運動会マジックにかけられて
*この記事は、「ライティング・ゼミ プロフェッショナル」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:田中望美(チーム天狼院)
懐かしい曲を聴いた。
自然と歌詞を口ずさんでいた。隅から隅まで歌えるのだ。
6年前に聞いていた曲なのに、久しぶりに聴いてもこんなに覚えてるなんて、自分でも驚いていた。
無邪気さと切なさをあわせ持ったその声とユーモラスな歌詞に耳を澄ますと、この曲をハマって聴いていた頃の自分を思い出す。
キュッと胸が締まるように切なくてときめいて、でも後味は爽やかで。
ものすごく懐かしい曲なのに、こんな感覚まで思い出せるなんて、
思い出って案外、色褪せないものなのか。
「青ブロックの応コン長と副応コン長、体育祭がきっかけで付き合い始めたらしいよ」
「へ~。やば。運動会マジックやね」
自分たちが最後の体育祭を迎えた年、そう私に言ってきた友人がいた。
運動会マジック。いわゆる、体育祭という特別な行事で、普段見ない姿や空気感から、普通は何にも感じない人がかっこよく見えてしまうことだ。この他、文化祭マジックとかもある。
しかし、その時の私は冷静だった。運動会マジックで付き合うのは、まあ、ロマンはあるが、でも、運動会 マジックで付き合い始めましたなんていうのは、若気の至りみたいでちょっと恥ずかしい気もしたのだ。それに、滅多なことがないと両思いになれないと、高校2年間を過ごしてきて分かっていた。ちなみに、「応コン」とは応援コンテストの略で、教育テレビなどででよく見られる、パネルで色んな絵をつくる競技だ。ブロック全員でスタンドに座り、一人一つずつ赤・青・黄色のパネルを音楽に乗せてめくる。その独創性や完成度を競う、一大競技なのである。
「ね。でも、運動会マジックで付き合う人って、結構すぐ別れるらしいよ」
そう言い残していった友人の姿を見て、やっぱり、運動会 マジックなんて私には関係のないことだし、ただのノリみたいなものなのだと思っていた。
「よろしく」
「うん。よろしく」
私は高校時代最後の運動会で、チア長という役割を担った。去年もチアリーディングをやっていたし、私の高校では、ダンス部がチア長になるという、暗黙の了解的な伝統があった。だから、もちろん他のブロックのチア長もダンス部で、当時ダンス部だった私は、チア長に立候補したのだ。
チア長は、応援団長とよく連携を取らなければならない。練習場所の確保や部員への指導。毎週のように行われている会議では、反省とこれからの戦略を話し合っていた。
私は、当時自意識過剰なのか、単に苦手だったのかわからないが、男子としゃべることが滅多になく、女子とばっかり戯れていたので、団長との急な密な関わりが、最初はぎこちなかった。
けれど、だんだんと時間が過ぎて、体育祭へ向けての完成度が高まり、チームの団結力も固まってくると、そのぎこちなさもだんだんと取れ、仲も深まっていった。
そんな私が自分の気持ちに気がついたのは、本当に何気ない瞬間だった。
いつもは業務連絡があるときにしか喋らなかった私たちが、はじめて二人だけで他愛もない会話をした時である。何でもない会話をして、笑い合う。しかも、男の子と。のどが少しくすぐったい思いだった。けれど、嫌じゃなかったし、むしろ新鮮でとても嬉しかった。そう思った時に、勘付いてしまったのだ。もしかして、コレって……と。
だからといって、何もすることのできない私は、そんなドギマギした気持ちを抱えながら、体育祭本番を迎えた。やっぱり、時間をかけて、ぶつかったり大変な思いをしながらも、チームで頑張ってきて迎えた最後の夏なのだ。気合が入らないワケがない。その時はピンとこなかったけれど、先生たちも言っていた。こんな気持ちで、この経験ができるのも、今しかないんだよ、だからとことん全力でやれ。ここで頑張った経験やできた仲間が絶対将来のためになるから、と。今なら分かる。あの時の私たちは、ものすごく青々としていたんだな。
結果、優勝はできなかったけれど、私の高校最後の夏に悔いはなかった。
体育祭後の打ち上げをどうせだから、というよくわからない理由で、チアと応援団のみんなでしようということになった。その時は何もなかった。
けれど、打ち上げが終わった後、団長から電話がかかってきた。何かあったときのために、とケータイの連絡先を交換していたのだ。もちろん、今まで使われることはなかった。
私はドキッとした。心臓に悪いよ、と言いたかった。同時に、電話をとるのが怖くもあった。
「もしもし……」
「もしもし」
お互いが緊張しているのが分かった。それでもそのまま会話は続く。
「今日はお疲れ様。楽しかったね」
「そうだね。焼肉美味しかった! みんな練習と本番で声出しすぎて声枯れてたけど(笑)」
「ほんとやね」
少し話せばいつもどおりに笑っていた。
「本当は打ち上げの時に云おうと思ったんだけど……」
その電話で告白を受けた私は、涙目になりながら、心拍数を必死でこらえながら彼の思いを受け止めた。こんな気持ち、はじめてだった。
まさか相手が自分のことを好きで、しかも告白してくれるなんて思わなかったのだ。それからの私の口癖は、「人生何が起こるかわからない」だった。
まさか団長を好きになるなんて思わなかったし、告白されるなんて思わなかったし、一番はまさか自分が「体育祭マジック」にかかるなんて思わなかった。
不思議だった。
もし私がチア長になっていなかったら、相手が団長になっていなかったら。
普通にありえることなのだ。
実際に、もう一人、同じブロックのチアの子にダンス部がいた。その子が副チア長をしてくれていたのだが、お互いギリギリまでどちらが長をするのか迷っていたのだ。私もその子ももともと「長」というタイプのキャラじゃなかった。結局、私がすることになったという感じだった。
そう考えると、恋が成就することがものすごいことに思えてならないのだ。もし私が副チア長になっていたら、団長との接点はまったくなかっただろうし、私じゃなくもうひとりのダンス部のあの子が恋に落ちていたかもしれない。本当に本気で思った。もちろん、良い意味で「人生何が起こるかわからない」と。
付き合い始めて、
彼といつも話していた公園。爆笑した帰り道。一つを分け合ったパフェ。お祭り。別の教室で一緒に食べたお弁当。
これも、想いを伝えあっていなかったら起こり得なかったことだ。初々しくてドギマギして、でも嫌じゃないこんな気持ちを経験することはなかった。
この高校を受験していなかったら彼と出会うこと自体なかったのだし。この高校を受験するきっかけであるダンス部の公演を観に行っていなければ、もちろん出会えるはずはなかった。
本当にすごいと思う。これを運命というのか、ただの偶然なのか。
よくわからないけれど、やっぱり思う。人生、どこでどう誰と繋がったり、ものすごいを経験するか分からないのだ。
そんな風に、別に特別な高校生でも何もなかったけれど、人並みに恋をしていろんな気持ちを経験することができてよかったなと、心から思う。
その青春時代にいつも聴いて、キュ~ンとくる思いに浸っていたのが、最初に話したあの曲だった。
繊細で甘酸っぱいその曲は、当時みんなが歌っていた。カラオケでは必ず一人一回は彼女の曲を歌うくらい、流行っていた。
音楽に思い出をのせる、とはこういうことなのかもしれない。とんだマジックにかかってしまったようだ。
だから、恋をすると、いつも思ってしまう。
それが実った時はもっと思ってしまう。
人生何が起こるかわからないのだから、もっと好き勝手に生きてもいいのかもしれないなと。
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