沈没待ちの船で漂流した私の二年間
*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:Mai(ライティング・ゼミ平日コース)
「社長はあいにく、外出しておりまして」
自費出版の会社に就職して一年後。私が一番上達したのは、あたかも真実のようにこの言葉を顧客に伝えることだった。人の心に何か影響をもたらせるような仕事がしたい。そんな思いを持って入社した会社は、面接の時に感じた社長の熱意とは裏腹に、すでに潰れかけていた。当時24歳だった私は、今にも沈没しそうな船に乗り込んでしまった乗客のようなものだった。
入社して任されたのは、営業の仕事だった。新規の顧客リストをもとに、「あなたの作品(エッセイや、美術作品など)を拝見しました!素敵なので、うちの雑誌やイベントに載せませんか」と、毎日電話をかける。最初はしどろもどろで、話途中で電話を切られたり、「どこで私の連絡先を調べたんだ」と怒られてばかり。そのたびに心が折れた。それでも、まだ会社が倒産寸前で企画の実施が危ういなどと気づいてもいなかった私は、とにかく受話器を取った。毎日50本電話をかけると5人ぐらい話を聞いてくれる人がいて、そのうち1人ぐらいは企画に乗ってくれたりした。「作品が載る日を楽しみにしています」とお客さんが言ってくれた日に、仲間と飲むお酒は格別だった。
半年ほと経つと、だんだんと雲行きが怪しいことに気づき始めた。何とか契約が取れても、今度は「契約分を載せる雑誌の印刷、遅れてます」「イベント、中止です」と上から通達が入るようになった。ひとつの企画でも、関わる取引先は多い。その人たちに、会社はお金を払えていなかった。「いつ払ってくれるんだ!」「いつ納品されます?」という不信感たっぷりの電話が、小さなオフィスに鳴り響く。実施できないのに、売らなければいけない。数か月かけてやっと仲良くなったお客さんに電話をしながら、いったい何やってるんだろう、と泣いた。居留守の社長はといえば、うつろな瞳で自席によく分からないお札や水の入った容器を並べるようになり、いつしか社員とも目を合わせなくなっていった。最初の頃60人ほどいた社員たちは、1人、また1人と会社から去り、私はついに、入社一年半で最後の9人の中の1人になってしまった。
その頃になると経理部長も退職し、制作部長が経理部長になるという謎の抜擢が起きていた。社員が意気込みを発表する場だった朝会は、「今残っている社員のうち、誰から先に給料を支払うか」というテーマを話し合う場に変わっていた。「〇〇さん、まだお子さん小さいよね?先でいいよ」「若い子に先に支給しよう」とか、そんな感じだ。沈みかけた船の中で、その譲り合いは泣きたいほど温かく響いた。
1997年に、レオナルド・ディカプリオ主演の映画『タイタニック』が大ヒットした。2,000人を超える乗客を乗せて1912年に出航した豪華客船『タイタニック号』が、氷山と接触し、沈没するまでの惨劇が描かれている。その映画の終盤で、船上の演奏家たちの姿を描いたシーンがあった。沈みかけた船で我先にと人々が逃げ惑う大混乱の中、演奏家たちは「君たちと演奏できたことを誇りに思うよ」とそれぞれに伝えあい、避難することを選ばずに最期まで演奏を続ける。私は未だに、そのシーンにあの朝会で見た先輩達の温情を重ねてしまう。
さらに時は過ぎ、入社して二年が過ぎようとしていた。浸水した船に居続けられるわけもなく、冒頭のセリフを通算何回言ったのかも分からなくなった頃、私はそこを辞めた。悲しんでばかりもいられない。いよいよ、次の人生を考えなければいけなくなったのだった。会社というのは、いつなくなるか分からない。当たり前のことなんてないのだから、私もやりたいことをやろう。人の心に影響を与えるとは、いったいどんなことなのか。それができるようになるには、どうしたらいいのか。それをもっと知ろう。そんな風に思ってからの一年間で、私は色んな挑戦を重ねた。前からやってみたかった留学をして、様々な国の生徒と一緒に学んだ。授業中に自然と歌ったり踊り始めたりするラテン系の先生のもとで、自分がまず楽しむことが大事なのだと知った。ある時は入った店でお釣りをごまかされ、自分がもっとしっかりしなければと知った。街を歩いていると地面にいきなり素敵なアートが描かれていたりして、こういう日常が心を変化させるんだ、と知った。帰国してからは、自分が今までやってきたことを洗い出し、面接で色んな会社の人に会った。潰れない会社とはどんな会社なのか、徹底的に調べた。お金はどんどん減っていくが、新しい体験で満たされた一年だった。
その一年を経て、私は様々な学びのプログラムを提供している教育系の会社に転職した。そこには何かを吸収しようと様々な人が集まり、自分自身も学び好きだというスタッフ達が働いていた。会社の規模は変わり、私は社長の外出を顧客に伝えることもなくなった。そして朝会をしなくても、毎月決まった日にお給料がもらえるようになった。私がかつて抱いていた「人の心に残ってくれる何か」を仕事にする夢は、少し形を変えて、私の元にまたやってきてくれたのだった。
『タイタニック』では、ディカプリオ演じる主人公の相手役でヒロインのローズが、船が沈没した後、悲しみを胸に101歳まで逞しく生きた。沈没してからが勝負なのかもしれない。思い出を胸に、私もローズのように生きてみたいと思う。
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