チーム天狼院

新社会人に「働くのってすごい楽しいよ」ってなんで誰も言ってあげないの?《川代ノート》


「新社会人」というワードがツイッターのトレンドに入っているのを見て、ああ新年度になったんだなと実感した。

今年の3月は本当に嵐のように過ぎていって、まだ4月になって5日しか経っていないというのに、もう随分遠い昔のように感じられる。
年度末、というと忙しく過ごしている人も多いと思うが、天狼院もそれは例外ではなく、毎日が戦争で、いかにして今日の戦いを乗り切るかということばかり考えていた。

ずっと頑張ってくれていた大学四年生スタッフ達が卒業していき、新しいメンバーが増えた。人の流れも変わっていくなかで、私は不安だった。私は少しでも変化できているのだろうかとか、少しは成長しているのだろうかとか、ちゃんと「大人」に近づけているのだろうかとか。そんなことばかり考えているうちに、4月になった。

驚くべきことに、私が社会に出てからもう丸3年が経ったらしい。天狼院に入ってからは2年だけれど、それでももう、世間的には社会人四年目だ。まあ、今年26になるのだから当たり前なのだが、自分が26になるという事実よりも、自分が社会人として3年を経験しているという事実のほうが、よっぽど信じられないと思った。はたしてこれは、本当のことなのだろうか。

2017年度一番最後の3月31日、飛鳥山公園でやったお花見で、新社会人になる大学四年生達の卒業式をやった。みんなそれぞれ、自分の行きたい道を見つけて大人になる。やりたいことをやるために、天狼院から飛び立っていく。中には、社員並みに天狼院に貢献してくれた子もいたが、そんな彼女達にももう日常的に会えなくなってしまう。人手が足りないとか、仕事が忙しくなるとか、そんなことよりもただ単純に、寂しいと思った。

でもまあいつまでも落ち込んではいられない。気持ちを新たにこの4月頑張ろうと、月曜日の朝、何気なくツイッターを開くと、トレンドに「新社会人」「新入社員」のワードが入っていた。ああ、そっか、と思った。今日から新社会人になる人がたくさんいるのだ。まだ慣れないスーツを着て、満員電車で窮屈な思いをしながらツイッターを見てそわそわしているのだろうかと思った。

私も大学を卒業したばかりの頃は、社会に出るのが本気で嫌というか、めちゃくちゃ怖かったなあと思いながら見ていると、「新社会人のみなさんへ」とか、「新入社員にこれだけは伝えておきたい」とか、そんなツイートがいくつも目に入ってきた。

ああ、働くことに関するアドバイス的なものが流行っているのか、と思いつつ、とくに意味もなく眺めていたら、妙な違和感に襲われた。

なんか、変。

単純に、誰も聞いてないのにアドバイスをしてくる上から目線なプライドの匂いにむせたというのもあるが、それ以上に、すごく、すごく「変だ」と思った。「違う」と思った。なんか、自分が予想してたのと違う、と思った。

自分が求めている言葉を探した。でも見当たらなかった。
何万リツイートもされている140文字に、まったく共感できなくて辛くなった。
なんだ、これは。
どういうことなんだ。

なんでこの人たちみんな、「働くのは辛いこと」だっていうの前提で、話進めてるの?

それが、私の胸の中に湧いた、強烈な違和感だった。
だって、いくら探しても、出てくるツイートは「働くのが嫌になったらすぐに会社を辞めろ」とか、「ちゃんと休みを取れ」とか、「無理をするな」とか、そういう言葉ばかりだったからだ。

私が想像してた、「新社会人へ」と、全然違う。

きっと、一番になりたいなら誰よりも努力しろとか、1年目はきついかもしれないけどがんばれとか、こうしたら働くのは楽しくなるとか、そういうことが書いてあると思っていたのだ。

なのに、出てくるものはほとんど、働くことは全然楽しくなくて、働いている時間は全部無駄で、プライベートを充実させるために「耐える」時間でしかないというような趣旨のものだった。ポジティブなものは見当たらなかった。「逃げろ」とか「辞めてもいい」とか「3年は耐えろなんて嘘」とか、そういうのばかりだった。

