振り回されろってことなんだよね」とまくしたててしまう。津奈木はそれでも「うん」と頷くだけで、自分のように一ヶ月近く鬱で部屋にこもっていた反動でベラベラと話し出したりはしない。

ひぃー、この思考だよこの思考。
……あなたにごめんとか言って欲しいわけじゃないの。ただわたしはほんとうに疲れて、そんであなたがわたしを完全に他人として見てるのが余計しんどくて、だからもっとわたしのためにエネルギー使ってよ。
――男の人はこんなこと言われたら困るでしょう。困りますね。でもメンヘラになると、これを相手に言っちゃうんですよ。
そしてこれに対する同居人(津奈木)の態度。「うん」と頷くだけて。
やさしいわ、バカっ!!!! そう、彼、メンヘラの彼女に対してたいへん優しいんですよね。

「ねえ、あたしってなんでこんな生きてるだけで疲れるのかなあ?」

メンヘラの彼女は疲れている。どうしようもなく。だけどその疲れを取る方法は、自分にもよく分かってないのです。
法則1.メンヘラ女子は、つかれている!

 

②『勝手にふるえてろ』(綿谷りさ、文春文庫)

ひいー、これも私が大大大好きなメンヘラ系女子文学。
『生きてるだけで、愛。』の主人公が外圧的メンヘラ女子だとしたら、『勝手にふるえてろ』の主人公は内圧系メンヘラ女子。ひたすら自分の中で自問自答、ぐるぐる回りに回る。そして突然暴走する。
彼女はずぅーっと好きな男の子がいて、その子のことを内心神格化して生きていたのだけど、その男の子(イチ)に久しぶりに会った文章がこちらっ。

ああイチ、背がのびたんだね。やせぎすで骨っぽくて、手足が長くて、なんだかすごく大人になったように見えるよ。でも笑うと目尻がゆるんで、日なたのこもれびみたいに周りが暖かく明るくなるのは昔と同じ。髪の毛は……ああ、若いころちょっとさらさらすぎたんだね、でもそのはかない頭頂部も風情があって私は好きだよ。男友達にこづかれてちょっかい出されているけれど、昔みたいにおびえた感じがない。成長したんだね。
イチは当然のように私から一番遠い席に座った。私たちの運命の糸がやっぱりまったく絡み合わないことに、失望を通り越して、なんだか変に納得してしまう。

同窓会で出会った片想いの彼に対して思うこの文章……私たち女子のメンヘラ部分を死ぬほどうまく言語化してると思いませんか。この細部の目の付け所よ。これこそメンヘラ。でもめっちゃわかる。好きになった人ってこう見えるよねー。ちょっと気持ち悪いって自分でも分かってるけど!
こんな調子の独白が全編続くんですよ、この小説。すごくないですか。
しかしこの小説にはものすごい達成がある。それは、「メンヘラがメンヘラじゃなくなる瞬間を描いている」ということ!!!! ……どうやって彼女はメンヘラを脱したのか? それは読んでのおたのしみ。

法則2.メンヘラ女子は、恋をしている!

 

 

③『源氏物語』(講談社文庫その他)

日本で一番有名なメンヘラ女子……それは『源氏物語』に出てくる六条御息所ではなかろーか。
六条御息所。彼女は綺麗で品のいいお姉さんなのですが、光源氏に恋するうちに、自分でも気づかないうちに(それがコワイ)光源氏の正妻を生霊として呪ってしまうんですね!!
呪いを使えるメンヘラ女性、って最強(恐?)かよ。
そんな彼女の台詞をここで見てみましょう。

「わが身こそあらぬさまなれそれながら、そらおぼれする君は君なり」

「訳:私こそ昔とは変わりはてた姿ですが 知らないふりををするあなたは昔のままですね……

はいこの和歌、どんな状況で歌ったと思いますか。
……答えは~~なんと「亡くなった後、死霊になってヒロインに取り憑いた時」!!!
ひ、ひぃー。彼女、成仏できていなかったっ。亡くなった後に六条御息所は「もののけ」となって蘇るのです。そして光源氏の奥さん(紫の上)にも取り憑くという……。
この業の深さ。これこそ日本文学史上もっとも輝いたメンヘラ女性と言えましょう。細かい描写も天才的で、「千年前から女性のメンヘラ具合は変わらんかったんや……」と妙に達観してしまうのでおすすめ。

法則3.メンヘラ女子は、業が深いよ!

 

➃『ノルウェイの森』(村上春樹、講談社文庫)

メンヘラ女子作品の中で最高傑作、と言われると、ど~してもこの小説を挙げざるをえない。メンヘラ文学といえばやっぱり、『ノルウェイの森』に登場する我らが永遠のヒロイン・直子ですよ!!!
やっぱり村上春樹はすごかった。病んだ女性というものを完璧に描ききっている。

直子はその日珍しくよくしゃべった。子供の頃や、学校のことや、家族のことを彼女は話した。どれも長い話で、まるで細密画みたいに克明だった。たいした記憶力だなと僕はそんな話を聞きながら感心していた。しかしそのうちに僕は彼女のしゃべり方に含まれている何かがだんだん気になりだした。何かがおかしいのだ。何かが不自然で歪んでいるのだ。ひとつひとつの話はまともでちゃんと筋もとおっているのだが、そのつながり方がどうも奇妙なのだ。Aの話がいつのまにかそれに含まれるBの話になり、やがてBに含まれるCの話になり、それがどこまでもどこまでもつづいた。終りというものがなかった。

これですよこれ。さっきから挙げているメンヘラ系ヒロインの特徴といえば、「まくしたてる」こと。彼女ら、もう、ず~~~~っと喋るんですね。喋る。喋る。でもその喋りは健康的でない。「歪んでいる」by村上春樹。
だけどこの小説、やっぱり傑作なんだよなぁ。改めて読んだらメンヘラの子と付き合うのはやっぱりたいへんだなぁって思ってしまう。がんばれ男子。

法則4.メンヘラ系女子は、まくしたてるぞ!

