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チーム天狼院

小学生の頃、スクールカーストで最底辺だった記憶から学んだこと 《川代ノート・『READING LIFE』予約受付中》



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心に残っている幼少期の記憶は? ときかれると、正直言ってあまりいい思い出はない。

両親とともにディズニーランドに行った。お正月に親戚で集まってみんなで羽根つきをした。いとこと押入れの壁にクレヨンで落書きをして、おばあちゃんに怒られた。
そんな家族の思い出はいくらでも浮かぶのだけれど、友達との思い出は極端に少ない。私は、友達を作るのが下手くそな子供だった。

小学校はお金持ちが多く集まる私立に入った。といっても別に私の家が裕福だったというわけではない。私が通っていた幼稚園の付属の小学校に、仲の良い友達がみんな入学するというので、どうしてもみんなと同じ小学校に入りたいと私が両親にだだを捏ねたのだ。私立の小学校の授業料は家計に大きく影響を与えると幼い私は知らなかった。輝きに満ちた目でお願いをする私に、両親はとうとう折れるしかなかった。

幼稚園までは友達がたくさんいた。どちらかといえば、人気者タイプと言ってもいいくらいだった。学芸会の演劇では、担任の先生に推薦されて不思議の国のアリスの主演でアリス役を熱演した。その頃には大の仲良しもいて、いつもお花摘みをしたり絵を描いたりおままごとをして遊んだ。でもその親友は、家の近所の別の小学校に入ると言って、幼稚園卒業以来、年賀状を送り合うだけの仲になった。

小学校に入ると、私の生活は一変した。今まで通りには行かなくなった。どういうわけか、友達をうまく作れなくなっていた。みんな色んな場所から電車に乗って小学校に通っている子ばかりだったので、いわゆる近所の友達というのがひとりもいなかった。近くに住んでいる子供はほとんどが地元の公立小学校の子だった。帰り道、私服に赤いランドセルを背負って、みんなで連れ立って帰る地元の小学生たちを横目に、大きな校章の入った制服に、暗い色のランドセルで一人足早に帰っていた。気がつくと、他の学校の子どもたちを見ると、その道を避けて帰る癖がついた。遠回りをしてでも、あの子たちに出くわしたくはなかった。

学校でも居場所はなかった。小学校というのは実に残酷な世界で、見た目と体力がほとんどすべてと言っても過言ではない、実力主義の社会である。見た目がよくて運動が出来る子はほぼ100%の確率で、クラスのリーダー格になることが許される。本能的に美醜を判断する能力が見についているのか、可愛い子、かっこいい子は無条件に愛され、敬われる。そしてそんなカリスマ性を持った子供にうまく取り入る子供もまた、存在する。こうしてどんどん取り巻きが増えていき、その中心から遠ざかれば遠ざかるほど、スクールカーストにおいては下位に置かれ、みんなから見下される存在となるのだ。

勉強が出来たって、そんなものはスクールカーストにおいてはなんの役にも立ちはしなかった。成績の良さなど、ただのオプションにすぎない。見た目よし、運動神経よしの子に備われば鬼に金棒だが、単に頭がいいだけでは上に立つことは出来ない。ただの人間に金棒を与えたところで、重みに耐えきれずにずるずると引きずるしかないのだ。

「川代さん」。私が小学校にいた期間ほぼずっと、誰からもそう呼ばれていたのは、私が委員長キャラだったから、という理由だけではなかった。ニックネームというのはときに想像以上に大きな影響をもたらすのだ。私にとって、それは単なる名前ではなかった。それは立場だった。「川代さん」と呼ばれることによって、私は孤独に追いやられて行った。川代、でもなく、さきちゃん、でもなく、さき、でもなく。大人から見れば大したことではないかもしれないが、苗字にさん付けで呼ばれるというのは、小学生にとっては重大な問題だった。驚くほど狭い世界なのだ。学校での立場イコール社会の立場だった。単なる被害妄想に過ぎなかったのかもしれないが、当時の私には、苦痛だったのだ。どうして誰も、みんなみたいにニックネームで呼んでくれないんだろう、と思った。それはまるでお前は輪の中に入ることを許されていないのだと暗に示されているように感じた。おかげで私は今でも、「川代さん」と呼ばれることに少し抵抗がある。

高学年になると、ようやく仲のいい友達を作ることが出来た。漫画クラブに入って、「りぼん」に載っているような少女漫画を描いたり、絵を描いたりして遊んだ。友達は私と同じく、体力のあまりない子が多かったけれど、ときどきドロケイやかくれんぼをして遊ぶこともあった。やっと自分の居場所を見つけたと思った。