いや、わかる。辛い仕事があるのはわかる。
ブラック企業で、社員を追い詰めるひどい会社があるのもわかる。パワハラやセクハラで追い詰められてしまう人がいるのもわかる。
実際、私の友人でも仕事があまりにきつすぎてやむをえず休職した子がいた。私の親戚にも、働きすぎて精神的におかしくなった人もいた。生理が止まった人もいた。

そうだ。その通りだ。無理して働いたら自分のためにならないし、自殺したいほど辛いのなら、すぐに仕事を辞めるべきだと思う。プライベートの時間を有意義にし、家族を大切にして生きる。それがいいと思う。

いや、わかるよ。わかるけど。

わかるけど、でも、「仕事が辛くなったら辞めればいい」っていうのと、「頑張って仕事しなくてもいい」っていうのは、違うんじゃないの?

そう思ってしまったのだ。
なんだか、「ブラック企業に人生を潰されるくらいならすぐに逃げたほうがいい」という正論の裏に、「頑張りたくない」という本音が見え隠れしているような気がした。

言っていることは全部正論だし、そういう言葉に励まされる人がいるのも理解出来るのだけど。
でも、なんか、なんだろう。

一人くらい、働くのってめちゃくちゃ楽しいよって、最高だよ、よかったね、やっと社会人だよおめでとうって、言ってあげる人、いないの?

そう思った。それはもう、強烈な主張だった。私の心の奥底から出てくる、紛れもない主張だった。世間の風潮に対する、とても強い反抗心だった。

働くのは辛いし、きついし、死にたくなることも自信をなくすことも、悔しくて涙が溢れてきてしょうがないときももちろんあるけど、それでもそれだけがむしゃらに頑張れたときの喜びっていうのは、何にも変えられないものなんだって、誰か言ってあげればいいのに。

言って。
言ってよ。
誰か言って。
じゃないとなんだか、私のほうが辛くなってくる。

私はもしかしてこれからずっと、「仕事はつまらないもの」「なるべく働かずに生きていけるほうがいい」という風潮の世の中で生きていかなければならないのか。
それってきついな。すごくきついなと、そう思ってしまう。

私が働いている天狼院書店は、ベンチャー企業だ。
新しいことをいろいろとやっていかなければならないから、予想外のこともたくさん起きる。無茶なことを言われることもあるし、自分の能力の限界値を突破しなければならない状況にいつも追い込まれている。

この社会人になってからの3年間は、本当にきつかった。
いや、今でもきつい。死ぬほどきつい。

不安になって寝れないこともあるし、大失敗した夢を見ることも多い。心が休まることはないし、遊ぶ機会も格段に減った。飲み会にもカラオケにもディズニーランドにも旅行にもしばらく行っていない。
高すぎる目標に対して実力が足りていない事実に泣きたくなるし、悔しいし、自分なんてここにいる意味あるのだろうかとも思う。

親にも心配され、そんなに働いてどうするんだとか、結婚はとか、貯金してるのかとか。
耳に入ってくるのは友達の結婚や出産の幸せな報告ばかりで、みんな「ちゃんとした人生」を着々と歩んでいるのに、私は仕事しかしてなくて、プライベートの楽しみとか、そんなのなくて。おそらく周りから見れば、私は「社畜」というやつなんだろうと思う。
このままでいいのかなぁ、と思うことは何度も何度もあるけれど。

でもそれでも私はやっぱり、社会人になってよかったと、そう思う。
もしも今、大学生に戻っていい権利を神様から与えられたとしても、頼むから勘弁してください、このままここで働かせてくださいと言うだろう。

