チーム天狼院

留学してから三か月、私を挫折から救ってくれたのは、小さなダイアモンドだった。《川代ノート》


言葉の宝石

広大なアメリカの土地で、私は孤独だった。

今まで育ってきた環境を断ち切って、味方のいない環境に身を投じて自分を試したいと、アメリカの田舎で暮らすようになってから三か月。私は行き場を無くして彷徨っていた。

逃げ場が無かった。何をどうすればいいのかわからない。私はどうすればいいの?どうやってこれから先、七か月も暮らせばいいの?何を頑張って生きて行けばいいの?一切の自信を失った瞬間がやってきた。それは人生で、初めての大きな挫折と言ってもよかったかもしれない。

私が留学していた大学は、州の中心街から車で一時間と少し。空港からはひたすら、東京の三倍はあるだろうだだっ広い道路と大豆畑が続く。留学先では授業を行う建物と学生寮がすべて同じ敷地内にあり、寮から大学までは徒歩一分、走れば三十秒。学校の周りには森と、住宅街と、スーパーと、うらぶれた品ぞろえの悪いレンタルビデオショップがぽつりとあるだけ。遊ぶところといえば、学校から車で二十分かかるボウリング場くらい。とにかく車が無ければどこにも行けないようなところなのだ。だから遊ぼうと思ったら学校にあるジムで運動するか、コーヒーショップでおしゃべりするくらいしかなかった。部屋から一歩外に出れば顔見知りに会うし、目が合えば必ず「Hi,what’s up」と挨拶しなければならない。部屋に一歩入ればルームメイトがいるし、「今日はどうだった?」なんて会話をする。どこに行っても人がいる。どこに行っても誰かに会う。一日に何度も会話をし、ジョークを言い合い、世間話をする。

日本にいたときの想い通りの、期待通りの生活がそこにはあった。常に英語にどっぷりとつかっている感覚。いつも周りには友達がいる。いつも努力する環境にある。刺激を受けて成長する。そんな憧れていたままの生活が手に入ったはずだった。

でもそれなのに、どれだけ人に囲まれても、どれだけ新しいことに挑戦していても、私は孤独だった。とてつもなく、孤独を感じていた。

周りには私と話してくれる人がたくさんいるのに、一人になる時間なんてひと時もなかったのに、私は寂しかった。自分の居場所がどこにもないように感じていた。

当たり前のことだけれど、自分で実際に行動して経験してみないことには、何もわからないし、知っているとは言えないのだと気が付いたからだ。

日本にいた頃、私は本当に無知だった。自分は特別な存在だと信じ切っていた。特に何も考えずに、自分には何かを成し遂げる力があるのだと未来に期待を膨らませ、英語が話せるようになり、外国人の友達に囲まれていかにもアメリカ的なキャンパスライフをエンジョイするだろうと思っていた。

同じように留学している日本人の仲間のうち誰よりも英語がうまくしゃべれるようになりたいと思ったし、誰よりも外国人の友達を多く作りたいと思った。毎日必死でパーティーに参加して、必死で英語を話して、必死で仲間に加わった。まわりを押しのけてでも。日本人同士でも英語で話そうとしたし、わからない英単語は細かく調べてノートにつけていた。英語でFacebookを更新した。毎日波に呑まれるように動きまわり、話し、勉強した。

私は頑張ってるの。こんなに一生懸命に頑張ってるの。いつも努力してるの。
こんなにがむしゃらになってる私、すごいでしょ。えらいでしょ。素敵でしょ。魅力的でしょ。

誰かに見ていてほしかった。「自分は頑張っているんだ」と実感したかった。

けれどふと、我に返った瞬間があった。留学して三か月たって、「外国で暮らしている」事実への緊張感もなくなった頃だった。
あれ?そういえば私、何のためにこんなに必死になっているんだろう。