 

⑤『死の棘』(島尾敏雄、新潮社文庫)

はい最後はこちら。わたしの知る限り、日本文学史上最強(狂)の「破壊力」を誇るメンヘラ系女子――なんとこちらの女性は、「奥さん」なのです!!!
メンヘラ女子、ついにけっこんしちゃったよ!(しかしこの奥さん、どうしてメンヘラになったかって、旦那さんの浮気を知ったからなんですけどね……)
メンヘラ女子と結婚したら、一体、どうなるのか? その克明な記録となる本作。(私小説で、実話かいというツッコミ付き)
もはや私たちは笑うしかない。だってさ、見てくださいよ。

「じゃ、どうしてあなたはあんなことをしたんでしょう。ほんとに好きならあんなことをするはずがない。あなた、ごまかさなくてもいいのよ。きらいなんでしょ。きらいならきらいだと言ってくださいな。きらいだっていんですよ。それはあなたの自由ですもの。きらいにきまっているわ。あなたね、ほんとのことを、あたしに言ってちょうだい、このことだけじゃないんでしょ。もっともっとあるんでしょ。いったいなんにんの女と交渉があったの? お茶や映画だけだと言っても、それはおんなじなんですからね」

わぁーお。奥さん、まくしたてるまくしたてる。こんな調子で全編続きますからね。端的に言って、読んでて具合が悪くなりそう。だけどだんだんそれが笑えてくるというか、クセになる文章なんですよ……おそろしー。
さて、こんな場面もあります。

「あなたはオギノ式の研究をしていたわね」
と問いかける妻の表情には既に発作にはいったしるしがあらわれている。
「あたしにもその避妊法を教えてちょうだいな。あたし、あなたからいろんなことをおそわりたい」
私は青冷め、からだがわなわなとふるえてくるのがわかる。このやりとりの行き着く先がどんなところかは明らかなのだ。

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う、うおぁ~……。奥さぁん……読者がぶるぶる震えますわ。オギノ式て。ぎゃーお。こんな調子で夫婦は続いてゆきます。
しかしこの小説の何がすごいって、夫、基本的に妻に従ってること。そう、夫はやさしいんです。こんな調子の奥さんをずっと受け入れている。
そう、私たち女子がメンヘラになる時、いつでもそれを受け止めてくれる男性のぬるい優しさがある。メンヘラな行動を困った顔で見ている男性がいるから、私たちは安心してそのメンヘラをぶつけられる。あくまでその優しさは――ぬるま湯のやさしさ、にすぎないんだけど。

法則5.メンヘラ女子には、ぬる~い優しさを持つ男性がそばにいる!

 

***

もはやお腹いっぱいのメンヘラ女子たち。いやぁ探せばもっとざくざく出てくるんでしょーな。太宰とかも入れたかった。それにしても文学史はメンヘラ女子たちに支えられていると言っても過言ではないですね。出てき過ぎ。
だけどこうして並べてみて思ったんです。

――私もまた、メンヘラなのだ、と………!!!
だってメンヘラ女子が出てくる小説、どれもみんな好きだもの。けっこう共感しちゃうもの。私だって、生きるの疲れるし恋もするし業が深いし気が付けばまくしたててるしぬるい優しさ大好物だし! お、おう! そっか私もメンヘラか!!
しかし、ここで私のとある先輩(男)が残した名言を思い出します。

「女性は、みな、多かれ少なかれメンヘラ」

 

……メンヘラとは何なのでしょう。どうして私たちは、ある女性を見て、病んでるとか狂ってるとかレッテルを貼っているのでしょう。

もしかしたら、ほんとは、メンヘラは私たちから離れたものではなく、私たちと近いからこそ、見たくなくて遠ざけたいだけなのかもしれません。

だとすると「メンヘラ」は、実は……すべての女の子の中に潜んでいる。だからこそこうして文学作品の中で手を変え品を変えメンヘラが登場し、だれかに読まれる。「あーこれ私だわ」とか思われながら。
そして彼女たちの出てくる本を読むたび、読者は「自分の中のメンヘラ系女子ちゃん」を救うんです。
読むことで、文学の中でちょっとだけ彼女の鬱憤を処理する。そして明日からまたメンヘラなんて関係ないわという顔で生きる、あるいはちょっと軽減した(かもしれない)メンヘラモードを続行させる。
メンヘラというものは、その人の100パーセントの属性となるわけではなく、普通のだれかが、生きるの疲れたり恋をしたり業を深めたりまくしたてたりぬるい優しさに出会った時、ふいに生まれ出づるものなのです。……たぶんね!

ただメンヘラ分量が多くなることによって自分や誰かを傷つけるのはやっぱり嫌だし、だからこういう本を読んで「私だけじゃないなぁ」と思うことって大事なんじゃないかしら。
専門家じゃないからはっきりしたことは何とも言えませんが……私は、そう思いますよ。

 

さてさて、読んでくださってありがとうございました。全国のメンヘラ女子を心に飼ったみなさん、明日からも、がんばって生きていきましょう。本でも読みながら、ね!

 

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