きついことばかりだし、泣いて悔しくて、本気で辛くなることもたくさんあるけれど、やりたくないことをやらなきゃいけないことだって、いくらでもあるけれど。

でもその苦しみを乗り越えた先にしか得られない面白さや楽しさがあるんだろうなと、3年経ってようやく、予感できるようになってきたからだ。

「とりあえず3年頑張れ」だなんて言葉信じていなかった。別に嫌になったらいつでもやめればいいし、しんどいのを耐えてまで頑張らなくても良いと思っていた。
今だって「とりあえず3年」が誰にでも当てはまるわけじゃないと思っている。自殺したいくらいならやめればいい。会社の向き不向きだってあるし、別に3年続かなかったくらいでその人の価値が決まるわけじゃない。

だけどその一方で、やっぱり「続ける」ことでしか見えてこない景色があるのも、事実なのだ。

「出産ってね、不思議なんだよ。死ぬほど辛くてきついけど、終わった瞬間にはもう忘れてるの。あーもう一人産みたいって思ったなぁ」

続けることがどうしても辛くなったとき、諦めそうになったとき、私はいつも、母が私を産んだときの話を思い出すことにしている。

「私の場合は悪阻もひどくて、10ヶ月間すごく気持ち悪かったし、陣痛も信じられないくらいきつかったけど、でも産んだ瞬間にはそんなのどうでもよくなるんだよね。子供に会えた喜びが大きすぎて、そのときの苦労なんか忘れちゃうんだよね。不思議だけど」

別に、出産と仕事が同じとは限らない。
世の中の大人に比べたら私は社会人経験も浅いし、出産をしたこともない。
だから、新社会人の人たちに「絶対こうした方がいいよ」なんて語れる言葉もない。

だけど、私は私のために、信じることにしている。

「続ける」ことでしか、見えない世界があるのだと。得られない喜びがあるのだと。
仕事の「本当の面白さ」や「楽しさ」というのは、ある一定期間ちゃんと、上を目指して頑張り続けないと見えてこないものなのだと。

そう信じている方が、私が楽しいからだ。
私が嬉しいからだ。

たとえその「瞬間」が苦しくても、それを乗り越えて手に入れる面白さというのは、なにものにも変えられないものだ。

人の役に立てているという喜びを得られることがないまま、「頑張らなくてもいいや」と簡単に決めつけてしまうのは、あまりにもったいないなあ、と私は思う。

仕事は面白い。
辛いけど、面白い。
必死で頑張ってがむしゃらにやっている私、かっこいいじゃん、愛してるぞ、なんて、自分で褒めてあげたりして。

そんな風に、自分と向き合いながら頑張る。続ける。「生きてるなあ」という実感が湧いてくる。

そういう自分が、私は好きだ。
働くことが好きな自分が、私は好きだ。

それでいいじゃんと思う。社畜と言われようと、もっとプライベートを大事にと言われようと、搾取されてるよ、と言われようと。
働くのってめちゃくちゃ楽しいよ、最高だよ、生きるって、こういうことだよ。

私がそう確信できるようになったのは、この3年間があったからだ。

これからは、もっともっと、多くの出来事が待ち構えている。
私は今年度もまた死にたくなり、誰とも会いたくなくなり、もうこんな仕事辞めてやると泣き叫ぶだろう。

でも、そうやってぐちゃぐちゃしながらでも、「続ける」ことさえできていれば、私はきっと、新しい世界が見えるようになるだろう。
だから、大丈夫。
きっと大丈夫。

どんな大波がきても、乗り切れる。
だって私は、めちゃくちゃ怒涛だったこの3年間も乗り切れた人間なんだから。

さあ、2018年度。
新しい勝負を、始めよう。

 

 

 

 

 

*この記事は、人生を変える「ライティング・ゼミ《ライトコース》」講師でもあるライターの川代が書いたものです。
「ライティング・ゼミ」のメンバーになると、一般の方でも記事を寄稿していただき、編集部のOKが出ればWEB天狼院書店の記事として掲載することができます。

http://tenro-in.com/zemi/47691

http://tenro-in.com/zemi/47103

 

❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。
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2018-04-05 | Posted in チーム天狼院, 川代ノート, 記事

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