【教えてください社会人のみなさん!】文学部の勉強って、本当に社会の役にたたないんですか?《三宅のはんなり京だより》
画像:RyanHickoxPhotography
最近、就活やらなんやらをかじりつつ、卒論についてぼやぼや考え始めて、思うことがあります。
アカデミックの世界とビジネスの世界って、けっこう切り離されてるんですね!!!!!
……とか叫んでおいたところで、どうも、京都の三宅です。そろそろ秋ですね。大学生活半分以上終わったんだと思うと泣けてきます。
さて、「勉強が好き」って言うとどこのガリ勉やねん!ってツッコまれそうですが、
とりあえず勉強が好きです。なにかを知るのが好き。
まぁテスト勉強や宿題は大嫌いですけどね!やらなきゃいけないと思うとやりたくなくなるのは人間の性です。
しかし、私が特に好きな学問分野は、文学やら歴史やら哲学やら、よく「社会で役に立たない」と言われます。「それ、勉強して社会で何の役に立つの??」って。
実際、インターンシップやらなんやらを通して、文学部生である自分に対して「あービジネス感覚とゆーもんが全くないな私……」と思いましたし、
インターン先で出会った友達は、大学でビジネスコンテストに挑戦してたり学生団体で社会人と関わってたり、「ビジネス」寄りの活動に精を出してる子が多い印象でした。あくまで印象ですが。
たしかに、アカデミックの世界で活躍する教授たちを見ていると、何となく社会から乖離して研究に没頭してる気がします。イッツマイワールド全開。
反対に、ビジネスの世界で活躍するであろう友達を見てみると、そんなにアカデミックな探求に精を出さずに、早いとこ社会で役立ちそうなことを勉強してるように思えます。
でも、ビジネスの世界で活躍する大人って、私に見える範囲でとても限られているので、この天狼院のページを見て下さる大人の方々や周りにいる学生の皆さんに、聞いてみたいのです。
大学で展開する「アカデミック」の世界と、企業で働く際の「ビジネス」の世界って、まったく別物なんでしょうか!?と。
アカデミックの世界と、ビジネスの世界というのは、けっこう分断されているのでしょうか。
といってもまぁ私はアカデミックにもビジネスにもほとんど足を踏み入れてない学部3回生のぺーぺーなので、まずは経験してみろよって一蹴されそうですが。
私は、アカデミックの世界というのは、このカオスな世界を、少しでも秩序立てようとしたり、人間の考えられる法則の中に組み込もうとしたりする試みだと思っています。
私が勉強を好きだって言うのは、
たぶん、ちょっとでもたくさんの世界を知れるから、なのです。
世界の本質とか真理とか不変なものとか、逆に多様性とか全然知らない見方とか違う側面を、私は知りたい。それらに触りたい。
「知らないことを知るって楽しい~」なんて言うと何だか白々しいかもしれませんが、
私の場合は、「世界が系統立てられてる!」とか「全然法則ないと思ってたものに法則がある!」とか「むしろこう解釈できる!」とか「そんな考え方あったのかー!」とか「そんなことがあったのかー!」とか、そんなことを感じる瞬間に快感を覚えるのです。
一方ビジネスの世界というのは、今の「人間の世界」である「社会」を、お金を使って動かす仕組みなのだと思います。
まぁ資本主義が危うくなる時がいつか来る気はしますが、私が生きてるうちは、お金のやり取りをベースとした共同体にみんな属してるのではないでしょうか。
みんながどこにお金を払うのかとか、どこにお金の流れを作るのかとか、そういう原理を実践しながらみんなが試行錯誤して社会はまわっているんだろうなって思います。
でも、お金で回る社会だって世界の一部だし、それらを切り離すことはできないはずです。
だとすれば、アカデミックもビジネスもほんとは同じ「世界」の中にあるはずのものなのに、同じ「世界とか自分を何とかしようとする」人間の試みであるはずなのに、なんとなく分断されてる気がするのは、なぜなんでしょう。
もちろん、ビジネスと呼応して展開する学問分野はたくさんありますし、そこでは企業に研究者がたくさんいる形になります。
だけど、そうじゃなくて、文学や歴史といった一見「ビジネスに関係ない」学問分野というのは、本当にビジネスと関係がないのでしょうか。
個人のレベルで「知ってて損はない」とか「人間力の成長」とかよりももっと根本的なところで、大きな分野として、つながってたりしないのでしょうか。
だって、高校までの勉強って「社会の役に立つ」みたいなことを言われながら教えられてきたのに。いつから勉強と社会が分断されたんでしょう。
いえ、ほんとは分断されているものではないのかもしれませんが、
アカデミックの世界を知らずにビジネスの世界は謳歌できるし、ビジネスの世界を知らなくてもアカデミックの世界は謳歌できる。
専門性を持とうとしたら、どちらか一方になってしまう。気がする。
要するに、ほんとはどっちもつながってるんじゃないの~~!?!文学部で学んだ学問たちはほんとにビジネスの世界で生きてくには役に立たないの~~~!?!?と、私は思ってしまうのです。
もちろん、「リベラルアーツ」と呼ばれる「教養」が今からのビジネスマンには必要だーと言われていることは知っています。
そりゃシェイクスピアの一節を知ってた方がイギリスのひとと喋りやすいでしょうし、南北戦争の歴史を知っておいた方がアメリカのひとをより理解できるとは思います。
でもなんとなく、そういう「知ってる知らない」「知識」の問題じゃなくて、「学問」として勉強することって、ビジネスと全然関係ないのかなぁ……と私はしょんぼりしてしまうのです。
世界の本質って、アカデミックの側面から見てもビジネスの側面から見ても、変わらないはずです。
私はできればどっちも謳歌したいのに。なんかものすごく細分化されてる気がする。
「教養はあったらいいよね」とかいう話じゃなくて、「学問を勉強すること」は「ビジネスの世界で活躍すること」に貢献するんだろうか?それがむすびつくとしたら個人のレベル(それこそ教養や知識が仕事する上で役に立つ、みたいな)でしかないんだろうか??最近ものすごく疑問に思うのです。
「日本の大学は大学生に勉強させなくてうんたらかんたら」という批判も、ここが原因なんじゃないかと個人的に思います。
大学での学問探求と、ビジネスの世界で成功する就活生の育成(成功する就活生と成功するビジネスマンの因果関係のお話は置いときます)は、今の日本においては別物なことが多いです。
大学生が起業して、ビジネスの世界を先取りすることも、学問探求で培われる能力があんまり必要とされてないから賞賛されるのでしょう。もちろんそのバイタリティとか頭の回転の速さってすごいなぁと私も思いますが。
研究者を目指さない人にとって、大学で勉強する意味が「知的好奇心」だけを拠り所にしているとすれば、まぁそりゃ勉強する人は限られると思います。勉強好きとか言ってる割に私も全っ然勉強できてないですし。うう。
私が文学部に来たのは「大学で好きな勉強しないでいつするのー!!」って思ったからですし、「今やってる勉強は社会に役に立たないのぷんすか!」とか今更思ったりはしませんが、
勉強すればするほど、社会人が近づけば近づくほど、「この今やってる勉強ってほんとに社会から分断されてんのかなーそう考えちゃっていいのかなーー」なんて疑問を持ったりしてしまうのです。
この話にオチなどなく(ここまで読んでもらったのにすみません)、どうなんですかねえという話で終わってしまうのですが。
まぁ結局はどっちにしろ自分が好きなことやってみて、どっちも吸収してけば、自分という一個体に収束されて、相関しあうものなんでしょうか……??
と、一大学生のうちに、大人の方々にちょっと聞いてみたかったのでした。
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