チーム天狼院

【“人生”というステージの上で】私がダンスを通じて学んだこと《スタッフ海鈴の独り言》

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暗闇の中、私はひとつ大きく息をついて、高鳴る鼓動を落ち着かせる。向こう側に、人のいる気配がする。
手足の先まで神経を研ぎ澄ませ、静止する。自分の中で、スイッチが切り替わるのが分かる。私は、私でありながら、いつもの私ではなくなっていく。

突然、まぶしい光とともに、音楽が耳に飛び込んでくる。その瞬間、身体に染みついた感覚が、考える間もなく私を操っていく。その感覚に、身体が支配されていく。支配されているはずなのに、私は、本当の私でいることができる、そう感じる。この瞬間から、私は、世界中で一番輝く存在になるのだ。




天狼院スタッフの海鈴です。

私は、小学1年生の終わりから大学進学のために上京するまで、地元でジャズダンスのスタジオに通っていました。もともと母親がそのダンススタジオに通っており、私もやってみようかな、と思ったことが、ジャズダンスを始めたきっかけでした。

さて、ジャズダンスとは何ぞや、とおっしゃる方もいらっしゃるかと思います。
ジャズダンスはもともと、バレエの要素を取り入れた、20世紀初頭にジャズの音楽と共に踊られるようになった踊りです。現代では、様々なジャンルの影響を受け、表現の自由度が高くなっており、ジャズダンスを一概に定義することは難しくなっているようです。
ちなみに、私が踊っていたスタイルは、近いところとしてはミュージカルや、ディズニーランドのバックダンサーが踊っているような、身体全体を使って喜怒哀楽を表現するエンターテインメント性のあるものだと思っていただければ、イメージしやすいと思います。

こんな風に、これまで生きてきた時間の多くをダンスが占めているため、私の日常であちらこちらにダンスの要素が顔を出すようになりました。外出中、例えば人気のアーティストが踊るヒットナンバーがかかれば、自然と身体が振り付けを踊りだしそうになるのを、必死にこらえたり。お気に入りの音楽を聴きながら歩いていれば、勝手に身体がリズムを刻みステップを踏みそうになるのを、ちょっとごまかしながら歩いてみたり。日常には、引き金となる要素が多いので、傍から見た時に危ない人にならないよう気を付けています。


どうして、私がこれほどまでに、ダンスにのめり込んだのか。

実は、私がダンスを始めたばかりの頃は、ダンススタジオに通っていることを周りの友達に言いたくありませんでした。小学校では周りにダンスをやっている子が少なかったですし、何より、学校で日常を過ごしている自分と、ステージ上で派手な衣装に身を包み、普段は絶対しないような舞台用の濃いメイクをしてダンスを踊っている時の自分とが、あまりにもかけ離れているような気がして、見られるのがすごく恥ずかしかったのです。そう思っているうちは、ステージ上でもどこか遠慮していて、どちらかというと「踊らされている」といっても過言ではなかったと思います。

意識が変わったのは、小学校3年生の頃でした。
ダンスを始めて1年以上が過ぎました。しかし、私のポジションは、私より早くスタジオに通い始めた子よりいつも後ろ側。もともと負けず嫌いだった私の中に、ステージ上で一番輝きたい、センターで踊りたい。そういう思いが、ふつふつと湧き上がってきました。

そのためには、ただステージ上で揺れていればよいのではない。自分の身体のありとあらゆる可能性を駆使することで、最高の表現ができるのだ、と気づいたのです。それから、一曲の踊りにかける集中度やキレの感覚が、180度変わったのを鮮明に覚えています。

全身を千切れるまでに大きく使い、さらに一つ一つの身体のパーツの隅々まで意識を行き渡らせ、踊る。
これが、自分を表現するということか、と。


ダンスをやっていて気づいた、私が愛してやまない瞬間があります。

それは、曲が始まる前、最初のポーズを取って静止し、曲がかかるまでの、神経を最大限に研ぎ澄ましている瞬間です。

それまで周りと喋っていたり、ふざけ合ったりしているのに、先生が「曲かけるよ」と合図をした瞬間、ダンサーの表情がすっと一瞬にして変わるのです。まるで全員がスイッチを入れられたみたいに、別人の顔に。いや、別人ではなく、その表情が、その人本来の姿だと言えるのかもしれません。この瞬間の眼差しに、一人の人間から、ただの一匹の動物に戻る何か野性的なものを感じられずにはいられません。普段おだやかな人であればあるほど、スイッチが入った時の変わり様に驚きます(そのギャップがこれまたたまらないのです)。

そして、曲のイントロが流れ、最初の動作に差し掛かるまでの、あの何とも言えない、じりじりとした高揚感。振りが始まってしまえば、あとはそれに身を任せればいいだけなのですが、その瞬間までのポーズが最高なのです。ステージ上の照明や、身体を震わす音響の臨場感も加わって、まるで、ジェットコースターで急降下する直前のような感覚です。




ダンスをずっとやってきて、身体が思うように動かせず振り付けの表現を出し切れなかったり、また、なかなかセンターになることができなかったりと、悔しいこともありました。けれど、そういった痛みも含め、私は踊ることを愛しています。


理由は簡単です。
ステージに立っているその間、私は、普段なかなか表に出すことのできない、本当の、剥き出しの自分を表現することができるからです。一瞬たりとも、誰にも邪魔されることなく。

ステージの上では、余計な思考やしがらみは一切要りません。感覚に身を任せ、ただ思うままに、本能のままに、自分が自分であり続けることができます。そしてその表現は、私の感性に基づいた、私にしか成し得ないものなのです。
そうして私は、いつも、自分は生きている、と感じることができるのです。


「自分」を表現する方法は、もちろんダンスだけではありません。
それは人によっては、例えば絵を描くことだったり、生き方に対するこだわりだったりするかもしれません。

ただひとつ言えるのは、アウトプットがどのような形であれ、その人の表現方法は、その人にしか成し得ないものであるということ。

そして、自分を表現すればするほど、その人唯一の価値がどんどん磨かれていくのだと思います。


たとえそれが実際のステージの上ではなくとも、私の人生の主人公は、いつも私。私の人生というステージの上では、私が間違いなく一番輝いています。曲は流れ続け、そのパフォーマンスは誰にも邪魔されることはないのです。私はそう信じています。


あなたは、あなただけの「人生」というステージの上で、どんな風に、自分を表現しますか。

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