チーム天狼院

芸大に通っているくせに絵もデザインもできない私が、才能がない自分に負けたくないと思った話


記事:河野ひかる(ライティング・ゼミ平日コース)

 

耳の奥の方で、じーわじーわと耳鳴りがする。

ぐるぐると頭をめぐる言葉たちを思い出しながら、泣きそうだった。

本を読んで、こんな気持ちになったのは初めてだった。

私には、師匠と(勝手に)呼んでいる人がいる。

大学一年生の頃に出会ったその人は、私が通う大学で一年生が必ず受けなくてはいけない、ものづくりの基礎を学ぶ授業の担任だった。

デザイナーである先生に、技術というよりものづくりの考え方の面で本当に色々なことを教わった。

先生の授業アシスタントを務めたこともあった。

だけど、四年生も後半に差し掛かったとある日を境にどうしても、会えなくなった。

 

私はとある芸大で、デザインの研究をしている。しかしデザインはできない。

学部生だったころは芸大生にしては珍しくデザインとも、ものづくりとも無関係の学科で勉強をしていた。だからこそ他者に何かを伝える時にデザインがいかに重要であるかを知った。

大学三年生の後期に入ると、もっとデザインを勉強したい、という思いが強くなり、親を説得して大学院への進学を希望するようになった。

 

だけど。

 

とあることで挫折を覚えた私は、あっという間に自尊心を粉々に打ち砕かれた。

やっぱり、デザインの基礎を学んでいない自分が、四年間デザインやってきたやつに、かなうわけないんだ。

 

芸大にいれば、悲しいことに才能がある人がいることを、まざまざと知ることになる。

才能がある、というのはなにも生まれながらに美的感覚が優れている、とかそういったことだけではない。

本当に才能があるやつは、描くのを、作るのを、やめられない人間のことなのだ。

 

 

知っている。

さらりと、息をするようにデザインしている子が、どれだけ作品を作ってきたのかを。

どれだけたくさんリサーチをして、インプットを行っていたのかを。

 

でも、だからこそ辛かった。だって、デザインするのが、なにかを作るのが、辛くて辛くて仕方がなかったから。

 

インプットの量とアウトプットの量が一定数を越えないと、何事も上達しないことはわかっているつもりだった。

でも、作るもの作るもの全てに対して「これはゴミを作っているだけなのでは?」

という思いがぬぐい捨てられなかった。

 

なにを作っても致命的にダサい。

なのに見る目だけは少しずつ肥えてゆき、完成させられないままの作品が増えていった。

 

そしてとうとう、パソコンに入っているデザインのソフトも開かなくなった。

 

 

 

四年生も後期に入り、友人たちが内定を取っていく中、先の見えない不安に駆られていた。

就職活動をほとんどしていない後ろめたさもあり、家に引きこもる日も増えた。

 

なんとか大学院の受験に合格したものの、

今更自分がデザインの道に入ったって、周りの人たちに勝てるわけがない。

自分には才能がない。

奨学金という名の借金を背負ってまで、何者かになれるかもわからない道に進む意味があるのか?

やっぱり就職したほうがいいんじゃないか?

そんなことを毎日考えては泣いていた。

やりたいことをやればいいと、応援してくれる親にこんなことは相談できなかった。

 

そんな時だ。師匠に将来のことを相談したのは。

もう将来のことを考えることに疲れ果て、誰かに背中を押して欲しかった。

話を聞いて欲しかった。

 

しかし、師匠の反応は、思っていたものとは全く異なるものだった。

めちゃくちゃ怒られたのだ。

私が受験した数少ない企業を、甘えた考えで受験するんじゃないと。

お前のスキルで受かるわけがないんだと。

そしてこう続けた。

「合格したのになんで今更そんなことを言い出す」

「デザインできないって言うけど、センスっていうのはな、見たものの量で決まるんや。まだまだ見る量も足りてないお前が、なに言ってるんや!」

「あと2年頑張るって、ここで言え!」

と、どんどん先生は言葉を続ける。

こんなに語気を荒げてしゃべる師匠に初めて遭遇した私は、動揺で完全に思考が停止し、なにも言えなかった。

そのあと、何度か「あと2年頑張るって、言え!」と言われたのだが、なにを言っても間違いな気がして結局なにも言えなかった。

 

