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この世界にある優しい書店


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記事:東ゆか(リーディング倶楽部)
 
 
好きな映画がある。
『ビフォア・サンセット』という恋愛映画で、本作は『ビフォア』シリーズの第2作目に当たる。
1作目の『ビフォア・サンライズ』で、ウィーン行きの電車の中で知り合った男女が、一晩で恋に落し、「もし半年後もお互いを思う気持ちがあったら、またウィーンで会おう」と約束し別れる。
そしてその続編が本作。
物語の舞台は半年後ではなく、9年後。
ウィーンではなくパリ。
約束の半年後に、予期せぬアクシデントで再会できなかった二人が、パリの小さな書店で9年越しの再会を果たすのだ。
 
この二人の再会の舞台となった書店は、実際にパリにある。
「シェイクスピア&カンパニー書店」だ。戦前から数々の文豪とのエピソードを持つ伝説の書店だ。現在は緑色に塗られた窓枠に、黄色の看板といったポップな外観で、観光客が次々と吸い込まれていく名所の一つになっている。
 
そんな伝説の書店に、カナダ人男性が1999年に、実際に滞在したときの思い出を綴ったのが『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』(ジェレミー・マーサー著/市川恵理訳 河出文庫)だ。
はしがきに「現時点で語りうるかぎり真実の話を書いた」とある。
 
ロマンチックな恋愛映画に登場し、可愛らしい外観の人気の観光名所という印象があるがゆえに、ほっこりほのぼのとした書店の日常が綴られているに違いないと思い手に取った。
 
登場するのはきっと、感じやすく優しい青年。素敵なムッシュ。パリの空の下を漂うオムレツの香り……。タイトルの「優しき日々」に、日々の疲れを癒してくれることを期待して読み始めた。
 
しかし実際の内容はまったく「優しく」なんてなかった。
 
まず語り手のジェレミーは、カナダの新聞社で働いていた元犯罪記者。アルコールとマリファナにどっぷりまみれ、泥棒に命を狙われてスーツケース一つでパリへ逃げてきた。
そんなジェレミーが宿泊場所として厄介になったのが、このシェイクスピア&カンパニー書店だった。この書店は、店主のジョージに自伝を提出し、気に入れられれば書店の手伝いをすることを条件に、そこに無料で宿泊できるのだ。
 
しかし書店の内情は、外観の可愛らしさや、ロマンス映画の舞台のイメージとは大きく異なる。
備え付けのトイレはトイレとは呼べず、本書内に詳しい描写があるものの、ここで詳細を説明するのをはばかられるような代物だ。キッチンには生死を問わずゴキブリが常駐している。店主のジョージから出される食事も、食材や調理道具の衛生状態が極めて怪しい。
 
同じく滞在している人々も風変わりだ。
映画オタクの小説家志望の男に、ホームレス同然の自称・詩人。
主人公のジェレミーも含めて、彼らは皆、お金がなく、シャワーもたまにしか浴びられない。怪しい換金業に手を出したりしてなんとか生活費を捻出している。
 
極め付けは店主のジョージだ。
アメリカ生まれのジョージは、コミュニストで理想の共同体を書店の中に作り上げようとしている。気に入って引き入れた宿泊客に対しては最初こそ親切なものの、新たな新入りが現れると一気にその態度が冷たくなる。
厄介なのは書店経営のいい加減さと、彼がコミュニストであることに起因するこだわりの強さだ。
ホテル王に書店の土地を奪われそうになったため、ジェレミーたちが書店の財団化を提案するが、その障害として一番にたちふさがるのがジョージの独自の経営理念なのだ。
 
パリの書店のほのぼのとした、心温まる日々が綴られていると思って読み始めたのに、登場するのは感じやすく心優しい青年ではなく、ワケありの犯罪記者だし、素敵なムッシュではなく、偏屈じいさん。香り高いオムレツではなく、何が入っているか分からないパンケーキだった。
社会不適合な人々のその日暮らしの物語なのだ。
 
これのどこが「優しい日々」なのだろうと、物語の中盤までずっと私は思っていた。
 
さて、それでは今私たちが、社会の規範に則って過ごしている日々は、どんな日々だと言えるだろうか。そう自分に問うと、厳しい日々ではないが、優しく、平和な日々であるために、ただ単に取り繕っている感じが否めない。
書店に厄介になっている彼らと違って、きちんと働き家賃をちゃんと払うのは、住む家を失わないためだ。住む家を失ったらどうなる? 路上にほっぽり出されて「優しくない」日々が待っていると知っており、それが怖いからそうならないように取り繕っているのだ。
 
そう気づいてしまうと、この書店に住む人々のように、定職につかず、一度社会に出たのに再びモラトリアム期をとりもどし、のほほんと暮らすことが許されているのは、極めて「優しい日々」なのではないかと思えてくる。
 
高給な犯罪記者としての生活から一転したジェレミーも、作中にこう記している。
「(承前)生活の流れは流動的になった。(中略)すべては楽しい晩と朝と午後となってやってきては過ぎていった」(P245より)
自分たちを守るための規範や規律から切り離されたのにも関わらず、毎日を刺激的に謳歌しているのだ。
 
それでも書店に宿泊していた人々は、語り手のジェレミーを含めて、書店を去っていく日がやってくる。彼らの後ろ姿を見送ると、彼らは根っからの社会不適合な人間などではなく、ただいっときだけ、社会からこぼれ落ちそうになってしまった人たちだったということを、読み手ながらに感じる。
シェイクスピア&カンパニー書店での日々は、不器用な人たちが寄せ集まり、次の一歩を踏み出すための「優しい日々」だったのだ。
 
物語の終盤、社会のこぼれ者たちにたくさんの「優しい日々」を与えてきた書店にとって、今度は「優しい日々」が訪れることになる。それはどうも、今現在のシェイクスピア&カンパニー書店を形づくっているものらしい。
 
読後はきっとこの書店を訪れてみたいと思うだろう。
また、今日もシェイクスピア&カンパニー書店には、人生の空白期をもてあました人たちが、肩を寄せ合い滞在していることに思いを馳せて、少しだけ安心した気持ちになるのではないだろうか。
もしこの先、本当にどうしていいのか分からなくなったら、この書店へ避難すればいいのだから。なんなら提出用の自伝も今から用意しておこうか。
 
そういう優しい場所が、この世界に確かに存在するんだという安心感を本書は与えてくれる。
 
 
<この一冊!>
『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』
ジェレミー・マーサー著/市川恵理訳
河出文庫
 
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2020-05-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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