自問自答した。

こうやって周りと張り合って英語を頑張るのって、楽しい?
どっちがより外国人の友達が多いかとか、どっちがよりアメリカの生活を楽しんでるかとか、そういうことを競って、何になるの?
留学が終わったとき、それでいったい、何が手に入るというんだろう。
ほら、これだけ頑張ったって、誰も私のことなんか見てやしないっていうのに。

その事実に気が付いたとき、私は絶望した。私は誰かに見せるために努力をしていたのだ。誰かに「頑張ってるね」と言ってほしいがための努力だった。
一番の目的は、人に褒めてもらうことだった。だから、努力する対象なんて、正直なんでもよかったのだ。留学じゃなくてもよかった。英語じゃなくてもよかった。そのときたまたま留学という選択肢が目の前にあった、それだけのことだ。

でも実際のところ、他人の努力にいちいち注目しているほど、みんな暇じゃないし、優しくもない。そもそもそこまで他人に関心がある人間なんてほとんどいないのだ。たいていの人間は自分のことで精一杯だし、他人を認めている時間があったら、もっと自分の好きなことに集中する方がずっと有益だとわかっているのだ。

結局私がこれまで人生で頑張って来たことなんて、くだらない努力だったのかもしれない、と思った。いやむしろ、努力と呼べるような大層なものですらなかったのかもしれない。ただの自己顕示欲。

ひとりぼっちだった。

私を心配してくれる友人も、話をきいてくれる友人も、一緒にふざけてくれる友人もいたのに、私は、ひとりぼっちなんだと思った。
私は一生友人と生きていくわけじゃないし、友人のために生きていくわけでもない。自分を本当に守れるのは、生きさせられるのは結局私だけなのだ。私は私として、私のために生きて行かなくちゃならないんだ。そう思ったとき、私ははじめて、心の底から孤独を感じた。
どうしよう、と思った。

だって、私はそもそも、死ぬまで付き合っていくべき自分自身を、信用できなくなっていたからだ。

今まで生きてきたうえでのモチベーションが消えうせた。何を頑張ればいいのかわからなかったし、自分がわからなかったし、信じられなかった。自分が嫌いだった。何がしたいんだろうと思った。何を頑張ればいいんだろうと思った。

広大なアメリカの土地で、私は孤独だった。みんながいるのに、孤独だった。
こんなはずじゃなかった。英語を頑張って、国際交流を頑張って、帰る頃には生まれ変わった私になるはずだった。そうだ、私は変わりたいと思って留学に来たんじゃないか。
でももうわからなかった。自分がどうなりたいのかも、何がしたいのかも。
「誰にも甘えられない環境に身を置いて、成長したい。自立したい」。日本にいたときには簡単に出て来たはずの答えが、今はもう、ひどく薄っぺらく感じた。

それ以来、抜け殻のように過ごす日々が始まった。必要最低限のことしかしなかった。部屋に閉じこもった。カフェテリアに行って食事をすると顔見知りに会ってしまうので、お菓子を食べて空腹を紛らわした。授業にも行かなかった。誰にも会いたくなかった。
でも狭い空間では、噂は一瞬で広まる。私が情緒不安定らしいということに、みんな気が付いたみたいだった。腫れ物にさわるように私に話しかけてくる友人たちの視線が痛かった。

そうやって一週間くらい過ごした。それでも答えは出なかった。

いい加減に授業に出ないとまずいので、仕方なく部屋から外に出た。あまり人とは話さないようにしたけれど、授業には一応出た。なんにも面白くなかった。

疲れた。

もう一切何も考えたくなかった。

掌におさまるくらいの小包が届いたのは、そんな頃だった。

学内のポストオフィスに行くと、私宛に、小さな紙袋が届いていた。びっくりした。私は何かを頼んだ覚えも、注文した覚えもなかった。けれど見慣れた字で、Japanと書いてあるのを見た瞬間、息が止まりそうになった。