けれどやはり、そのクラスの子供達にとって、漫画クラブというのは見下すべき存在であった。あるいは大人しく、いつも机に集まって絵を描いている私たちが、旗から見れば気持ち悪かったのかもしれない。いずれにせよ、輪の中心に占拠する彼らは、覚えたての「オタク」という言葉を存分に使って、私たちを馬鹿にした。彼らの、汚いものを見るような目を今でもありありと思い出すことが出来る。不快だった。怖かった。寂しかった。自分だってそちら側にいきたいと思った。その頃の私に、そんな汚いやつらの仲間になるくらいなら、一人で居る方がマシ、なんて思えるほどの気概はなかった。ただ、幼心に、社会には上と下があるのだということを悟った。

そんなわけで、あまりいい思い出のないまま、小学校を卒業した。
同窓会には一度参加した。中学に入り、それまで抑圧されていたエネルギーが爆発したおかげで、私はギャルになっていた。そしてギャルの姿のまま同窓会に参加した。単純な思考で、彼らを見返してやりたい、と思っていたからだ。
結果は散々だった。多少親しくしていたかつての級友とは話しても、リーダー格の彼らとはほぼひとことも話さなかった。あのダサかった子がねえ、中学デビューってやつ? あんな派手な化粧しちゃって、ウケる。嘲笑の視線を痛いほど背中に感じた。どうしてわざわざこんなところに来たんだろう、と思った。

私はそこで決心した。自分はそれほど辛い思いをしてきたのだから、絶対に他人を見下し、区別することなどしない。自分がされて嫌なことは、絶対にしない。辛い経験を経た人間こそが、本当に思いやりのある人になれるのだ。
自分は正義の道を生きる。曲がったことは絶対にしない人間になる。

だがはたして本当に、そううまくいくだろうか。幼い頃の嫌な経験というのは、それほど簡単に好転するものだろうか。歪むことも、ひねくれることも無く。

いいえ、と言わざるを得ない。

恥ずかしながら告白するが、私は小学校を卒業したあと、人の悪口を言ったことがある。陰口を叩いたことがある。グループというもののなかで、人が排斥されているのに気がつきながらも、見て見ぬ振りをしたことがある。ウマが合わないからと、意図的に友人と距離をとろうとしたことがある。大人しく、友人が少ない人を見下したことがある。

自分がされて嫌だったという記憶があるにも関わらず、それと似たような仕打ちを他人にしたことがあるのだ。しかも私は、自分が忌み嫌っていた行為をしていることに気がついていなかった。悪いことをしている自覚がなかったのだ。自分流の正義を貫いた結果、そういうことになったと思い込んでいたのだ。自分は間違ってない、悪いのはあっち、と思っていた。そうやって他人に責任を押し付ける行為こそが、想像していた正義の道からは大きく外れていたことにも気が付かずに。

理性では確かに、私は自分が嫌な思いをしたのだから、他人には優しくしよう、平等に接しようと考えていた。だが心の奥底では、「自分だって上の立場に立てる人間になりたい、他人を見下したい、輪の中心になりたい」というどろどろとした醜い欲望を燻らせていたのだ。
自分があれだけ嫌な思いをしたのだから、他人を同じような嫌な目に合わせても罰は当たらないだろうと、勝手に相殺できると思っていたのかもしれない。

私の友人がこれを聞いたら、なんて嫌なやつだと思うだろうか。そんなやつとは友達でいたくないと思うだろうか。そう思われたとしても仕方ないと思う。私が最低なことをした人間だという事実は変わらない。

だが真実というのは、自分自身というのは、本当にわからないものである。私はこの21年間ずっと、自分は正義感の強い人間だと思って生きてきた。義理人情にも厚く、礼儀を重んじ、人との縁を大切にする人間だと。

だが実際はどうだ。こんなに醜い部分もあるのだということに目を瞑って、自分のいいところだけを掬い取っていただけだ。私は何もわかっていなかった。理想の自分はあくまで理想であって、それを本来の姿と思い込むことほど恐ろしいことはない。過剰評価するのは、卑屈になることよりも危険である。

私がもっとも恐ろしいと思うのは、自分がそんな非道徳的な行動・思考をしていたにも関わらず、堂々といじめや犯罪を批判していたことである。人の道を外れた行動をした者を思いっきり軽蔑していたことである。それは私自身は絶対に間違った道には行かないと信じ切っていた無知さによるものだ。

自分は正義感が強い人間であると強く信じている人間ほど、簡単に悪に溺れてしまう可能性があるのだ。

絶対的なものなど存在しない。ゲーデルが証明したように、絶対だと信じられていた数学にだって矛盾は存在する。今信じている自分像が本当の自分だとは限らないし、いつ変化が起こるかもわからないし、今正義だと言われているものが、明日には突然悪になる可能性だってある。