その日は家に帰ってから泣いた。

悔しいくやしい。

どうしてあんなことを言われなきゃいけないのか。

この時期はみんな、進路に迷うじゃないか。

どうしてわかってくれないの、

という思いと、

作れない自分自身と、今更勉強を始めたって差はどうしようもできないのだと未来を嘆くしかできないことも、自分には才能がないことがわかっていて、なお努力することを放棄するような自分が、悔しくて悔しくて、そして悲しくて仕方がなかった。

 

結局周りと比べる癖が抜けないまま、師匠と疎遠になって卒業した。

 

大学院に進学してからも、やはり劣等感が抜けることはなかった。

やっぱりデザインなんて無理かもな、なんのために進学したんだろう。

そんなことを思っている時に、梅原真さんという高知県在住のデザイナーの方の「ありえないデザイン」という本を読んだ。

梅原さんは、パッケージなどの平面的なデザインももちろん行うが、地域に埋もれている、その土地ならではの魅力を引き出すことを最大限に考えながらデザインの仕事を行っている。

平面だけ整えるデザインとは明らかに違う、デザイナーだった。

 

そして、じーわじーわと耳鳴りが止まらなくなった。

師匠は私が挫折を味わったときに言っていた。

 

「今の自分もカタチに残るデザインをしていませんし、それが表現とも思わなくなりました。行為もデザインです」

 

「どうでもいいって、一番駄目な言い方です。はっきり言います。無駄は無い。仮にそう思ったとしても、必ず先の自分には必要な時間だったはず。今の自分に気付けたなら、後は先しかないよ」

 

「自分がつくったものをゴミと呼ぶのは嫌です。つくられたモノに謝るべきです。ふりかえると後悔しか残らないよ」

 

「誰の為につくったの? 自分のためならいいですが。

世の中のディレクターは管理です。全体の把握があるから出来ること。これが一番大事だということも覚えていてください」

 

梅原さんの本と、師匠の言葉がどことなく重なる。

 

 

師匠は、いつでも言っていた。視点を変えろと。

作られたものよりも、作る過程の方が大事なのだと。

四年間、言葉は違えど何度も耳にした言葉を、なんで忘れていられたんだろう。

 

薄暗い気持ちにひたすら足をすくわれて、一番大切なことを忘れてしまっていたのだ。

 

進路の話をした時は、なんてひどいことを言うのだ、と思った。

でも師匠は、私の甘さを見抜いていた。甘っちょろい考えで運良く就職できたとして、うまくいかないか、やはりデザインの勉強をすればよかったと、後悔するのは私なのだ。

 

できないことを数えるより、できることとうまく共存させながらやりたいことをやれればいいのだ。

できないことがあるからって、できること、やれていることまで見ないようにする必要はない。

師匠が言いたかったことは、結局こういうことなのだろうと、今になって気付く。

 

今の私は、デザインができない。

周りには、たくさんできるやつがいる。

でも、だからなんだ。惨めな気持ちにしているのは、他でもない自分なのだ。

 

7月に、師匠と京都天狼院でワークショップを開催することになった。

お願いするのにめちゃくちゃ勇気が必要で、祈るように企画書を書いた。

打ち合わせで久しぶりにまともな会話をした。フライヤーも相変わらず文字だけなのにかっこよかった。

やっぱり。やっぱりこの人は私にとって、師匠みたいなもんなんだなあと思う。

 

スキルを教えてくれるだけの先生とは違う。

この人みたいになりたいと、そう思わせてくれる。

 

今度は、デザインへの視点を変えながら、作品を作ろう。行為だってデザインなのだ。

そしてどんなにダサくても、作り始めた作品は、最後まで作ろう。

ちゃんとこれが私の作品だと、胸をはろう。

いつか師匠に「もうお前の作品で直す所はない」と言われるその日まで。


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