そのまま急いで人気の少ない学内のラウンジのソファに座り、震える手で小包を開けた。ガムテープでしっかりと封がしてある。

開けると、赤い小さな箱が入っていた。私の鼓動は早鐘を打ち、周りの音が耳に入らなくなった。まるでスローモーションのように、私はおそるおそるその箱を開けた。

見ると、きらりと光る小さな石が、私の目に飛び込んできた。
本当に華奢なピンクゴールドのチェーンの先に、小粒のダイアモンドが、ひとつ。
本当に綺麗だった。泣き出しそうなくらい、綺麗だった。

紙袋をよく見ると、小さなピンク色のカードが入っていて、カラフルなペンでデコレーションがしてあった。

「さき、生まれて来てくれて、ありがとう。お母さんはいつも、さきを応援しています」

小さな頃から何度も何度も見た、特徴のある女らしい字が、そのカードには書いてあった。

その日は、十一月九日。私の誕生日の、ちょうど二日前のことだった。

私は、人目もはばからず、その場で泣いた。大泣きした。

心のなかは、ぐちゃぐちゃだった。辛いとか、自分が信用できないとか、帰りたいとか、焦りとか、嫉妬とか、劣等感とか、誰にも会いたくないとか。
その日まで、そういうことを色々ぐるぐると考えていたはずなのに、ただただ、嬉しかった。情けないけれど、本当に嬉しかった。
私はたしかに、ひとりで生きられるだけの力をつけなくちゃいけない。自分だけの道を見つけなくちゃならない。
でももうそんなこと、どうでもよかった。焦る必要なんかないんだ、と思った。ちょっとずつでも、変わっていければそれでいいのだと、その細く光るダイアモンドを握りしめながら、私は思った。

ダイアモンドの語源はギリシャ語で、「いかなるものにも征服できない」という意味のある言葉。

ページをめくるなかにこの言葉を見つけた瞬間、はっとして、あの苦しかった頃、ひとつのダイアモンドに救われたことを思い出した。

「いかなるものにも征服できない」。

母がその意味を知って送ってきたのだとは到底思えないけれど、私はそのネックレスを貰って以来、それをお守りのようにずっと首元につけていた。気付けば、小さくギュッとそのダイアモンドを触るのがくせになってしまった。

たしかに自分一人で生きていく力を身に着けなければならない。誰にも頼らずに生きる力を手に入れなければならない。

けれど私にとって本当の自立というのはおそらく、孤独に耐え忍ぶということではなくて、他人を心から信頼できるようになることなのだ。矛盾しているようだけれど、たった一人の自分を心から信頼できるようになるためには、他人を、私を取り巻く世界を信頼しなければならないのだ。いくら他人に壁を作って孤独を追いかけていても、私はきっといつまでたっても自立できない。少なくとも、私の描く自立を達成することはできない。他人を切り離して自立しようなど、到底浅はかで厚かましい考えだったのだ。

「女を磨く言葉の宝石」。

言葉は、宝石と同じくらい、きらきらして美しい。シンプルな言葉選びでも、その一言一言に、魂が宿る。選ばれ、洗練され、愛情をこめられた言葉は、まるでプレゼントの箱を開けたときのように、私の心臓を高鳴らせる。

結婚の証として知られる、ダイアモンド。いかなるものも征服できない美しさ。

ダイアモンドについて、夫婦について、家族について、自分について。彼女はこう書いている。

赤の他人同士がお互いを認め、許し合うこと。形を常に変化させながら、成長させてゆくこと。この無形で柔らかい家族の基盤が、実はダイアモンドのように固い、ぶれない自分を作りだしているのだと思う。
私がどれだけ落ちぶれて、惨めになっても、自分という存在を最後は肯定してくれる誰かがそばにいるのは、何より心の安定と自信に繋がっていると感じている。

もしあの頃の私に会えるのなら、このまっすぐに輝く言葉を渡したいと、ふと思った。

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2014-12-20 | Posted in チーム天狼院, 記事

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