何が正しくて何が間違っているのかなんて、神様ですら知りようがないことかもしれない。
「嫌な人間だ」と内心で罵っていた相手が、本当は自分の写し鏡だったということもある。同族嫌悪だ。批判することによって、自分は違う人間だと安心したいだけという場合もある。
アンパンマンのような絶対的な正義などほぼ存在しないのだ。どんなに綺麗に見えても、醜い部分は存在する。誰だって、善の心と悪の心を持ち合わせたロールパンナだ。あるいはアンパンマンの変装をしたばいきんまんだ。
私たちはそんな矛盾を抱えながらも、それでも前を向いて生きていくしかない。何を信じていいのかわからないまま、確実なのは「わからない」「知りたい」というこの感情だけである。

だから私はこうして天狼院で働いているのかもしれない。様々な人と出会って、文章を書いて、もっと醜い部分や、心の奥の奥まで深く掘って行って、そうしてようやくたどり着ける自分自身が存在する。暗闇に光をさすような世界がある。はじめまして、とむき出しの自分に挨拶することが出来る。

その方法が仕事の人もいれば、スポーツに、趣味に、あるいは子育てや家事に見出す人だっているだろう。何かしらの行為を通して、人はより深い自分自身を知ることが出来るのだ。だからこそ頑張ることが出来るのだ。目の前に現れた課題をひとつひとつこなすことによって、自分をもっと深く知ることが出来る。

人のエネルギーの塊である、天狼院でも同じことである。
雑誌「READING LIFE」、劇団天狼院、天狼院LIVE、天狼院BOX、部活、ラボ。
他人からすれば、どうしてそこまでするのかというほど、挑戦的なことばかりする。誰もやったことのないようなものに手を出す。スタッフの私から見ても、わざわざそんなことしなくても、と思うようなことばかりやりたがる。天狼院ではいつも、祭囃子がきこえる。

馬鹿みたい、と思う人もいるかもしれないが、きっとこれが、天狼院が、あるいは店主三浦が、もっと深く自分を、そして世界を知るための行動なのだ。

天狼院は生き物みたいだ、とときどき思う。それは冗談なんかじゃなく、雑誌「READING LIFE」の編集作業にみんなが追われていたときは、溢れる熱量に耐えようと、天狼院というあの場所自体も頑張っているような気がしたし、お客様が少ない日は、少し寂しそうな表情をしていると思う。天狼院も、この一連の祭によって、自分自身を知ろうとしているのだ。自分の世界を広げようとしているのだ。

それならば私は、天狼院が飛んで行けるように、そして同時に私自身も飛んで行けるように、知りたいと思う気持ちを持ち続けたい。どんどん深みにはまっていきたい。「今」をもっと大きく動かして、「知りたい」をひとつひとつ無くしていき、そして同時に、新しい「知りたい」を増やし続けたい。

「これから発見することがたくさんあるってすてきだと思わない? もし、何もかも知っていることばかりだったら、半分も面白くないわ」と、赤毛のアンは言った。

それこそが人生の面白味というやつなのかもしれないと、小娘はふと思うのである。

 

【雑誌『READING LIFE』予約する際の注意と通信販売について】
雑誌『READING LIFE』編集長の三浦でございます。
 『READING LIFE』は3,000部作りますが、造りがかなり複雑になっていますので、最終工程は手作業となっております。それなので、発売日にお渡しできる分の数に限りがございます。確実に手に入れたい方はご予約をおすすめ致します。
また、万が一予約が殺到した場合、予約順でのお渡しとなりますのでご了承くださいませ。
店頭、お電話、メール、下の問い合わせフォーム、Facebookメッセージなど、あらゆる方法で予約受付致します。

 雑誌『READING LIFE創刊号』2,000円+税
11月8日(土)10時から発売開始・予約順のお渡し

今回は通信販売も同時に受付開始します。通販での受付も予約受付順の発送となります。PayPalでの決済完了時間が予約受付時間となります。
通信販売の場合、送料・手数料として500円別途頂きますが、その代わりに天狼院書店でご利用頂ける「コーヒーチケット(360円相当)」をおつけしますので、東京に来る際に、ぜひ、天狼院でご利用頂ければと思います。
通信販売分は、11月8日より、予約順に順次発送致します。

《通信販売》
雑誌『READING LIFE創刊号』2,000円+税
送料・手数料 500円(*360円相当コーヒーチケットつき)
11月8日(土)から予約順の発送




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